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光州は民主主義の抽象名詞-リヨンヒ先生逝く

2010年12月08日 | 南域内情勢
写真ー7日午後1時頃光州ワイエムシーエーに用意された故リ・ヨンヒ先生焼香所を訪れ, 故人を追慕している。


光州は民主主義の抽象名詞

リ・ヨンヒと光州ー70年代末光州で‘獄苦’5・18民主墓地に埋葬


“眼差しの澄んだ方でした。 闘士の顔に志士の姿….”

7日午後1時頃光州ワイエムシーエー(YMCA) 2階に用意された故リ・ヨンヒ先生焼香所を探したイム・ソンスク(45)弁護士。 彼は2007年5月、5・18記念文化会館で光州を訪ねた故人に偶然に会ったことがある。

“ア、先生”
とごあいさつすると、すぐにリ先生は“ア、私を分かりますか?”と。

イム弁護士が“学生の頃、先生の本をたくさん読みました”と答えるリ先生は嬉しそうに笑った。

生前のリ・ヨンヒ先生は光州と縁が深かった。
彼が光州と初めて縁を結んだのは、維新独裁が極限にまで至った1970年代末だった。 1977年11月、<偶像と理性>などの本を出した彼は、反国家団体を鼓舞・称賛したという理由で、2年余りの間投獄、途中1979年光州刑務所に移された。

当時リ先生は0.9坪の監房で<韓国の仏教思想>等の仏教書籍を読みふけった。
記者時期、白酒を好んで飲んでいた生前のあるインタビューで、
‘光州刑務所に入って定時・定量・定質・定期の食生活で胃病の治療になった’と回顧した。

1980年5月17日. 彼はこの日夜11時30分自宅で当時中央情報部に引きずられて行った後、苦難に会って60日ぶりに解放された。
リ・ヨンヒ先生は夫人から光州虐殺の話を初めて伝え聞いて
“数千名を虐殺?…軍隊が?…光州で?…”
と言葉を詰まらせたという。

彼は‘民主主義の抽象名詞’という言葉で‘光州’に献詩を捧げた。
彼は1980年5月18日を、韓国現代史の時代的分岐点と見た。 “光州は韓国のある地方に表示された小さい都市名としての固有名詞でなく、同時代の世界的理念になった。 光州は‘光州’になった。
‘光州’は暴力と不正に抗議、命を捧げた市民の勇気と感動的な犠牲精神を意味する抽象名詞になった。”

平安北道出身。常に北の故郷を懐かしがった故人は、それでも自身の死骸は光州に埋葬してくれることを普段から希望してきた。


故人の希望によりリ・ヨンヒ先生民主社会葬儀委員会(共同委員長コ・ウン、ペク・ナクチョン、イム・ジェギョン)は8日午前7時ソウル、新村セブランス病院で告別式を行った後、午後4時光州市北区雲亭洞の国立5・18民主墓地に故人の遺体を安置する予定だ。


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