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唐辛子の歴史、逆説

2009年02月20日 | 管理人のつぶやき


‘唐辛子の伝来に逆説’
<金ヤンヒ記者142>

最近 ‘韓国人は壬辰の乱以前から唐辛子をもう食べていた’と言う内容の資料を入手した。
今まで唐辛子は、ポルトガルを通じて日本から伝来されたとの学説が定説になっていたが、この度の発表は、その以前から韓国内で唐辛子が利用されていたし、むしろ壬辰の乱当時韓国から日本に伝来した、という内容だ。

唐辛子は壬辰の乱が起きた日(1592年)に日本から 我が国に入って来たとの主張が通説として受け入れられていた.
だから我が国の代表的な食べ物であるキムチも、今のように赤い形態ではなかったし、その歴史もまだ 200余年(?)しかならないと言われていた.


唐辛子は当時、食用どころか猛毒がある毒草として扱われ、或者は当時日本人が朝鮮人を毒殺する目的で恐ろしい毒草を持って来たという噂が出回った位とまことしやかに言われた.

しかし日本の多数の文献には、唐辛子はむしろ壬辰の乱の時、韓国から日本に伝来されたと伝えています.

1709年出刊された ‘大和混調’(?)には ‘昔の日本にはなかったし、秀吉公が朝鮮を征伐する時その国から種子を持って入って来た. だから高麗コショと言う’と紹介している.

最近、去る 18日に、韓国食品研究員・権テヨン博士チームと韓国学中央研究員・鄭キョンラン責任研究員は、季刊 ‘韓国の味.韓国の魂’に、唐辛子の伝来に関する研究から‘日本伝来説’を否定した.

イギリスの大英百科辞書(Britanica Encyclopia)には、唐辛子の原産地が中央アメリカ、中国及びインドなどと記録されている、アジア大陸, 特に中国に唐辛子が数千年前から存在した、と記されている。また、幾多の古い文献記録も今度の研究を通じて新しく見つけた.

権博士は “昔から我が国は唐辛子を利用した食べ物が非常に多様で、ほとんどすべての食べ物に唐辛子が入るのに比べて、唐辛子を原料で使う食べ物があまりない日本からどうして唐辛子が入って来ただろうか? とする疑問などが解消された”と伝えた.
(詳細は統一ニュースに)

(記者の感想)

私も唐辛子の日本伝来説に接する度に、地図を広げポルトガルからアメリカに、そしてまた海を渡って日本に伝達、そして海を渡って我が国に伝来したということが理解できなかった. 単純に思っても、大陸を通じて我が国に伝わり後に日本に伝わったとするほうが分かり易い.

この研究結果によって我が国に存在していた唐辛子を、子孫たちの誤った認識で我が国の代表的な食品であるキムチ, コチュジャンなどが WIPO(世界知的財産権協議期で)の世界文化遺産に登録されたのに、その文化的裏付がなく困ったことがあったので、正直ほっとしている。唐辛子の歴史を、取り戻した喜びを皆さんと共有したい.



これまでの通説を信じ、他人にしゃべったり記事にしたりしてきた。心のどこかに疑問を残したまま…。
曰く、キムチの語源は「沈菜」(チムチェ)から。日本のお新香のようなものがキムチの原型と推測される、とさも分かった風にしゃべっていた。
これで納得!金ヤンヒさん、カムサハムニダ。namsang

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