
ガイドブックによれば、次こそは大変なお寺らしい。その名を焼山寺(しょうざんじ)。
まだ自動車などない昔、その参道の険しさは別名「遍路ころがし」と恐れられた難所だそうだ。
しかし、わがバタンコ88号にとっても大変である。山道に入ってから、かれこれ一時間、ハンドルを切る手が、右へ、左へ、休む間もない。
谷側は恐いので、ならべく山肌ギリギリに時速亀kmで牛歩きをする。時おり、ガリ、ゴリと嫌な音、朽ちかけたボディを、さらに傷つけながら進む。
対向車が来れば、登り優先だったか、下り優先だっのか、思い出せない。
自動車教習所の記憶ははるか彼方、山のあなあなだ。悪い事にうどんを食いすぎて眠気が容赦なく、甘く誘う。
鬼嫁(普通は配偶者のことを、夫が嫁とは表現しないというが、他に適当な代名詞がないので、悪しからず・・)と運転交代。いきおい、数十分寝込む。
目覚めれば、下界が、箱庭のごとき眺望の開けた焼山寺駐車場だ。眠り込んで起きる気配のない留吉と、この子の守りに鬼嫁をおいて、小春と参拝する。
これがまた、駐車場から、本堂までが長い。元来が山岳修行のお寺だそうで、楽してご利益などとは、もっての外らしい。大勢のお遍路さんがただひたすら歩いている。
なかに、どう見ても重病人風で、青い顔をして、手摺によっかかっているお遍路さんがいた。
同行人らしき人も、手を貸す気配がない。彼は、少しづつ進んでいる。
真夏なのに、張り詰めた空気と、うっそうとした杉並木で、寒気を覚える。これこそがお遍路なのか? 標高は八百メートルもあるそうだ。
その昔、弘法大師がこの地を訪ねたおり、大蛇が火を吐いて進路を妨害し、火の海にしてしまったという。
大師は印を結んで火を消し、大蛇を岩に封じ込めた。お寺の名前もこの伝説に由来するらしい。
伽藍も古色蒼然としており、人間さえいなければ、白昼に時間が、スローに止まりそうだ。
お遍路とは、まさに、神秘そのもの、先ほどの病人に、奇跡を、プレゼントしてあげて欲しい。NHKのラジオ深夜便で、どこかのお坊さんが話をしていた。
「奇跡とは宝くじに似ている。買わぬ者が当選することがないように、信じぬ者に奇跡は訪れない。」
実に分かり易いたとえだ。
お遍路さんで不治の病が治ったと、あちこちで耳にした。人それぞれの、願いや祈りが遍路路に満ちている。皆、真剣なのだ。自分の軽薄さをしばし反省しよう。
小春と二人はじめて、しんみりとお参りを済ませた。ご朱印をもらいに納経所へ行く。
私達の前に並んでいた、お坊さんらしきお遍路さんが、係りの人へ、しきりに交通事情を尋ねている。急ぎの用事があるように見て取れた。 「タクシーを呼ぶにも時間がかかる」
と、応対しているお寺のお坊さんの視線が、私のスキンヘッドにからんだ。嫌な予感は常に的中するものだ。お声がかかる。
「車でお越しですか?よろしければ、よしみで、この方をふもとのバス停まで、乗せていただけませんか?」
幼子連れで標高800mの山を、歩いて登る酔狂者はいない。それにいったい何のよしみだ。妙齢のご婦人ならまだしも・・・と思ったが、こうゆう状況では、断れないのが小心者の悲しさだ。
それに、今日はバチあたりの数々をしでかしたので、ここらでお寺関係の方に、功徳をつんでおかねば・・・
「連れがいますので、少し狭いですがよろしければどうぞ」
さすが商売人、愛想笑いだけはたいしたものである。
往きは二人で、帰れば三人。鬼嫁の顔が説明を要求している。「カクカクシカジカ、ピカピカツルツル」という訳だから・・・うんぬんかんぬん・・・で、通じる。
乗り込み際に、お坊さんは自己紹介してくれた。
「私はしんぎょ、といいます、すいませんがよろしくお願いします。」
「私は轟といいます、車が3つのどどろきです。しんぎょさんとは、どんな字ですか?」
「真実の真に、魚と書きます。」
「真魚ですか、何かのご縁ですかね、うちは魚屋です。」
他人が混じった気まずさで、しばらく沈黙が続いた。
家財道具一式を積み込んだ、夜逃げバージョンのワゴン車だ。2列目のシートに4人がけ。不機嫌から、シカトを決め込んでいた鬼嫁が唐突に口を開いた。
「お坊さん、聞いてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「さとりってなんですか?」
なんというバカ女だ!生来の顔面表皮異常発達症でもある。面の皮が厚いのだ。話に事欠いてなんと言うことを・・・
「お坊さん、すいません。寝不足でちょっと気が立っているので、かまわないで下さい。」
と、フォローしたのだが・・
「いえいえ、結構ですよ、ヒッチハイクのお礼にお話しましょう。奥さん、あなた方は今何をされていますか」
「お遍路さんの旅をしてましけど・・・」
「何故お遍路に、出られましたか?」
「いつも何かに、悩んだり、迷ったりして、不安ですし、貧乏なもので、人並みの収入が得られるように、お祈りしようと思いました。」
「奥さん、実はそれが、=悟り=の正体です」
「あの、よく分からないのですが・・・」
「あなたは、自分が悩んでいる事に気付き、お遍路という世界がある事に気付いた。こうゆう風に幸せを求めて、気付いて行く事が=悟り=です。
四国遍路は皆さんに、いろんな事を気付いて頂けるように、仕組まれています。心を楽にして、美しい花を見る。爽やかに山を登る。風を感じる。雲に思いをはせる。仏さんと話をする。
八十八ケ所回り終えたときあなた方は、はたして、何に気付いているのでしょか。とても楽しみにしております。また、お会いする事もあるでしょうし。」
そうそう頻繁に、ヒッチハイクされてはたまったものではない。鬼嫁は、ひっこく食い下がろうと思案している様子だが、残念なことに、車はふもとの、道の駅にあるバス停に到着した。別れ際、旅のお坊さんは合掌して、旅の安全を祈ってくれた。
焼山寺の駐車場から、箱庭に見えた徳島平野に再び下りて来た、車や人でにぎわう俗世間だ。なぜかホットする。
振り返れば、険しい山波、直線距離にすればわずかなものだが、遠い異次元空間から、ドラえもんの=どこでもドア=を開いて出てきたような気分だ。
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