課題だ!
と言って、投げっ放しにしている話題に、少しだけ触れておきましょう。
「生きてることをありがたいと思わせるには、どうしたらいいのか?」
という課題ですよ。
皆さん、考えてくださいましたか?
てゆーか、皆さん自身は、
「生きてて良かった!」
「生まれて良かった!」
と、思ってらっしゃいますか?
思ってらっしゃるなら、
「なぜ、そう思えるのか?」
ということを、よくよく考えてみてください。
そうは思えないと言う方、いらっしゃいますか?
いらっしゃったら、教えてください。
全力で発剄をブチかましに行ってあげますからね。
死にそうな目にあうと、本当に、
「生きてて良かった!」
と、実感できますよ。
あ、じゃあ、これで問題解決だ。
違いますね。
「生きてて良かった!」
と、思えるのは、「生きていたい」「死にたくない」という煩悩の所為です。
その点では、「生きていたくない」「死にたい」と思っている人は、「生きてて良かった」と思っている人よりも、煩悩が少ないのかもしれません。
煩悩が少ないということは、私たちにとっては、先生みたいなものですから、よくよく話を伺って、勉強させていただく必要がありますね。
事実としては、「死にたくない」のが煩悩なら、「死にたい」のも煩悩なので五分五分なんですが、そうだとしても、「死にたい」という方からは、学べることがたくさんあります。
「生きていたい」ばっかりの私たちは、「死にたい」のが異常だと、思いこまされているのですから。
そもそも、仏教的には、「死にたくなる」のが自然であって、「生きてて良かった」なんて思えるのは、非常におかしいのです。
第1号を思い出してください。
「人生は苦である」
ですね。
だから、「こんな苦しい所には、二度と生まれて来ませんように」と、シッダールタ青年(御釈迦さま)は旅立ったのでしたね?
覚えてますか?
これ、「生まれて来なければ良かった」ってことですよね?
だから、「もう生まれてきたくない」って、思ってたんですよね?
実は、「生まれ変わる」というシステムには、人から「死にたい」という気持ちを奪う効果があります。
死んだって、また生まれてくるんですから、この苦しい世界に。
次の人生が今よりマシかどうかなんてことは、誰にも分りません。
下には下があるのです。
だから、生まれ変わりワールドには、
「苦しみから逃れるために死ぬ」
なんて選択肢など、端から無いのです。
ちなみに、生まれ変わりワールドには、「生まれて良かった」を感じさせる仕掛けも仕組まれています。
「あいつより上に、生まれて良かった!」
カースト制度、大活躍ですね。
人民を生かさず殺さず酷使するための、実に良くできた支配システムです。
そんな社会に!
「生まれ変わらないよ」
というカウンターをぶち込んだのが、お釈迦様です。
どうなりますか?
「生まれ変わらなくていいなら、早く死んだ方が楽じゃん。」
という気持ちになりませんか?
それが仏教です。
それでも、お釈迦様は、それもお見通しで、解決策も教えてくださいました。
「煩悩無くせば、苦もなくなるよ!」と。
苦が無くなれば、死にたい理由もなくなるわけですからね。
しかし!
煩悩、無くなりますか?
煩悩、減りますか?
減ってませんよね?
苦しいですよね?
辛いですよね?
死にたくもなりますよね?
と、いうのが、自然な流れですよね?
そうなのです。
仏教は、死にたい気持ちを止められない。
まず、謙虚にそこを受け止めましょう。
さらに、浄土教は、もっと大変ですよ。
「死んだら極楽って、素晴らしい所に往けるんだぜ!」
と、死にたい気持ちの背中を押してしまったのです。
ふざけて言ってるわけではありませんよ。
「捨身往生(しゃしんおうじょう)」という言葉がありますが、これ、浄土へ早く往生するために、自ら死ぬことです。
こんな用語があるということは、実際にそうした人たちが、少なからずいたということですね。
中国では、五世紀くらいから記録に残っていたと思います。
なにせ、親鸞聖人がたいへんに御尊敬されていた善導大師という方の伝記には、
「早く浄土に往きたいので、柳の木から身を投げて、捨身往生を遂げた」
と、いうことが書かれているものもあるのです。
事実かどうかは不明ですよ。
おそらく事実ではない・・・と思いたいです。
しかし、そのような記録が、善導大師を顕彰するために書き残されたということから考えれば、そのような最期が理想的な姿であるという認識が存在した、ということです。
こんな仏教を学んで、「生きてて良かった」なんて思えますか?
思えそうにないので、次回に続きます。
と言って、投げっ放しにしている話題に、少しだけ触れておきましょう。
「生きてることをありがたいと思わせるには、どうしたらいいのか?」
という課題ですよ。
皆さん、考えてくださいましたか?
てゆーか、皆さん自身は、
「生きてて良かった!」
「生まれて良かった!」
と、思ってらっしゃいますか?
思ってらっしゃるなら、
「なぜ、そう思えるのか?」
ということを、よくよく考えてみてください。
そうは思えないと言う方、いらっしゃいますか?
いらっしゃったら、教えてください。
全力で発剄をブチかましに行ってあげますからね。
死にそうな目にあうと、本当に、
「生きてて良かった!」
と、実感できますよ。
あ、じゃあ、これで問題解決だ。
違いますね。
「生きてて良かった!」
と、思えるのは、「生きていたい」「死にたくない」という煩悩の所為です。
その点では、「生きていたくない」「死にたい」と思っている人は、「生きてて良かった」と思っている人よりも、煩悩が少ないのかもしれません。
煩悩が少ないということは、私たちにとっては、先生みたいなものですから、よくよく話を伺って、勉強させていただく必要がありますね。
事実としては、「死にたくない」のが煩悩なら、「死にたい」のも煩悩なので五分五分なんですが、そうだとしても、「死にたい」という方からは、学べることがたくさんあります。
「生きていたい」ばっかりの私たちは、「死にたい」のが異常だと、思いこまされているのですから。
そもそも、仏教的には、「死にたくなる」のが自然であって、「生きてて良かった」なんて思えるのは、非常におかしいのです。
第1号を思い出してください。
「人生は苦である」
ですね。
だから、「こんな苦しい所には、二度と生まれて来ませんように」と、シッダールタ青年(御釈迦さま)は旅立ったのでしたね?
覚えてますか?
これ、「生まれて来なければ良かった」ってことですよね?
だから、「もう生まれてきたくない」って、思ってたんですよね?
実は、「生まれ変わる」というシステムには、人から「死にたい」という気持ちを奪う効果があります。
死んだって、また生まれてくるんですから、この苦しい世界に。
次の人生が今よりマシかどうかなんてことは、誰にも分りません。
下には下があるのです。
だから、生まれ変わりワールドには、
「苦しみから逃れるために死ぬ」
なんて選択肢など、端から無いのです。
ちなみに、生まれ変わりワールドには、「生まれて良かった」を感じさせる仕掛けも仕組まれています。
「あいつより上に、生まれて良かった!」
カースト制度、大活躍ですね。
人民を生かさず殺さず酷使するための、実に良くできた支配システムです。
そんな社会に!
「生まれ変わらないよ」
というカウンターをぶち込んだのが、お釈迦様です。
どうなりますか?
「生まれ変わらなくていいなら、早く死んだ方が楽じゃん。」
という気持ちになりませんか?
それが仏教です。
それでも、お釈迦様は、それもお見通しで、解決策も教えてくださいました。
「煩悩無くせば、苦もなくなるよ!」と。
苦が無くなれば、死にたい理由もなくなるわけですからね。
しかし!
煩悩、無くなりますか?
煩悩、減りますか?
減ってませんよね?
苦しいですよね?
辛いですよね?
死にたくもなりますよね?
と、いうのが、自然な流れですよね?
そうなのです。
仏教は、死にたい気持ちを止められない。
まず、謙虚にそこを受け止めましょう。
さらに、浄土教は、もっと大変ですよ。
「死んだら極楽って、素晴らしい所に往けるんだぜ!」
と、死にたい気持ちの背中を押してしまったのです。
ふざけて言ってるわけではありませんよ。
「捨身往生(しゃしんおうじょう)」という言葉がありますが、これ、浄土へ早く往生するために、自ら死ぬことです。
こんな用語があるということは、実際にそうした人たちが、少なからずいたということですね。
中国では、五世紀くらいから記録に残っていたと思います。
なにせ、親鸞聖人がたいへんに御尊敬されていた善導大師という方の伝記には、
「早く浄土に往きたいので、柳の木から身を投げて、捨身往生を遂げた」
と、いうことが書かれているものもあるのです。
事実かどうかは不明ですよ。
おそらく事実ではない・・・と思いたいです。
しかし、そのような記録が、善導大師を顕彰するために書き残されたということから考えれば、そのような最期が理想的な姿であるという認識が存在した、ということです。
こんな仏教を学んで、「生きてて良かった」なんて思えますか?
思えそうにないので、次回に続きます。
(見真塾サルブツ通信Vol.0023より)