「ためし行動」という言葉は、児童養護の世界ではよく使われる。家庭に恵まれていない子どもたちを行政が関与して保護している最前線が乳児院であり児童養護施設であり里親家庭である。そこで始めて暮らす子どもたちは、大人が自分をどれくらい受け入れてくれるか試すのである。計算してそのような行動にでる子もいれば、無意識のうちにためす子もいる。何でも受け入れてやればよいが、それでは施設も家庭も生活が成り立たない。施設であれ家庭であれ生活を共にする場であるので、人が不快に思うことはしてならないのが、生活のルールだ。
しかし、子どもたちの「ためし行動」ではあえてそこを破ったりして、大人の反応を見るのだ。大人は「ためし行動」と理解しつつも、ダメな行動はダメといわなければならない。でもその根底には「愛」がなければ、ただルールを守る番人になってしまう。具体的にここで必要な愛とは、「忍耐」だ。
兎に角、「ためし行動」がやむまで、きちっとダメな理由を説明して「忍耐」をもって接することだ。いい加減な子どもへの思いで流されてはいけないのだ。聖書にもはっきりと、「愛は忍耐である」と記されている。