思い返せば、30年前、私の就職してからの一番最初の赴任地は県東部の沼津であった。
沼津は素晴らしいところだった・・・。
田舎が県西部と言うこともあり西から東への大移動(かな??)であった。
新幹線で三島まで、そしてバスに乗り換え向かった自分の住まいは沼津市大岡南小林・・・。
まだ田畑の残る田園地帯の中にそれはあった。
住まいの横には“黄瀬川”という素晴らしい川が流れていて、自然あふれる等で居住環境はとても良かった。
大家は大きな家の農家さんで、その庭の中にあり、一室が3畳半という鰻の寝床のような住まいであった。
布団ひと組で転がりこんだ身としては、それでも天国であったろうか・・・。
2階建の10室がそこにはあり、主に高専や日大の学生が暮らしていた。
それでもその狭さが故に空き室はいくつかあったようだ。
家賃が安いのであろうか、学生だけでなく多種の職業の方がそこには居住していた。
壁が薄く隣の声もよく聞こえてくる部屋にはいろいろな声や音が聞こえてきた。
若者が友達を連れてきて楽しく酒盛りをしている声や、ある部屋には背中や腕にタトゥーをしている方もいて結構いざこざも絶えることはなかった。
しかし・・・例え狭くても幼い頃から個人の部屋持たない自分にとっては、一国一城の主だったのである。
多少気になることはあっても仕事が終われば、こんなに楽しい、そしてこんなに嬉しいことはなかったのを覚えている。
沼津は素晴らしいところだった。
歴史もあり、何と言っても各観光地への起点となっていた。
バスの便も良く、伊豆箱根バス、富士急行、箱根登山バスなどなど数社が沼津名店会館を起点に走っていたのである。
伊豆へ、三島へ、箱根へ、富士へ・・・そして食べ物も美味しく・・・。
何より沼津からの大好きな西伊豆への海が素晴らしかった。
休日になると西伊豆へは釣りに、観光に良く出掛けた。
特に戸田、土肥、松崎が好きだったかな・・・。
波の荒々しい東海岸と違って西伊豆の静かな海、その風景、夕焼けの素晴らしい光景などなど・・・自分にとっては素晴らしい環境に恵まれていた。
まだまだその間の生活で書き記したいことは山ほどあるが、それは次の時まで残しておこう・・・。
そんな生活から、あることをきっかけにもっと広い住居へという思いが強くなり、駿東郡長泉町下土狩へ引っ越すことになった・・・。
次の住まいは新幹線の高架が近いところであった・・・。
結構騒音も気になったが住めば都である。
自由を大いに満喫した・・・。
下土狩からは三島市がすぐ近くであり三島の街へも、夜、車で流したものである・・・。
若い時とは言え、かなりの無茶なことを楽しんでいた・・・。
若さゆえであろうか・・・危ない目にもあったことは度々である・・・。
仕事も、遊びも・・・その他のことも全てこの東部地区にいたからこそ満喫できたのではないか・・・。
今になって振り返るとそう思う・・・。
青春時代を謳歌するには沼津市、長泉町、三島市は素晴らしいところだった。
この素晴らしい土地に住んでいたからこそ今の自分がある、と言えるのであろう・・・。
あれから〇十年、沼津市、長泉町、三島市は大きく変貌して素晴らしい街になっている。
特に沼津駅の北側の再開発、リコー通りの活性化、原地区の国道い号線沿いの変貌ぶり、沼津港湾の観光地としての名所の数々など、久しぶりに訪れてもまるで分からない・・・。
この先、静岡県東部地区は益々の発展を遂げるであろう・・・。
若き青春の日を過ごした5年3カ月を忘れることはないであろう・・・。
歴史多き沼津の今後の発展を期待してやまないのである。
私は県内西部から中部、東部に至るまでを転勤にともない素晴らしい体験を重ねてきた。
どこの地域も素晴らしいところばかりだった・・・。
今、自分があるのもそれぞれの地域で頑張ってきた証でもある。
自分が住んできた、住んでいる街をそれぞれ誇りに思いたい・・・(^_-)-☆
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