サンズ・トーク

スイミングクラブの草分けは京都にあり

梅雨が明け、プールの季節がやってきた。
スイミングクラブ界は、イトマン、セントラル、コナミの御三家が広域展開をしている。

日本で一番古いスイミングクラブは、今も京都で頑張っている「京都踏水会」なのです。

 京都踏水会スイミングクラブ入り口のモニュメント

明治維新により、東京が首都になったため、京都は人口が次第に減少し、産業、経済が衰退しはじめた。
そこで、京都産業の振興策として、琵琶湖の水を大津から蹴上、鴨川まで通水する疎水を造り、水利、発電による京都活性化が図られた。
明治25年(1892)、鴨川まで通水することができ、電力が供給されるようになって、今の京阪電鉄が動くようになった。

鴨川へ合流する近くに夷川の船溜りができて、そこで、大日本武徳会遊泳部が「京都踏水会」として、市民に水泳術を伝授しはじめたのが、明治29年(1896)。110年以上も昔のことなのだ。

ちなみに、武徳会とは、剣道、柔道、弓道という日本の武道を振興しようとして、明治28年に発足した全国組織だった。
今でも、平安神宮に武徳殿の建物が残っている。

当時、泳ぎは水練術として、小堀流とか能島流などの伝統泳法で、鎧兜着用で水を泳ぐとか、立ち泳ぎをしながら、白扇に墨で字を書くなど、立ち泳ぎの技法がよく用いられ、その動作が、水を踏むしぐさに似ているところから、踏水会の名が起こったようである。
その後、水泳にも近代泳法のクロールや平泳、背泳が普及するようになり、京都踏水会からもオリンピック代表選手がでるようになったのである。

今、疎水を岡崎公園あたりから鴨川方面に下ってくると、その船溜りのあたりが川幅が2倍以上に広くなっている。
現在のスイミングクラブは、そこから一筋北に4階だてのビルがあって、プールで営業しているのだ。
疎水、それは、四季を通じ、心安らぐ、歴史を物語っている流れなのである。

 岡崎公園あたりの疎水の流れ

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