サンズ・トーク

我孫子の白樺文学館

先月下旬、我孫子の手賀沼のほとりにある白樺文学館を訪れた。

白樺というのは、大正デモクラシーの旗手である武者小路実篤や志賀直哉が、我孫子に住まいして、文芸のグループ活動をした、その同人誌の名である。
当ブログでは、白樺文学館を訪れ、志賀直哉の旧跡を見学したことを報じた。
http://blog.goo.ne.jp/san-gblog/e/9817d8ae3ec81dbaf07eefb2b15d5040

すると、文学館のTさんから、コメントをいただいた。
そのお便りで、大正時代の我孫子での文豪たちの暮らしの様子がより鮮明に想像することができた。

その一
文筆を生業とする作家たちが、よくぞ電燈のないこの地に集まり、住んだものだ。とある。
へえ、そうなんだ。大正時代には我孫子にはまだ電気が来ていなかったんだ。
すると、当然ながら、ラジオもない。
そんななかで、白樺の同人たちは、毎月、白樺(同人誌)を出し続け、160号まで続けたのだ。
それならば、私が今住んでいる佐倉市だって、電気のないローソクや菜種油のランプの時代だったかもしれない。と思う。
大正ロマンとはいうが、今から比べると、すこぶる不便な日常だったのだ。
いや、今は何とも思わないが、現代はいかに至れり尽くせりの生活環境であるのか、思い知らされたものでありました。

その二
武者小路は、当時、胸の病とされ、空気のよい我孫子に転地療養のつもりで住んだという。
胸の病、肺病は、昔は労咳、死に至る病とされたものであり、幾多の文人が肺病で命を縮めている。
ところがびっくり、これが医者の誤診だったとのことである。
それで、すっかり元気づいた武者小路は、新しい村運動を実践するのだといって、我孫子を引き払い、九州の宮崎だかに飛んでいってしまったのだ。
一方の志賀は、手賀沼の水辺ちかくに書斎を構えたので、湿気がつよく、神経痛に悩まされたとのこと。
また、子女を若くして風邪とか病に冒されて、次々と喪った。
大正の頃は、医者も患者も医事知識に乏しく、随分、寿命も短かったし、健康保険もなかった。
それに比べると、今は治療も高度化して、私みたいなおじんでも、後期高齢者だ、成人病検診だ、CTだ、MRIだ、血液検査だと、予防措置が充実していて、当分くたばる恐怖はないのであります。

大正は遠い。
しかし、その間、世の中は進んで、全く別世界にいるような快適さなのであります。
新聞を見るたび、TVを見るたび、不快感に襲われ、不満たらたらの人生、これは、考え直さなくちゃと、こう思えてくるのでした。

また、今から遡って思うと、大正時代の知識人の志の高さには、感服するものがあります。

白樺文学館のTさん、ありがとう。
参考:白樺文学館http://www.shirakaba.ne.jp/

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