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歴史教科書の国定化に関する国会審議。傍聴する女子高生たち(10.16)
1972年10月17日、朴正熙大統領(当時)は特別宣言を発表して全国に戒厳令を宣布した。全国の主要な拠点には戒厳軍が駐屯し、憲法の効力は停止した。国会の解散、政党活動の中止、大学の休校...といった一連の措置が取られ、非常国務会議は朴正熙の永久執権を可能とする憲法改悪に着手する。79年10月まで続く暗黒の「維新体制」が始まったのだ。1961年「5・16クーデタ-」で権力を盗取した朴正熙の、二回目の軍事クーデターである。
それから43年を経た2015年10月12日、朴槿恵政権は中学・高校の韓国史教科書を検定から国定に変換すると発表した。多数の歴史学者と中・高の歴史科教員、学父母と生徒たちが反対するなか、民意を無視しての一方的な措置だった。韓国社会では今、“父の軍事クーデター、娘の歴史クーデター”と糾弾する声が広がっている。
韓国での、教科書をめぐる歴史的な経緯を振り返ってみたい。検定教科書を使用していた韓国史の授業で、初めて国定教科書が導入されたのは1973年(配布は1974年2月)のことだ。「維新クーデター」の翌年である。筆者も当時、「国史」と命名された国定教科書で韓国史を学習した世代だ。
「5・16軍事クーデタ-」を“革命”と讃え、軍事独裁政権の首長を“英雄”と美化する教科書だった。解放前の単元では大日本帝国の残虐性には触れるものの、植民地統治に協力した親日派に関する記述はなかった。「維新体制」が、朴正熙ら親日派の、親日派による、親日派のための独裁政治に他ならなかったからだ。
民主化の進展とともに、国定教科書の弊害を指摘する声が拡大する。盧武鉉政権末期の2007年、遂に検定教科書が復活し、名称も「韓国史」に変更された(配布は2011年から)。それが今、再び国定教科書へと後退することになったのだ。国定教科書は2017年度から導入されるという。
現況はどうなのか。韓国の中学と高校では、検定を通過した8種類の韓国史教科書の中から、各学校が一つを採択している。選択権は教員の側にあり、当事者である生徒たちと父母の声が反映されている。史実を歪曲した教科書は当然ながら、採択されない。
朴槿恵政権下の2013年8月20日、教科書検定に際して権限を持つ「国史編纂委員会」は、ニューライト系の学者たちが執筆し“親日・独裁の美化”と論議を呼んだ「教学社」の教科書を認定した。しかし、全国の800を超える高校のなかで、最終的にこの教科書を採用したのは、朴槿恵氏の実妹が理事を務める釜山の高校だけだった。今回の国定化は、検定の壁すら克服できない現状に業を煮やした朴槿恵政権の強行措置と言えよう。
だが、検定制度そのものが教育に対する政府の介入として問題視されるべきだろう。かつて日本でも、家永三郎氏が「教科書検定は日本国憲法違反」として政府を相手に民事訴訟を起こしている。国定制度は更に、歴史教育に対する権力の介入と統制を強化するものであり、政権にとって好都合の歴史観で次世代を洗脳する暴挙と言わざるを得まい。2013年の国連第68回総会でも、多様な教科書で歴史教育を行うべきだとの「歴史教育指針」が発表されている。
世界の現状を見よう。経済協力開発機構(OECD)34カ国のなかで、国定制を採用している国は一つもない。17カ国が自由発行制(民間出版社が政府の検閲なしに自由に発行)、4カ国が認定制(民間出版社の教科書を公的機関が事後認定)、13カ国が検定制を採用している。OECD以外で国定教科書を採用しているのは、朝鮮民主主義人民共和国・モンゴル・バングラデシュ・スリランカ・ベトナムと、一部のイスラム国家だけだという。
朴槿恵氏は大統領就任直後の2013年から、検定教科書が“左翼的”で全国教職員労組(全教祖)は“アカの巣窟”だと罵倒していた。「正しい国家観と偏らない歴史意識」を強調し、「国家の関与による単一歴史教科書の必要性」を主張してきた。大統領の確固たる意志を反映してか、朴槿恵政権下の韓国社会はあたかも、マッカーシズムの“アカ狩り”旋風が吹き荒れた1950年代のアメリカを想起させる。
例えば、朴槿恵大統領が肝いりで任命した「放送文化振興会」のコ・ヨンジュ理事長は、今月に開かれた国会の国政監査で、故盧武鉉大統領や現野党党首のムン・ジェイン氏を“共産主義者”と誹謗してやまなかった。いくら公安検事出身の人物とは言え、国会の場で堂々と“アカ狩り”発言を行うのが韓国社会の現状だ。
あるいは、国家記録院である「大統領記録館」(2008年4月開館)の表札を、昨年12月に交替している。この表札が、著名な書道家であるシン・ヨンボク氏(統一革命党事件で20年を服役)の字体を使用したことに、保守団体が抗議したからだという。たかが一枚の看板(表札)ですら、容赦なく“アカ狩り”の対象になってしまうのだ。
なぜこの時点で、朴槿恵氏は国定化を敢行したのだろうか。そもそも、こうした重大事項を国会の同意を経ることなく、大統領の指示を受けた教育部の発表で実施できることに驚きを禁じ得ない。しかも教育部が9月23日に告示した「2015年度教育課程」には、次回の中高校歴史教科書の適用時期が2018年3月となっている。それを1年繰り上げて2017年3月にしたのは、現政権の任期(2018年2月末まで)内に国定教科書を導入するためであろう。そして2017年は、朴正熙の生誕100周年に当たる。
朴槿恵氏は平素から、民主化によって父親が不当に評価されたと憤っており、その名誉回復を最大の使命と見なしてきた。今年の国連総会でも、父が推進した「セマウル運動」の広報活動に多くの時間を割いたほどだ。親日と独裁を擁護する国定教科書を導入することで、亡父の名誉回復を図ろうとするのだろうか。歴史教育を私物化することは、断じて許されない。
李承晩政権を筆頭に、解放後の韓国社会は親日派を基盤とする保守勢力が主導してきた。その中で最も強圧的な体制が、朴正熙の「維新体制」だった。朴槿恵大統領はこの「維新体制」に正当性を付与し復元しようとしている。韓国社会の未来を左右する体制次元での反動であるだけに、今回の国定化を看過することはできない。再言になるが、現政権に歴史教育の掌握を許せば、彼らが未来を支配することになるからだ。
最後に、国定教科書を拒否する生徒たちの、切実な声を紹介したい(JHK)。
「韓国史を国定教科書で学ぶことは、現政権の歴史思想を注入されることに他なりません。李承晩を敬い独裁政治を美化する現政権の史観を教えることは、洗脳であり、暴力です」(高校二年生)。
「朴槿恵大統領、韓国史を家族史にすり替えないで下さい。親日派の歴史記述を縮小し、独裁を美化する教科書で学びたくありません。歴史教員を目指す自分の夢が、とても虚しく惨めに思えます」(高校二年生)。
「国定教科書には政権の意図が介入するので、客観的とは言えません。わが国の歴史を、特定の方向でしか見れなくします。朴正熙は英雄として、親日派は好意的に書かれるでしょう。それは正しい教科書ではなく、病んだ教科書です。このまま国定教科書になれば、私たちは“独島(竹島)は我が領土”と教える日本の教科書を批判できなくなります。国民がこんなにも反対しデモまでするのに、国定教科書を推進するのは‘独裁’です。どうか、‘大韓民国は民主共和国だ’と定めた憲法の条文を想起して下さい」(中学二年生)。
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