ある時、両親に尋ねてみたことがあります。
「浄土真宗をどう思う?」と。
私は在家出身なのですが、両親とも、所謂「家の宗教」は浄土真宗でした。
すると、
父「生意気だ。」
私「なんで?」
父「善導だけが正しい、とか言うだろ?」
私「善導独明仏正意(善導独り仏の正意を明かす)?」
父「そうそう、そういうところ。」
次は母です。
母「私、嫌い。」
私「なんで?」
母「だって、蓮如?あいつ、女、馬鹿にしてるでしょ?そういうやつ、大っ嫌い。」
私「え?馬鹿にしてる?」
母「してるでしょ。なに?女は字が読めないとか・・・・・」
私「ああ、一文不知の尼入道?」
母「それよ、それ。本当に、失礼。女をなめてる。」
と、こんなご意見をいただくことになりました。
お聖教の文言が、意味も含めて、耳に残っているところを見ると、二人とも、法事の最中、ボーっとしていたわけでもなさそうです。
その頃、まだ、学生だった私は、ムキになって、
「いや、それは、そういう意味じゃないんだ。」
とか、反論したんだと思います。
「わかってないな、こいつら」
だとか、
「いったい、何を聞いたら、そんな風に思えるんだ。」
みたいに、
「わからない方が、おかしい」
と、思ったんでしょうね。
「なぜ、あなたたちは、もっと、きちんと理解しようと思わないんだ!」
くらいのところまで、行ってしまっていたかもしれません。
いやあ、若かったんだなあ、私。
勤行本持たせて、一緒にお勤めだけして終わったら、こうなりますよね?
「独明仏正意」だとか「一文不知」だとか、目につきますよねえ。
「なんで、わかってくれないんだ?」
ではなくて、
「なんで、伝えられないんだ、俺?」
ですよね。
「浄土真宗をどう思う?」と。
私は在家出身なのですが、両親とも、所謂「家の宗教」は浄土真宗でした。
すると、
父「生意気だ。」
私「なんで?」
父「善導だけが正しい、とか言うだろ?」
私「善導独明仏正意(善導独り仏の正意を明かす)?」
父「そうそう、そういうところ。」
次は母です。
母「私、嫌い。」
私「なんで?」
母「だって、蓮如?あいつ、女、馬鹿にしてるでしょ?そういうやつ、大っ嫌い。」
私「え?馬鹿にしてる?」
母「してるでしょ。なに?女は字が読めないとか・・・・・」
私「ああ、一文不知の尼入道?」
母「それよ、それ。本当に、失礼。女をなめてる。」
と、こんなご意見をいただくことになりました。
お聖教の文言が、意味も含めて、耳に残っているところを見ると、二人とも、法事の最中、ボーっとしていたわけでもなさそうです。
その頃、まだ、学生だった私は、ムキになって、
「いや、それは、そういう意味じゃないんだ。」
とか、反論したんだと思います。
「わかってないな、こいつら」
だとか、
「いったい、何を聞いたら、そんな風に思えるんだ。」
みたいに、
「わからない方が、おかしい」
と、思ったんでしょうね。
「なぜ、あなたたちは、もっと、きちんと理解しようと思わないんだ!」
くらいのところまで、行ってしまっていたかもしれません。
いやあ、若かったんだなあ、私。
勤行本持たせて、一緒にお勤めだけして終わったら、こうなりますよね?
「独明仏正意」だとか「一文不知」だとか、目につきますよねえ。
「なんで、わかってくれないんだ?」
ではなくて、
「なんで、伝えられないんだ、俺?」
ですよね。