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朴槿恵大統領の「6.25クーデター」(続)

2015年07月16日 | 三千里コラム

辞任記者会見に臨むセヌリ党のユ・スンミン院内代表(7.8)



7月8日、セヌリ党は議員総会を開催しました。「非朴」派と「親朴」派の議員たちが激論を交わしましたが、朴槿恵大統領の威光には背けず、ユ・スンミン院内代表(院内総務)の辞任を勧告することで落着しました。ただ、票決の手続きを踏まずに“所属議員の総意”として引導を渡したところに、セヌリ党内部の複雑な事情がうかがえます。同日午後、ユ・スンミン院内代表は記者会見を開き、辞任を表明しました。

6月25日の国務会議で朴大統領は、ユ・スンミン院内代表を“背信者として裁かれるべき対象”と罵倒し、その粛清を指示しました。2週間後にようやく指令が完遂され、大統領は党内の“反乱”を制圧して「親衛体制」を敷いたことになります。朴槿恵大統領の権威は一時的に強化されたように見えますが、韓国の政党政治は軍事政権当時に後退しました。結局はその時代錯誤的な横暴がブーメランとなり、朴槿恵政権の「レームダック化」を促進することになるでしょう。

朴槿恵大統領の「意識時計」は、1970年代で止まったままのようです。「維新体制」と呼ばれた朴正熙政権の時代、三権の上に大統領が君臨し、反対勢力を容赦なく弾圧していた「統治」の時代です。1972年10月17日、朴正熙は戒厳令を宣布して主要施設と大学に軍を投入しました。国会を解散し大学を封鎖した状況で、終身大統領制を保障する「維新憲法」が導入されます。1961年に続く、朴正熙2度目のクーデターです。

帝王的大統領を志向するDNAは、そのまま長女に受け継がれたようです。朴槿恵大統領も政敵や権力内部の反対勢力を除去することに余念がありません。統合進歩党を強制解散させ、検察総長ですら指示に従わなかったことで地位を追われました。今回も、与党議員の総意で選出された院内代表を、大統領の“鶴の一声”で粛清したのです。軍事的手段の行使を除けば、絶対権力の確立を目指す「親衛クーデター」の本質は同じだと言えます。

“成功したクーデターは革命だ”と権力の簒奪者たちは正当化しますが、黙過できない憲法違反であり民主主義の破壊行為に他なりません。では、今回の朴槿恵「6.25クーデター」を憲法に照らして検証してみましょう。

大統領制は本来、行政府(首班は大統領)と立法府を厳格に分離し、相互に対等な関係を維持する「牽制と均衡の原理」を特徴とします。1987年6月の民主抗争によって改正された現行憲法も、この原理に立脚しており、大統領が立法府と執権党を支配下に置いた軍事政権期とは、明らかに区別されるものです。政治学者のパク・サンフン氏は次のように述べています。

「民主化以降、韓国では立法府の自律性と政党の責任性を強化してきました。与党が政府の運営において、大統領とともに実質的な責任を担う方向に進むべきです。朴槿恵大統領がユ・スンミン院内代表を辞退させたことは、わが国が民主化以降に進んできた方向とは明白に逆行するものです。」

朴槿恵氏は、大統領制の最も基本的な概念である「大統領と議会の分離」、「牽制と均衡」の原理を無視しています。しかし2015年の韓国社会は、大統領が与党幹部の生殺与奪権を行使した「維新体制」でもなければ、“気に入らない”臣下の首をすげ替えた「王政時代」でもありません。民衆が勝ち取った「民主共和制」の社会です。

セヌリ党の若手議員たちも、期待外れでした。“来年の総選挙を朴槿恵ブランドで戦うしか勝算がない”との脅しに屈し、大統領にひれ伏しました。自ら選出した院内代表が大統領の指令で追放される事態に対し、票決もせずに拍手で通過させてしまいました。彼らこそ「国民の審判」を恐れるべきでしょう。

一方、ユ・スンミン氏は初心を貫き、堂々と院内代表の職を降りました。以下に辞任記者会見の一節を紹介します。

「尊敬する国民の皆さん、党員の皆さん。私はきょう、セヌリ党議員総会の意を受け、院内代表の職を降ります。...国会議事堂に来る道すがら、この16年間に毎日くり返してきた問いを、きょうも自分に投げかけました。“私は何のために政治をするのか?”。

政治とは、現実に足を踏み入れ、開かれた心で崇高な価値を追求する仕事です。泥土に蓮を咲かせるように、いくら悪口を言われても世の中を変えるのは政治だとの信念で、私は政治家として活動してきました。

平素ならとっくに辞めていただろう院内代表に最後までこだわったのは、どうしても守りたい価値があったからです。それは法と原則、そして正義です。私の政治生命をかけて、“大韓民国は民主共和国である”と闡明した、憲法第1条1項の厳粛な価値を守りたかったからです。

いささか混乱を引き起こし不都合な事態になっても、誰かがその価値にしがみつき守りぬいてこそ、大韓民国は前進するのだと判断しました。過ぐる2週間、私の至らぬ固執によって国民の皆様にはご心配をお掛けしました。しかし、法と原則、そして正義の具現において少しでも寄与できたのなら、私はいかなる批難も甘んじて受けるつもりです。

...4月の就任演説で、“苦痛にあえぐ国民の立場で改革を進める。私が夢見る温かい保守、正義の保守の道を進む”と約束しました。その約束も果たせずに職を降りることは残念です。しかし、もはや院内代表ではありませんが、より切実な心で、私たちの夢をかなえる道を邁進していきます」。

ユ・スンミン議員の記者会見を聞きながら、一つの疑問が頭をもたげてきました。
「はたして、大韓民国は民主共和国なのか?」...(JHK)。