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5時過ぎには日の出だ。朝陽がまぶしくて目が覚める。少し雲も出ているが、晴れ模様で、街道沿いにもかかわらず、空気澄みわたり、かなり贅沢な朝。
エンジン音は気になったが、エアコンのお陰で、ぐっすりと熟睡できた。駐車場をお借りしたお礼に、ここのコンビ二で朝食を買う。NHKで時間どおりのラジオ体操を始める。体が軽い。寝冷えはしてないようだ。
今日は徳島県南部を回る。気負いすぎた昨日のスタンプラリー的駆け足参拝を反省し、少しゆとりを持とう。
国道55号を南下して小松島市に入る。第十八番札所恩山寺には、まだ人気はない。
その昔、このお寺は女人禁制だったが、弘法大師の修行中に、母の玉依御前が讃岐から訪ねて来たので、女人解禁を祈念し迎え入れた。
大師堂と並んで、母を祭るお堂が控えめに、佇んでいる。普通は厳しい仏法修行中に母に面会することはない。
しかし、そこを超えたところに、弘法大師空海の大きな人間力がある。
日本史上、まれにみる哲学的巨人にして、今もなを、広く庶民に親しまれている。かってこの国には、そんな魅力的な人が確かにいたのだ。
と、ガイドブックにある。哲学の巨人とは、いったい、具体的には、ジャイアンツのどの選手のことなのか? よく分からないが、少なくとも弘法大師は、長嶋茂雄をもしのぐスーパーヒーローだった、と理解した。
早朝の境内には、かすかに青く、霊気がただようている。備え付けのロウソクに点灯し線香をそなえる。
本堂に手を合わせて、おもむろに振り向く、私達以外だれもいないが、静寂かつ神聖な境内をながめれば、デジャブに襲われた。
もしかして、私の前世は高徳の僧で、今生は道に迷うているのではなかろうか、などと妄想し、悦に入っていると、留吉が
「お父さん、うんち・・・」
家族遍路には、悦に入っているヒマもない。
しばらくして、納経所も開き丁寧な墨筆と朱印を戴き、第十九番さんへと向かう。
ここ立江寺は、四国八十八ケ所霊場第一番目の心の関所だ(あと三つあるらしい)。
よこしまな想いを持つ者、悪行に明け暮れした者はここで、仏のおとがめがあるそうだ。
今の世に、すねに傷のない者はいまい。トウセンボされる前に、懺悔をこころみる。
1、小学校の時、漢字テストでカンニングをしました。
2、中学校の修学旅行で、○風呂を少し観察しました。
3、結婚式で神父さんの前で、ハイと心にもないことを言いました。
4、酒を飲んで○○車を運転したことがあります。
5、国民年金に加入しておりません。
6、さらに言えない事の数々・・・・・
改めて、自分は悪人であったと自覚した。
さらに、立江寺では、現代人に耳の痛い言い伝えがある。
江戸時代に、お京という女が、この寺に立ち寄り参拝しようとしたところ、いきなり髪が鐘の緒に絡みついて、動きがとれなくなった。
それもそのはず、ここは、魂のお白州である。果たしてお京の悪行は、何であったのか?
お京は郷里、石見の国で、鍛冶屋長兵衛と不義密通したうえに、旦那を殺めてしまう。いたたまれなく讃岐へ駆け落ちし、心中をはかるが、死に切れず、お遍路に出たということだ。
二人は住職に懺悔し、許され、お京の髪は鐘を離れた。後に、出家して立江寺のご本尊=延命地蔵菩薩(真言は、おん かかかび さんまえい そわか)に身をあずけ生涯を閉じたと言う。
いかかでしょうか? 複雑な男女関係でお悩みの皆様、ぜひ一度お越しになられては
私は、髪のないスキンヘッドで助かりましたが、・・・・・・え、奥さんはどうだったか?
聞けません、そんな恐い事・・・
山門で合掌一礼して、バタンコ88号に帰り国道55号を南下、しばらくしてダイソー発見、ここで、改めて必要と感じた物を調達する事に。店舗はそれぞれ違っても、普段見慣れた商品群だ。
まずは、線香にロウソクとライター、これらに加え、数珠。さらに、参拝次第を入れるバックを買って、これを私が常時ぶら下げる「お参りセット」と名づける。
他には小さな巾着袋、これは、買物時に出る、つり銭の一円玉を集めて賽銭袋とし、小春に持たせ、お寺の境内にある祠や小さな石仏用のお供えとする。
他には、使い捨ての携帯トイレ(オムツを袋にしたような物)を2ケ。〆て735円。ダイソー、バンザイ!
第二十番札所鶴林寺、標高五百メートルの山寺。グネグネの山道だ。加えて狭い車中生活のストレスから、ささいな事で子供らは頬をつねりあいながら、涙を流して大喧嘩を始める。
昼食はマクドナルドでとる事を条件に、休戦してもらう。それにつけても、マクドナルドよ、御社のオモチャ付きのハッピーセットは、良いアイデアだが、狭い我ウサギ小屋にたまりにたまる御社のおもちゃ、どうにかならんか。こんな処で言うのも何だが・・・
鶴林寺は地理的に、戦乱に巻き込まれる事がなく、創建当時の面影を残す、古色蒼然とした佇まいだ。
修行の寺特有の張りつめた空気に、身が引き締まる思いがする。
山門のあたりで、またまた、例の大阪のオバちゃん軍団に遭遇す。張りつめた空気が一気にゆるむ。
子らはまたも、飴玉をもらいご機嫌だ。すかさず一人のおばさんの解説が始まる。
「このな、山門の右と左に、仁王さんおりましゃろ、これな、運慶の作でせ。知っとりましゃろ、あの運慶でっせ。
「あ、あの義経の子分ですね?」
「おもろいにちゃんやな~、あんた知っとってゆとるやろ?」
「すんません」
「ほなな、仁王さんの口元見てみ、なんと言うとるかわかるか?」
なんというクソばばあだ。木像がしゃべるはずあるまいが。子供にかこつけて、逃げようとこころみるが、実に、わがくそ餓鬼どもは、他のおばさんの輪のなかで、煎餅をかじっておる。屈辱に耐えながら、だまりこんでいると
「なんや、知らんのかいな、あの口を開いてる方な、あれは「あ」ゆうてまんねん、ほんでつむいではる方は「ん」ゆうてますのや。=阿吽の呼吸=いいますやろ、ここからきてるのやで、あんたらも、阿吽の間柄で夫婦仲ようせなあきまへんで」
「いえいえ、これ以上は、経済的余裕はありませんので・・・」
「ありゃ、何ゆうてんの・・・・ちょいと、みんな聞いておくんなはれ、このにいちゃんエッチやで・・・アンアンウンウンゆうてな」
と嬉しそうに、仲間の方に行き、笑い声を上げている。ほんま、なにしにきとんや、このオバンらは・・・
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