江戸時代、紅花(あざみ系の植物)から染料や婦人の口紅などがつくられ、この地から日本海の酒田港を経由し、北前船で京へ送られた。
当時、紅は貴重な商品として紅一匁、金一匁といわれるほど高価な商品だった。
京都・先斗町の大夫など、きれいどころが着飾って、紅さして上方の分限者たちと交際し、わが世を謳歌したのだろう。
河北の堀米氏というお大尽が、紅の富により当地に大きな屋敷を構えた。
その屋敷と庭園が今、資料館になっている。
紅粉の蔵 俤。
ここへ来る途中、車窓から出羽三山のひとつ、月山が最上川の橋のむこうに見えました。
急峻でなく、なだらかな月山ではあるが、6月でも雪を積んでいる。
大きな裾野が特徴なのですね。この方角には羽黒山や湯殿山もあるはずなのだ。
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