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“チンピラが光州行ってデマねつ造”

2010年05月17日 | 南域内情勢

“チンピラが光州行ってデマねつ造”

戒厳司令部発表に言論は何をしたか…

2010年05月12日(水)イ・ジョンファン記者( black@mediatoday.co.kr)

1980年5月光州に言論はなかった。 言論は戒厳司令部の報道資料を書き取り、デモに加担した市民らを暴徒に追い詰めながらも、戒厳軍の発砲事実には沈黙した。
朝鮮日報は5月22日“光州事態が悪化した原因は、全国的な非常戒厳が宣言されるやソウルを離脱した学生運動家やチンピラなどの現実不満勢力が大挙光州に行って、事実無根なデマをねつ造したのがその原因”と戒厳司令部の発表を引用し報道した。

言論は市民軍の銃器奪取と防火など過激デモにだけ焦点を合わせた。 警察と軍人らの死亡者が多かったことも事実だが、戒厳軍の民間人虐殺に対しては、ただの一行も記事が出なかった。

朝鮮日報は27日“国軍が善良な絶対多数光州市民、すなわち国民の一部を保護するための行動に従うほかはないことは当然”としながら“戒厳軍は一般の想像よりはるかに極小化した犠牲だけで、事態を沈静させるのに成功した”と評価した。

放送の場合は、わい曲がより一層激しかった。 北朝鮮軍の武力訓練場面を繰り返し流し、血を流す戒厳軍と市民軍の武装デモ場面を交差編集した。 市民らが銃を取る他に方法のなかった背景説明はどこにも探せなかった。 軍人らが市民らに銃を乱射した、このぞっとする事件は全斗煥政権の終わった1987年になってはじめて国民に知らされた。

全斗煥新軍部は10・26事態以後、徹底して言論を統制した。 報道機関に常駐している検閲官らが‘検閲‘という印鑑を捺して、印刷ができた。“学生たちの行為を正当化したり支持するような記事は全部不可”、“同僚が負傷すると警察も興奮、学生たちと肉弾戦に近い近接戦闘行ってなどは不可”等の原則が出された。


言論が徹底して光州の現実を冷遇しているなか、市民による「闘士会報」は唯一の新聞の役割をした。 闘士会報製作に参加した人々の証言によれば、彼らは配布と取材活動を併行した。 6号には“現在病院で確認された死体が102人、郊外に捨てられた死体、軍人らが運び去った死体が550人、合計600人以上の死亡者が発生した。重傷者500人余り、軽傷者を含む、総2千人余りのケガ人が発生した”という内容も載っている。







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