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商業映画の陰で、こんな映画づくりに情熱を燃やす人々がいる。何がこの人たちを駆り立てたのか。今も続いている権力の、征服者の横暴と欺瞞をご覧あれ。namsag
老斤里事件,60年ぶりに真相が映画に
映画<小さな池>…8年目にやっと開封
2010年04月05日(月)イアン(映画評論家) (メディア今日)
大統領は自分の話を信じろと言い、軍は安全責任を負うと言った。 大統領と軍の命令により、数多くの命がわけも分からないまま死んでいった。 政府と軍は事実を覆い、被害者と遺族の声すら塞いでいる。
今回突然沈没したチョナン号と、その救助に出たクムヨン号が相次いだ沈没した。 政府と軍が事件の経緯について発表すればするほど疑惑は増幅され,不信と怒りが膨らんで行く。
ところがこうしたことが、この国では初めてでない。 すでに60年前にも政府と軍を信じたばかりに、数百人の良民が虐殺された真実が、半世紀ぶりに事件の真実が明らかになった。そしてその真実を明らかにしようとする努力が、映画になって実った。 老斤里(ノグンリ)良民虐殺事件を扱った<小さな池>のことだ。
ソン・ガンホやムン・ソリのような当代のスター級俳優をはじめとする全ての演技者が、ノーギャラで出演し, CGや特殊効果を引き受けた企業も現物投資という方式で製作に参加して作ったイ・サンウ監督の<小さな池>が封切する。公開を控えて映画プリントを観客らが直接購入して配給に参加する自発的なフィルム購買キャンペーン試写会を開いている。 このキャンペーンに参加した観客が3,000人を越えた。
老斤里事件は6・25韓国動乱勃発直後の1950年7月、忠清北道永同郡黄澗面老斤里で、政府と米軍の催促で避難した住民数百人が、米軍の無差別銃撃で死んでいった民間人虐殺事件だ。
この事件が初めて知らされたのは、1960年民主党政権当時に遺族たちが米軍請願審査委員会に請願を起こしたのがきっかけであった。
当時米軍側は請願を棄却し、この事件はそのまま闇に埋もれたが、1994年4月'老斤里良民虐殺対策委員会'委員長の丁銀用が遺族たちの悲劇を描いた《あなたは私たちの痛みを分かりますか》という実録小説を出版し、この事件はまた一般に知られるようになった。
その後,ハンギョレ新聞と月刊誌「話」,MBC時事プロ等が事件を扱い、真相が徐々に明らかになったのだ。この国の政府が努力した結果ではなく、50年の期限が過ぎ米国の機密解除文書が公開されたからであった。
1999年 AP通信が機密解除された当時軍作戦命令で'避難民らに敵軍がいる、攻撃しろ'という米軍第一機甲師団と米軍陸軍25師団司令部の命令書などの公式文書と、参戦米軍兵士らの証言などを土台に報道した記事が、その年のピューリッツァ賞を受け、はじめて米陸軍省もこの事件に対する調査を始めた。
韓国政府は2004年にやっと‘老斤里事件犠牲者審査と名誉回復に関する特別法’を制定したが、まだ補償問題はくすぶったままだ。
…
<小さな池>は戦争のさ中、大統領の国軍を信じろとの放送を信じ、土地を耕し,学校は休校だが先生と子供たちは童謡大会を開きながらのどかに暮らしていた山奥の村人たちの信頼が、どのように砕かれたのかを見せてくれる。当時すでに大統領と政府閣僚らは釜山に避難、ある日突然米軍は、この村が作戦地域になった、全部離れろと拡声機で放送、避難をはじめた村民らに銃撃が…。避難民の中に民間人に偽装した敵軍がいるという未確認情報だけで米軍に下った命令は“ Kill them all”という射殺命令だった。
山道に閉じ込められ逃げまどう500人余りの民間人、その中で二十五人余りが生き延びた。
… <小さな池>フィルム購買キャンペーンは4月7日まで, 封切りは4月15日。 さらに多くの観客参加で上映空間を作り出そう。