「なぜスポーツカーは時速200キロ、300キロの高速で走ることができると思う?」
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「それは、ちゃんと作動するブレーキが付いているから」
あるキリスト教の牧師先生が話しの中で使われた例えです。
スポーツカーのような高性能の機械も、コントロールできなければそれは凶器です。
人間は意思を持って行動する生き物ですが、その意思をコントロールできないと、ブレーキの効かない自動車同様に他者や自分自身を傷つけてしまう、というのです。
虐待や喪失感を体験し、生きづらさを抱える子どもたちの中には暴言や暴力、社会的に許されない行動に出てしまう者が少なからずいます。
心理学は、人間が何かをやってみたいという欲求を自我、それをコントロールする存在として超自我があるとしています。超自我は自我に対して監視、指導をする、いわゆる「理性」です。 無意識の内に親のしつけなどによって内在化されていて多くは自覚できません。神の存在に象徴される、いわば無意識の良心のようなものも含まれます。現代社会では、この超自我が弱くなることで暴力や自殺が増える可能性が高まっている、と著名な精神科医が語っています。
社会に出ていくことを見据えて、親にはなれなくとも、それに準ずる身近な大人でありたいと職員たちは願い、子どもたちのために日々、心を砕いています。そして神様も子どもたちに上からの目を注いでいます。
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