魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

ロープエーは嫌いぢゃ

2012-11-18 09:16:52 | 旅行

気を取り直して、次の第二十一番札所=舎心山 太龍寺 常住院=へとカーナビをセットする。
ここも修行のお寺らしい。ガイドブックによれば、「弘法大師は貴族社会に嫌気がさして、当時の大学をやめて、ここの山に登り、虚空蔵求聞持法を修行した」とある。
 なんと大師は私と同じく、大学中退であったか。山口百恵と同級生と知った時以来の、共通項発見的感激だ。
ただし私の場合は、勉強に嫌気がさし、修行したのはルンペン道であったが・・・
 ルンペンはさておき、カーナビの指示を真に受け、行けども戻れども、太龍寺に着かない。
登っているのだが、行き止まりだったり、農家の庭先に迷い込み、不審な顔をされたり、細い道をバックで引き返していると、錆びたガードレールで右テイルライト破損。豆球は無事だったが、なんとも四国は山が深い。
めげて、人里に降り、過疎地にありがちなよろずや酒舗の「自動販売機におまかせコーナー」にて、缶コーヒーで一休み。
少し離れた所に、お遍路さんらしき老人を確認、
「あの太龍寺へは、車で行けますか?」  振り返ったその手には、ワンカップ、昼間
からおばけが、酒を飲んでいる。
                           分け入っても分け入っても青い山

おっしゃるとおりです山頭火様。恐れ入りました。暫く俳句談義をして、現実に帰る。
里人にたずねてみれば、ロープウエーで行けという。が、そこに着いてたまげて、その乗り場で青ざめる。私共の支払い許容範囲を、はるかに超えた料金である。
「一万円札と50円玉のどちらが高価か」、と問えば、見慣れた50円玉を、むしりとる金銭感覚の、うちのお子様達が、ロープウエーをながめて、ギンギラギンにさしでがましくなっている。
しかし、ここでロープウエーに乗れば、四国遍路七十二番目あたりで、路銀がつきそうである。
「乗る、乗る、乗る、のる、ノル、ルノルノルノルノ・・・」
 お得意の=泣く子と地頭攻撃=が始まる。あまりのしっこさに
「こんな高いロープウエー、乗れるわけなかろうが!」
と、怒鳴れば、若くてきれいな女係員と目が合う。気まずいがな・・
「小学生以下は無料ですよ」
やさしそうにニコリと笑い、教えてくれる。
が、そんなこた、料金表に穴を開けて裏返して、再確認するほどながめて承知ノ介だ。
「あの~ 子供達だけのせて、お寺のスタンプを頂いて、降りてくるというアイデアは・・ひとつ貴女様の美貌に免じて・・誰かにお願いして・・・ご一緒に・・・」
「また、ご冗談を・・・・」
 なんというノッペラ鈍感女だ。冗談で中年のハゲ男が、涙目になると思うのか。
結局、今後の食事は、スーパーの半額タイムを中心に構成する妥協案が、鬼嫁より提示され。この案は3対1で可決された。
 ロープウエーに、泣きながら乗るのは、生まれて初めての事である。周囲の乗客は私を、重度の高所恐怖症と思い込み、哀れみの眼差しを下さるが、そうでないのはご存知のとおりだ。
 しかし、料金に見合うだけのゴンドラではある。でかいし、床に穴を開けて、頑丈な金網を入れた小窓から、真下が覗ける。ゴールデンボールズにアイスの感触がゆらめく。
室内音楽には、喜太郎の「シルクロードのテーマ」が流れ、美人ガイドさんの説明が入る。普通の観光地なら、他人同士の乗客はヨソヨソシイが、この中、周囲はだれもがお遍路さん。お接待のお菓子を分け合っていたり、和気あいあいと情報交換している。
 やがて山頂駅に到着。霧が流れているではないか、少し肌寒い。本堂への参道や諸施設は、整備されたばかりのようで近代的だが、霧というより、雲の中を歩いているようで、視界がきかない。
周囲は杉の巨木がうっそうとしており、さらに陽光をさえぎって薄暗い、真夏の昼間なのに、晩秋の夕刻の不安さえおぼえそうな寂しさだ。
本堂や諸伽藍は、木造でいずれも堂々たるものだ。「西の高野」と称され人々の篤い信仰を集めているそうである。
 読経や真言もしっとりと控えめに唱えて、納経を済ませ、下りのロープウエーの待合室へと向かった。
 次の便までは、少し待たねばならなかったベンチでおとなしくしていると、
「かわいいおじょうちゃん、チョコレートはいかが」
親切そうな、それこそ観音さんようなお顔で、年配のご婦人が声をかけてくださる。私の陰にいた留吉にも気付き、二人にお接待をしてくださった。
「お名前は?」
「小春です、5才です、弟は留吉で、3才です。」
親ゆずりか、物を貰えば愛想が良い。
 この女の人のやわらかな雰囲気に乗じて、うちのミセス聞きたがりが口を開く。
「ずいぶんとお回りになってらっしゃるようですが、面白い出会いや 不思議な出来事などありましたか?」
「色々とありますよ、どんな事に興味をお持ちですか?」
「お祈りをしながら、お遍路しておりますが、願いがかなうとか、かなわないとか、いまだ半信半疑で・・・」
「それなら、=光明五鈷杵=って聞いたことありますか?」
「いいえ」
「これは、いつの頃からの言い伝えかはしりませんが、私もある先達から聞いた話です。必ず願いのかなう=光明五鈷杵=と言うものがあるそうです。
五鈷杵とは密教の法具ですが、この=光明五鈷杵=は数秒、金色に光り、その間、ひとつの事を強く強く念じれば、願いは叶うと言います。
ただいつどこのお寺にあるかは、人間のうかがい知るところではないらしく、また見た人でも自分の願い事を、他人に知られるのを嫌がり、人には言わないみたいです。
お大師様が見せてくれる=幻の五鈷杵=と言う人もいます。」
「なんだか、雲をつかむようなはなしですね」
「皆さん、最初はそうおっしゃいます。密教の真言の中でも、特に重要なのは=光明真言=です。すべてのわざわいを取り除く強い法力が、秘められていると言います。
お寺に入ったら、何回でも唱えてみてください。=光明真言=を唱えるだけでも、とても功徳を積むことになりますし、=光明五鈷杵=の方から、あなたを見付けやすくなるかもしれません」
「その真言を教えて頂けますか?」
「四国巡拝 仏前勤行法則はお持ちですか」
「この巡拝次第でよろしいですか。」
「はい、これで結構です。この舎利礼のつぎにあるこれです。」
「どのように唱えるのでしょうか?」
「ちょっと唱えてみますのでよく聞いていてください・・・

 おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたやうん

・・・・こんな感じです」
「ありがとうございます。私やってみます」
「唱えるだけでも、とても幸せな気分に成りますし、=光明五鈷杵=を見た人は、あまりの感激に、涙が止まらなかったそうですよ。出会えたら素敵ですね。」
「あなたは、見たことがおありですか。」
「さあ、どうでしょうか・・・」
 この会話を聞きながら、四国遍路千二百年の歴史の中には、それこそ星の数ほど、色々なエピソードがあるに違いないと感じた。
そして、そのひとつひとつに、必ず何らかの意味があるに違いないと思う。
 山の駅からゴンドラは霧の中を抜けて下る。BGMは、また「シルクロードのテーマ」だ。曲の雰囲気にのまれ、まるで、遊離していた魂が肉体にもどって往くように、スート麓の駅に向かっている感覚だ。やがて、ゴンドラは駅舎にすっぽりと収納された。
ここのお寺には、「遍路みち」の世界遺産登録を呼びかける「のぼり」があちこちにはためいていた。



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