魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

貧乏は、遍路の始まり

2012-11-18 09:24:34 | 旅行

 桜の花が、咲き始めた頃。 
やわらかな日差しがここちよい。

火葬場の広い駐車場の真ん中で、一人の女の子が泣きさけんでいる。
「ビエーンー ビエーンー  おかあしゃん、 おかあしゃん」
 事情を知らない喪服のおばさん達が 
「まあ可哀そうにそうに、こんな幼子を残し
て・・・」
 目にハンカチをあてながら、通り過ぎて行く。
 女子の名は小春、五才になった。左手にペコちゃんキャンディ、右手で空に向かいバイバイしている。
あわい春の陽光の、いたずらだろうか、この子、体の周囲が仄かに黄金色にきらめいいている。
その横でしゃがんでいるのが弟の留吉三才。小春の顔には、涙と鼻水と唾液が順序良く流れている。実にみごとな顔面三段の滝だ。
 この娘の父親が私こと轟寅吉、四十五才。とある広島県の、しがない地方都市で、零細鮮魚店を、営んでいるちんけな貧乏人である。
待合室からトイレに出れば、わが子が外で泣いていたという次第であった。
 ところで、何故わが娘が、かくも泣きさけんでいるのかと言えば、早くも、更年期障害が出たのか、うつ気味の連れ合い富子(四十才)が地獄に落ちた。
という訳ではなく、いつの間にか、私の祖父(行年九十五才)の葬儀にはぐれて、お節介にもよそのご一行に迷い込み、気付けど時すでに遅し、まわりは見知らぬ人ばかりだったというわけである。
 私は、
「お母さんはあっちの部屋にいる」
と、なだめながら子供らに近寄る。
おかしい、小春の体が先ほどより、さらに金色に輝きを増している。
留吉も不思議そうに姉を見ている。小春が私を振り返り、宙を指差し
「あそこに、ワンワンじいちゃん」
 うわごとをつぶやく。
このおととい死んだ爺様のひ孫どもは、自分達の祖父と区別して、犬を飼っていたひい爺さんを、そう呼んでいた。
そのワンワンじいちゃんは、只今、ホットドッグに調理されている最中で、悠長に宙をういているどころではない。
待合室に引き返そうと、娘の手を取れば異様に熱い。と同時に、金色のチラチラが小春から私の手に伝染し、私の回りも薄っすらときらめき始めた。
 私は、ぬるま湯につかった様に、気がゆるみだした。
小春の指が示す先を見れば、なんとホットドッグが・・・・・、いやいや、ワンワンじいさんが浮いているではないか!
何かの、間違いである事を祈り、思い切り目を閉じれば、今度は暗闇に、爺さんだけが浮いて見える。
おっかなくて、目を開ければ、霞ががった空を背景に、私を見て面白がっている。
「ほぉう、お前の心にも映るか。小春がわしに気付き、追いかけて来るので、オーラを延ばし、母さんを呼べと、諭しておったとこじゃ。はよう連れてもどれ」
 さてどうしたことか。江原啓之でもないのに、この私に霊が見えている。
元より常識のないのが自慢である。こうなった以上、恐れるよりも、現実を受け入れる事にした。
ならば、このジサマはこれから霊界へいくのだろうか。口に出してもないのに、ジサマの声が頭に響いてきた。
「これからのう、長生きのお礼に、お四国へ遍路じゃ。お大師様に感謝せにゃのう。お前も商売がひまなら、お遍路でもしてみぃ」
 そう言えば、うちの爺婆はよく四国へお参りしていた。その功徳で二人とも長生きしたのか。
ゆうても、ワンワンばあちゃんの方はまだシャンとしとるが。ちなみに、このばあさん戌年である。なんとも、良くしたものだ。
「子供らの休みに出で来い、気が向けば案内に、化けて出ちゃるけぇ」
と、言い残し、南の空に消えた。死して尚、お参りに出る遍路根性。さすが、明治生まれである。
 そういえば、以前、テレビでお遍路さんの特集を見たことがあった。副題に「何かを変えてくれる遍路路」とあったのが心にひっかかている。
人生もすでに半ばを過ぎた、おのずと先も見えてくる。もう個人商店の時代ではないといわれて久しい、年収も100万円を切る時もある。
四十手前でやっと結婚し、子供はまだ幼い。自分の貧乏を、他のせいにする気はさらさらないが、もうそろそろ何かを変えたい、と思っていたところだ。
 私の育った町は、お接待の施しとか、ミニ88ケ所廻りのある、大師信仰の風習が色濃く残っている漁師町。年寄りはことあるごとによく口にする。          
「南無大師遍照金剛」と
 うちの祖母なども私が幼い時分、風邪などをこじらすと、どこからか、お大師さんの水とやらを持ってきて、ひたいにあてて「南無大師遍照金剛」と、繰り返し唱えてくれたものだ。
 そんな環境ではあったが、具体的に、お遍路の知識があるわけでなく、もちろん金も無く、とりあえず、八十八ケ所スタンプラリー、との気軽さで、築12年のバタンコディーゼルプレハブワゴン車に、家財道具一式を積み込み、一家4人寝泊りしながら、廻る事に決定。
図書館から古めのガイドブックを、友人からナビを、親からは年金をくすめて、祖父の葬儀から数ヶ月、ある夏の暑い日、店は長期臨時休業にし、わが愛車にバタンコ88号と命名し、いざ四国は徳島へと、黒煙を巻き上げたのである。
 ついでながら、旅の終わりには、不信心だった私は、数々の不思議な体験や、如何わしい人物達との交遊により、重症の巡礼中毒を患った。
長期臨時休業だった広島県一質素な魚屋は客足が遠のき、家賃支払い不能に陥り、悲劇的廃業の憂き目に遇う。
小ざかしい小春は般若心経をそらで唱えるようになって、おっとり留吉は何の功徳かおねしょがなおり、富子は離婚を考えるようになってた。



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