ここは、古くより千葉で繁栄した豪族、千葉氏の本拠であった。
昔、千葉氏は今の千葉市の亥鼻公園にある亥鼻城を拠点としていたが、文明16年(1484)、千葉輔胤がこの大佐倉に本佐倉城を造って進出したのだという。
この地は、将門山といわれ、城の別名を将門山城といっていたという。
将門山。
将門山。
城址の略図。
山裾から獣道のような空堀を登ってゆくのだが、アップダウンが厳しく、イノシシが出るという注意があったりするので、深入りはしなかったのです。
千葉氏の家紋は「月星」
それよりももっと古い平安中期、延喜年間(900ごろ)、平将門の父、平良将が下総・佐倉を領地にしていたというので、将門の生地だったと推定される。
桓武天皇の末裔といわれる将門は、長ずると、下総から常陸、更に下野(シモツケ)から上野(コウズケ)にかけて勢力を伸ばし、ついに時の朱雀天皇に対抗するようにみずから「新皇」と承するようになった。ついには、敵に逆襲されて落命したが、逆賊ともいわれ、或いは坂東武者のヒーローともいわれて、神田明神に祀られるに至っている。
ついでにいう。
これとは別に、佐倉市役所近くに、佐倉城址公園があって、このほうが一般には よく知られている。この佐倉城は、江戸時代の慶長年間、徳川家康の命により土井利勝が築いた城で、幕末、堀田老中の居城として栄えたのだ。
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