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渋滞している県道、大日寺を経て第十四番札所常楽寺へと到着。少し陽が傾きかけてきた。
ここのご本尊さんは88ヶ所中唯一、弥勒菩薩さんだ。ぶったまげた事に、この仏さんは、仏陀が入滅して、五十六億七千万年後の世界に現れて、人々を救ういう。
お釈迦さんが、あの世に帰られたのが大体二千五百年前。換算すると、弥勒菩薩は今から、約五億六千六百九十九万九千七百五十年後にお出ましになる。
一体、どんな人類が、いかなる困難に会い、どうゆう風に、救済されるのか? 興味がある。どころか、想像だに出来ない。
お参りの作法で、この仏さんに呼びかける呪文(正式には真言、あるいはマントラと言うらしい)の読み方とか分るのだが、アクセントとか上げ下げの調子がつかめない。ベテラン風のお遍路さんに声をかけてみる。
「すいません、ちょっとお尋ねしたいのですが」
と、菅笠の中を覗き込む、なんと目の青い外人さんだ。こういった場合、「アイムソリ」とお詫びをして、きびすを返すのが平均的日本人の習慣だ。
ましてやワシは広島の田舎者で、知り合いに被爆者も多い。そそくさと、立ち去ろうとすると
「わたし、おぼさんです、だいじょうぶ、もんだいない、なんですか?」
と、きたではないか、何で白人が宣教師ではなくて、坊主なのか、よう分らんが、こう切り返されては、由緒正しい敗戦国民として、引き下がるわけにはいかない。燃え上がる大和魂を抑えつつ
「ここに御真言が=おんまい たれいや そわか=とありますが、どのように発音すればよいのですか?」
「だいじょぶ、これはね、=ONMAI TAREIYA SOAKA =とはつおんします、もんだいない」
(注=紙面での発音表現はこれが限界です。我請涼諾 謝謝)
なるほど、実に、それっぽい云い回しだ。頭を下げて去ろうとすると再び
「あなたは、しんごんは、なにか、わかりますか」
大体において、宗教的白人はお節介だ。魚屋のわしに分る訳ないではないか。と思っているさなか、勝手に説明しだした。
こいつの口調で書くには、スペースがないので、かいつまんだところこうだ。
真言とは、昔のインドのことばで、真理を説いたり、それぞれの仏さんの徳をたたえる、短いお経のようなものであるらしい。
だから、ここ常楽寺では=おんまい たれいや そわか=と唱えて、ご本尊の弥勒菩薩の徳をたたえて、その徳にすがり、お願い事を、かなえてもらうと成るわけだ。
ほかに、有名なところでは、お釈迦様の場合は=のうまくさんまんだ ぼだなん ばく=ととなえれば良いらしい。
また、このお坊さんによると、真言は空気の振動で、人間の耳に伝わるように、空気とか空間じみたもの(いわれたまま書いている)のひだのような「透き間」を抜けて、大きな仏さんの世界によく届くのだという。
さらに、人間の内にも、誰であれ仏さんが住んでおり、声を出すことで、骨が振動して、小さな仏さんの世界にもコミュニケーション可能になるらしい。
誤解を恐れずに言えば、現金自動支払機における暗証番号と同じ役割だと。
だから、暗証番号を忘れたり、間違えたりすると、現金を引き出せないのとおなじで、真言も正しく唱えないと、仏さんのご利益を頂けないない。という訳だ。たとえ話も金銭がらみだとすごい説得力だ。
この人は、インドやチベットでも修行したらしので、たぶん本当の事を言っているのだと思う。それに講釈料も取らなかったので、信用して間違いないようだ。
ひまを持て余した子らが境内で、みくろぼさつ、みくろぼさつ、とはしゃいでいる。私も間違えそうで恐い。
地理的にみて、今日は井戸寺まで行ければ丁度いいあんばいだ。
国分寺さん、観音寺さんは手順どおり、あっさりと、お参りをさせて頂いたが、十七番札所井戸寺に着いたのは、5時を少し回っていた。
納経所の受付は5時までだ。しかしまだ閉まりきってない受付のまわりを、子らと、それとなくウロウロしていると
「納経でしたら、どうぞ」
と優しい女性の声、ありがたし! 順序が逆になったが、それからお参りをした。
こちらのご本尊さんは、薬師如来である。暗証番号は・・・ではなくて真言は=おん ころころ せんだりまとうぎ そわか=とある。その名の示すとおり、主に病気治癒に効力を持つ仏さまだ。
西日が鋭く差し始めた、視界がうすぼやけてきた、疲れがでたのか・・・やや、ほのかに酒のにおいが・・と思えば右ななめ前方にうっすら山頭火が・・・
けふはこここまでの草鞋をぬぐ
そうか、旅の一日のけじめとはこんな感じなのか・・・
長い一日だった。子供達は、焼山寺への上り下り最中に、お昼寝充分で元気だが、こちらは、石階段に両足を引きつらせるわ、なれぬ遍路しきたりに右往左往するわ、高校以来の倫理社会の話に気が遠くなるわで、身も心もヘトヘトである。何が何でも風呂へ行かねば!
昨今は、スーパー銭湯なる庶民の味方が、全国の主な地方都市を中心に、多く見かけるようになった。一昔前のヘルスセンター並みの豪華で清潔な施設が、銭湯料金で利用できるのだ。
結婚前に「フーテンの寅さん」よろしくプチ家出を繰り返した頃には、ずいぶんとお世話になったものだ。
だが、今は曲がりなりにも所帯持ち、女房子供に手を焼きながらも、生きている身の上である。相変わらず、金には苦労しているのだが、大人1人の料金で、家族4人は入れてくれない、当然か。
カーナビの取り扱い説明書を片手に、スーパー銭湯を検索する。以外に近くにあった。
ナビの中の若い女に、猫なで声で「次の交差点を右にお回り下さい」と言われれば、ハイハイと右に。「左に」といえば、ホイホイと左に。「上に」と言えば、窓を開け両手で翼をつくり、「下へ」と命令されればショベルカーに変身するのだ。そうこうしているうちに、結構立派なスーパー銭湯に着いた。
下駄箱にサンダルを納め、ロービーへ。なんと、ここにも大変なものがある。
子供は喜びはしゃぎ、親はその原価を想像し情けなくなる。例のガチャガチャだ。
入浴料金以上にうちの子らは、爺婆にもろた小銭を投入しはじめた。情けなくて、涙が出そうだ。
この機械を発明した人は、新聞一面に謝罪広告を掲載し、世界中の親と言う親に、納得のいく説明をしたらどうだろうか!やれやれ・・
お寺の次に「極楽」となれば、温泉か銭湯に間違いない。しかも、年配者はお遍路さんでなくても、=ゴクラク、ゴクラク=と2度唱えるのが常だ。お寺とお風呂は以外に共通点があるものだ。
サウナに水風呂、打たせ湯、泡風呂、電気風呂、露天風呂と、リラックスより先に、入浴料の元を取ろうと忙しい。
体を洗うついでに、タオル類を洗濯し、よそ様が1回しか使用してないはずの剃刀を、ゴミ箱の様なものから借用し頭を剃り、ついでに歯ブラシを・・・と思ったが、いやいや、まだ一線は越えるべきではないと反省し、湯屋をでる。
脱衣所に、小銭でも落ちてあるまいかと、爪に火を灯しながら、ロービーに出てみれば、バカ嫁とコニクラ餓鬼どもは、美味そうに「渦巻状冷やし牛乳加工品」の「バニラとチョコ半々タイプ」を、分け合ってならまだしも、三人で3個もペロペロしているではないか。
お前らはマハラジャか? 我が家では、風呂上りは、ホームランバーの当たり付きと、決めているではないか。
「だってないんだもん・・・」
「ああそうですか・・・」
いつの世も父親とは哀しい存在だ。わが子の食べ残しのコーンにかじりつけば、とけ落ちていたソフトクリームの汁が、せつなく甘かった。山頭火よ!こんな時はどう俳句るのか?
いただいて足りて一人の箸をおく
なるほど・・・・
街はずれのコンビ二の広い駐車場で、長距離トラックらしきが、エンジンかけっ放しで休んでいる。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」
との格言に従い、大型トラックに隠れるように駐車して、エアコンを弱にして寝た。
今夜は地球環境より、私たちの睡眠環境を優先しました。京都議定書様、悪しからずご了承くださいまし。
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