神田明神の祭神として、平将門が祀られている。
桓武天皇の流れといわれる平将門は、平安中期、坂東・常陸で地力を蓄え、時の朱雀天皇に逆らうように「新皇」を自称して反乱した。
のち、反対勢力に討伐されて滅んだが、そのあと、江戸では疫病が蔓延して、将門の首をさらした祟りじゃということになって、将門霊を鎮護するために神田神社を建立したといういわれがある。
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神田明神
その一方で、成田山新勝寺は、将門反乱のとき、不動明王を護持した高僧を成田に派遣して、将門討伐を祈願させた。これが「新勝寺」の起こりだといわれる。
だから、神田明神の氏子は、新勝寺には参拝しない。
だから、その逆もないのだそうだ。