NPO法人 三千里鐵道 

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韓前総理ーみみずくは飛ぶ

2009年07月15日 | 南域内情勢
[49祀を終えて]
         あなたはもうこれ以上一人ではありません

                        2009.7.12
                        ノムヒョンサイトから

数百万のみみずくが目覚めて、飛び立ちます。大統領様の遺骨を暖かい日差しの降り注ぐ烽火山麓に安置しました。 はじめてその方との離別を実感します。

49祀を終えた後,多少疲れたからだで家に帰ってきました。 玄関に入るや色々な数多くのみみずく人形らが、大きな目で私を迎えました。 私はみみずく人形収集家です。
暗い夜に光を放つ‘知恵’の鳥。 そのようなみみずくが好きで, 一つ二つ集め始めたのが10年がすぎ、いつのまにか200余羽になりました。
今日もいつものようにみみずく人形は、自分の姿を黙って見ています。

だがこの頃、そのようなみみずくを見るのが恐ろしかった。 ちらりと見ただけでも胸が痛みます。 なぜ、よりによって‘みみずく岩’だったのですか?

亡くなったノ・ムヒョン大統領様の穏やかな微笑が、大きく開いたみみずく人形の目に悲しく浮び上がります。 あなたが上がられたみみずく岩の重さが、私の胸を押さえ付けます。 どのような思いで上がりましたか?

身を投げる覚悟で上がられた、その一歩,一歩の足の重さを考えると悲嘆に暮れます。 人生最後の足取りを進めるその心情は、またどれほど恐ろしく、大変でしたか? あなたは人生の最後の瞬間まで、凄絶なほど佗びしく孤独な方であります。

“私はみな離れて行ったと思ったよ”

2006年12月29日,総理在任時期のことです。 大統領が国政にとりわけ大変だった時,総理公館で夕方招待を受けたことがありました。 その場には、イ・チャンドン監督とムン・ソングン氏そして2002年大統領当選のために最善を尽くした何人かの文化系の人々が共に招待されました。

その当時は参加政府が推進してきた主要政策を、野党と保守勢力はもちろん大統領を支持した進歩改革勢力までもが批判の声を高め,世論がとても悪化していた時でした。
政治と文化に関する多くの対話をした後、四人をじっくりと眺められた大統領が、ゆっくりそして重く口を開きました。
“私は君らがみな離れたと思ったよ。”
瞬間鼻先がじいんとしました。。 そのお言葉の中に自身を批判する改革勢力に対するさびしさと、自身の責務に耐えなければならない指導者の苦悩と孤独、そして支持者らに対する申し訳ない思いが滲んでいたためです。 人間ノ・ムヒョンでない,大統領ノ・ムヒョンの痛みと喪失をそっくり感じるしかありませんでした。

“進歩と保守が一緒に住んでいる国”

退任後ボンハ村で大統領様を尋ねた時,あなたはこう告白しました。
“権力を握った人は、真の意味での進歩を実行できません。”“国家の経営のために現実を度外視できませんでした。 我が国は進歩と保守が一緒に住む国であるためでしょう。”“私は国民統合をいったが、結局国民を統合することができなかったです。 現実の制約と壁がとてもかたかったためです。”大統領で生きてきた5年の間感じられた絶体絶命の孤独. 進歩の力で世の中を変化させたかったが保守を抱いて進歩と保守の協力と調和を悩まなければならなかった現実.
国民統合をそれほど渇望したが,国民が分裂していく姿を見守るほかはなかった義に徹した政治家ノ・ムヒョンの心情はどのようだったでしょうか?

あなたを支持した人々が, あなたをののしって,野党と保守言論はあなたの一挙手一投足を針小棒大しながらけなし続けてきました。 あなたは皆が離れた荒涼とした野に一人立って,一言の悲鳴すら上げず風雨にそのまま打たれてきました。

“私が責任を負わなければならないですね”

大統領様が検察に出席して,数日後の5月2日,私はあなたを最後に尋ねました。 耐えておられる痛みがあまりにも大きくて、頑張りなさいと手でも握って差し上げるつもりでボンハ村を訪ねました。 大統領様は、国民に対して申し訳ないと深い自責感に陥っておられました。 不眠により目が落ちくぼみ、精気がない目で私におっしゃいましたよ。

“結局全てのものが修身斉家できない私のせいです。 私が責任を負わなければならないのですね。

ア~!

私はあなたがおっしゃった‘責任’が、自身の身を捧げることであるとは、分からなかったです。 絶体絶命の絶壁の下に自身を投げ, 世の中の不条理に抵抗しようとする「丹心」であるとは、とても知りませんでした。

恥ずかしかったです。

釜山大病院で大統領様をまた会いに行った日、足がフラフラしました。 守って差し上げることが出来なかった、私の弱さが申し訳なくて,とても写真の中のあなたに向き合う勇気が出なかったです。
告白しますが、私もやはりあなたが‘みな離れたと思った’人の中1人でした。 あなたが検察と言論の投石を黙黙と耐え抜いておられる時, 私は沈黙しました。 残忍な世の中の凶悪と暴力にも抗弁できなくて、胸だけかきむしっていました。
申し訳ありません。 守って差し上げることができませんでした。

‘みみずく岩’の上に、目覚めた数百万のみみずくがまた飛び立ちます

ノムヒョン大統領様!
だがもうその恥は、私の胸に確信となって刻まれました。 もう二度と国民に,そしてあなたに申し訳ないとは言いません。
あなたの犠牲が,あなたの最後の代贖が、離れたと思った国民の心を振り向かせたのです。 みな離れたと思った,ちりぢりに散ってちりぢりに破られたと思った人々が、真実と正義を守ることが出来ずみじめな後悔を胸に抱いていた人々が、いま風となって,またあなたを訪ねてきました。
大統領様は‘国民が考える分だけ歴史は進歩する’とおっしゃいました。 もうあなたが上がられたそのみみずく岩の上で、自覚し目覚めた数百万,数千万のみみずくが、また舞い上がるでしょう。

49祀を終えて,私は居間のみみずくらと向き合っています。懺悔の心情で土で作られたみみずくの燭台に灯をともしました。
生き残った者の悲しみと後悔を、真実の反省と力強い連帯の溶鉱炉の中で残らず燃やし,この土地を生きていく人々の希望に変えたい思いで…。

ノ・ムヒョン大統領様.
あなたはもうこれ以上一人ではありません。

2009年7月12日ハン・ミョンスク拝

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1 コメント

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また私が書くことがなくなった (maneappa)
2009-07-16 11:53:21
韓明淑元総理の書かれたこの文は、私の心をそっくり映したように思えます。
2006年だったか、光州で6.15行事があった時にその晩餐会で少しご挨拶申し上げた時も、その気さくでしなやかなお人柄に触れたことを今でもはっきり覚えています。

盧大統領をちゃんと記憶すること、
そして申し訳ないと思う以上に、この時代においてなすべきことをなすことを約束します。
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