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ソウル高等検察庁での参考人調査を終え、無罪を主張するユ・ウソン氏(2014.3.12)
韓国社会では今、ある“スパイ事件”の控訴審が進行中だ。当事者はユ・ウソン氏(34才)。
ソウル市の元契約職員で生活保護受給者の管理を担当していた。ところが2013年1月、彼は入居先のアパートから国家情報院に連行される。数日後には、「脱北者を偽装してソウルに潜入した北のスパイ、脱北者の個人情報を北朝鮮に提供」というセンセーショナルな報道が、韓国の新聞・テレビでくり返された。
彼は咸境北道会寧市で生まれ育った華僑である。曽祖父は漢族の独立運動家で、朝鮮人とともに日本帝国主義との抗争を闘った。祖父は子孫が中国ではなく朝鮮に定着することを望み、ユさんの一家は解放後、朝鮮半島北部に定住することになった。ユ・ウソン氏は2001年に咸境北道の鏡城医学専門学校を卒業し、会寧市のある病院で准医師(医師補助)として勤務した。
華僑の立場から中国を往来する機会に恵まれていた彼は北の体制に幻滅し、脱北を決意する。ただ、祖父の代から朝鮮半島で暮らしたユさんは、行き先として中国ではなく韓国を選択した。2004年3月、韓国に来た彼はさまざまな職種を体験しながら学費を蓄え、2007年に延世大学への入学を果たした。そして2011年6月には、ソウル市庁の福祉政策課に契約職公務員として採用されたのだ。
生活が安定したので彼は、妹を呼び寄せ一緒に暮らすことにした。韓国で脱北者は、極めて不安な立場に置かれている。ほとんどが定職に就けず、パートタイム労働者として最下層の収入で暮らすしかない。また、情報機関の管理下に置かれるため、日常的に機関員との接触を余儀なくされる。ユ・ウソン氏も妹の件で国家情報院の関係者と相談し、その人間から「妹の韓国定着に便宜を図ってあげる」と言われたそうだ。
しかし、ユ・ウソン氏が“スパイ事件”で起訴される決定的な証拠とされたのが、妹ユ・ガリョさんの陳述だった。2012年10月、兄の後を追って韓国に来た妹は、国家情報院の運営する訊問センターで数ヶ月間にわたる厳しい捜査を受けた。暴行と脅迫に耐え切れなかった妹は、捜査官の要求するまま“兄は北のスパイだ”と自白するしかなかった。
妹は法廷で、勇気をふりしぼり国家情報院での陳述を翻した。また、民弁(民主社会のための弁護士会)が中国で行った現地調査の結果、公訴状に記載されたユ・ウソン氏の“入北事実”は虚偽であることが明らかになった。
2013年8月22日、ソウル地裁はユさんに無罪を宣告したが、当然のように検察は控訴した。しかも、新たな証拠として同年11月1日、ユ・ウソン氏が中国と北朝鮮を往来した際の出入国記録をソウル高裁に提出したのだ。
検察が提出したのは、ユ・ウソン氏が2006年5月に中国から北朝鮮へ出国し、翌6月に中国へ戻ったという中国当局の書類3件だった。この期間に彼が、北朝鮮の対南工作機関に取り込まれたことを裏付けるためだった。だが、裁判所が在韓中国大使館に照会したところ、書類はすべて偽造だったことが判明した。
書類は、在瀋陽総領事館に勤務する“領事”(国家情報院が派遣した職員)が「朝鮮族の協力者」から入手した。ところが、協力者とされる男性が今月5日、「偽造書類だということを国情院も了解済みだった」という内容の遺書を書いて自殺未遂をしたことから、疑惑はさらに拡大している。世論の糾弾を受けた検察も7日になって、証拠偽造事件として本格的な捜査を始めると表明した。
かつて、1970年代から80年代にかけて量産された“在日韓国人スパイ事件”でも、在日韓国領事館が発効する「領事証明書」が、重要な証拠として採択された。拷問による自白以外これといった証拠がないので、窮地に陥った検察が苦肉の策として“領事”に協力を仰いだのだ。
法的には何らの証拠能力もない出先情報員の一方的な主張を、裁判官たちは神妙な面持ちで“有罪の証拠”と認定したのだから、まさに暗黒の時代だった。「領事証明書」の内容は概ね“被告の周辺人物は朝鮮総連の活動家であり、彼らと接触した被告は北のスパイだ”と決めつけるものだった。
21世紀に入り、民主化が一定の進展をみた韓国社会だが、相変わらず“スパイ造り”に励む情報機関と検察の横暴が続いている。絶対権力を背景にした彼らの卑劣で厚顔無恥な行為が、どこからも制約を受けず何らの処罰も受けないとしたら、民主共和国としての大韓民国は存立しないだろう。以下に紹介した3月12日『ハンギョレ新聞』の社説を参考にされたい。(JHK)
検察が生きる道は、国家情報院への徹底捜査だけだ。
検察が3月10日、国家情報院を電撃的に押収捜索した。国家情報院によるスパイ疑惑の証拠捏造事件を明らかにするためだ。中央情報部の時期からすれば50年の歴史をもつ国家の最高情報機関に対する、三回目の押収捜索だという。表面的には検察の捜査意志を評価できるかもしれないが、何とも苦々しい体たらくだ。
先月14日、ソウル市元公務員ユ・ウソン氏“スパイ事件”の証拠が捏造されたという疑惑が拡大すると、検察は「文書が偽造であるはずがない」として国家情報院を擁護した。二日後には記者会見まで開いて、偽造疑惑がふくらんだ文書3件は全部「中国政府の機関が発行したもの」と弁明した。
初期捜査において決定的に重要な1ヶ月を、無為に放置したわけだ。その後、パク・クネ大統領が3月10日「徹底した検察捜査と国家情報院の協力」を指示するに至ってようやく、押収捜索に着手したのだ。1ヶ月も時間を稼いだのに、証拠をそのまま保存している犯罪人がどこにいるだろうか。“後の祭り”にも程があろう。
国家情報院の提出した文書が偽造されたかもしれない、と疑うに足る契機が何回もあった。しかし検察は、裁判所に文書を伝達する配達人の役割だけを果たした。検察は昨年、国家情報院が文書を提出する前に、外交経路を通じて中国の機関に関連文書を要請したことがある。ところが、中国側から「発行の前例がない」という理由で拒絶された。
その二ヶ月後、国家情報院がまさにその“文書”を検察に提出したのだ。検察は、自分たちが正規の外交経路を通じても得られなかった中国の公文書を、国家情報院がどのように入手したのか確認すべきだったが、それをしなかった。
偽造されたことを知りながらも検察が捜査を進めたとすれば、国家情報院と共に証拠捏造の共同正犯になるか、少なくとも職務放棄に該当する。偽造されたことを知らなかったなら、検察は公安事件に関して、国家情報院に全面的に依存する「調書丸写し」の無能な機関であることを露呈したわけだ。
検察はすでに、国家情報院が犯した行為の後始末をするなかで、深い傷を負っている。国家情報院による大統領選挙介入事件を捜査し裁判を進める過程で、検察総長が追放され捜査チームは懲戒処分を受けた。検察は国家情報院の召使いではない。検察内部でも「これ以上、国家情報院の言いなりになってはいけない」という声が高い。国家情報院を引き続き擁護していたのでは、検察の存立そのものが難しくなるだろう。検察が生きる道は、徹底した捜査と真実の糾明だけだ。
自殺を試みた国家情報院協力者のキム氏は、国家情報院が組織的に管理してきた人物で、国家情報院の特殊活動費で雇用されたことは明らかだ。恐らく“上層部”が認知していたことは間違いあるまい。その上層部がどこまでなのか、糾明しなければならない。証拠捏造にかかわった対共捜査チームはもちろん、対共捜査を指揮する国家情報院の次長とナム・ジェジュン院長が文書偽造を知っていたのか、あるいは事後に報告を受けていなかったのか、明らかにしなければならない。
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