『トイレには神様がいる』・・・『トイレにも風呂場にもその他家のいろいろなところに神様がいる』
そんなことを父母に幼いころから教えられて育った。
だから、毎年、年末には神様へのしめ飾りとお供え物を家でお世話になっている台所、神棚を初めとして、お風呂(その当時は五右衛門釜であった、手洗い場、水場など、あらゆるところへ祀って1年の感謝の意を示した。
今の時代は物への感謝、厚い信仰、ご年配がいない、若しくは山間地でなければそんなことはしないだろう・・・。
だから新居の現在・・・年末になると・・・お飾りをしないことに、少しばかり罪悪感を感じている。
それが・・・病気とか、行いがうまくいかないとか・・・いろんなことに影響しているのだろうと、少しは感じている。
祖母は私が生まれてすぐに祖父と親戚達と富士市に移り住んだ。
それでも3ヶ月ぐらいに1回は私の郷里に帰ってきては畑仕事をしていた。
そのほかの時間は・・・幼い頃から苦労した、神経質な父のお守りのように、話相手をしていた。
『わりゃあ そんなことを俺に言ってどうすんだや。今更どうなるもんでもないだわいね。昔はいろいろとあっただよ。お前にはわからん・・・』・・・これが祖母の父への口癖だった。
後になって・・・最初の祖父(祖母は再婚していた)が、父が幼い頃泣くなって、兄弟7人の父親代わりで苦労したことを知った。
愚痴もでるわなあ・・・幼いなりに、父は父なりに祖母に甘えているんだなあ・・・三つ子の魂百までとはこのことをいうんだろうな・・・などと感じていた。
そんな祖母も孫の私達にとっては優しかった。
畑仕事をてつだったり、いろんなことを教えてくれた。
祖母の優しさを肌で感じていた。
『おばあちゃんがいてよかったなあ』・・・幼い頃から感じていた。
そんな祖母もよる年波には勝てずに、実家に来る回数が減っていった。
それとともに、祖母への感心も薄れていった。
そんなことを今考えると、祖母孝行はあまりできなかったなあ、と感じている。
そんな祖母も9年前に亡くなった。
とても悲しく・・・もうこの世にいないことに・・・寂しさを感じていた。
そんな最近・・・こんな歌を思い出す・・・。
優しかった祖母を思い出すには十分だった。
歌の中盤から終盤にかけて、自分の感性と共通するものを感じた。
泣けてきた・・・走馬灯のように祖母とのひと時がよみがえった。
ありがとう・・・おばあちゃん・・・長生きしてくれて・・・いろんなことを教えてくれて・・・。
https://youtu.be/FICOU3b04-Q
ありがとう・・・植村花奈さん・・・祖母への感謝を思い出させてくれて。
とても泣けてきました・・・もっとお婆ちゃん孝行しておけばよかったなあ。。。
お食事中の方・・・大変申し訳ないです(ペコリ)
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