あのころ、大阪は北に勤めていました。始めのころは、本当に客が多くて、早めに行かなければ席が待ちになるぐらいでした。それだから、あっちにもこっちにも次々と出来ました。
アルミの椅子とテーブル、提灯がずらり、ハワイアン音楽が鳴ります。つまみは、フランクフルトとか、フライもの。
当時、私は入社間もないペーペーでしたが、先輩などのお供で行き、重いジョッキを傾けて呑むのがいっぱしの大人、そんな優越感を新鮮に感じたものでした。
それはいいけど、必ずしも楽じゃないのです。屋上がコンクリートで、昼間の余熱が残っているのです。風があればいいのですが、大阪のことで夕凪、無風だとつらいのです。風が強いと、おつまみの皿が飛んでいきます。
それでも、東京オリンピックのころまでは、屋上ビアガーデンは存在感があったと思います。
それから、トリスバー、ニッカバー、オーシャンバーなどが出来始めて、次第にウイスキーのハイボールなどを嗜むようになりました。
いまでも屋上ビアガーデンはあるようですが、出かけてゆく対象にはならないのです。
夏はやはり冷房の効いたところじゃなきゃ行けなくなりました。
屋上ビアガーデンは、平成じゃない、昭和の文化なのでした。
注:日本初の屋上ビアガーデンは、昭和28年に、
大阪・梅田の第一生命ビル屋上で、ニュートーキョーがアサヒビールで始めたそうです。(これは、はっきり記憶にあります)
最新の画像もっと見る
最近の「とある話題」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事