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写真ー昨年訪れた時、故人の自宅書斎にて
追悼ー朴 永吉 長老へ
ソウルの地下鉄スユリ駅からタクシーで15分位の、小さな坂道をあがると開放されたままの小さな家がある。
牧師であるとか闘士であるとかのたたずまいでは決してない。
数度の訪問は、慣れ親しんだ兄弟の家のようでもあり、長老のにこやかさは親そのものであった。
1994年に文益煥牧師が亡くなり、その後の訪問であった。
前回の訪問では、横浜神学校時代の友人、尹潽善元大統領夫人の話を懐かしそうに語っていた。
牧師の詩を直筆で書き、その書の何点かは三千里鐵道の事務所に掲げてある。
亡くなられた9月25日、「投票2012」のスタートの日。
去るもの、新しく生まれるもの、世の常とはいえ惜別の限りでもある。
残された者は、冥福を祈るしかできない。
合掌。
2011年9月27日
都 相太
追悼ー朴 永吉 長老へ
ソウルの地下鉄スユリ駅からタクシーで15分位の、小さな坂道をあがると開放されたままの小さな家がある。
牧師であるとか闘士であるとかのたたずまいでは決してない。
数度の訪問は、慣れ親しんだ兄弟の家のようでもあり、長老のにこやかさは親そのものであった。
1994年に文益煥牧師が亡くなり、その後の訪問であった。
前回の訪問では、横浜神学校時代の友人、尹潽善元大統領夫人の話を懐かしそうに語っていた。
牧師の詩を直筆で書き、その書の何点かは三千里鐵道の事務所に掲げてある。
亡くなられた9月25日、「投票2012」のスタートの日。
去るもの、新しく生まれるもの、世の常とはいえ惜別の限りでもある。
残された者は、冥福を祈るしかできない。
合掌。
2011年9月27日
都 相太
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