さとばあさんのむだばなし

法政大学通教 経済学部経済学科 平成最後の卒業生 アメフト観戦初心者 適度に野球観戦 乳がんにめげずソフトボール参戦中

親がつづる大学受験記(娘)3と皆既月食

2018年01月30日 | 大学受験
断捨離をしていたら、娘のセンター試験の成績通知書が出てきました。
2年目のやつです。
実はいろいろあって(いや実は娘が何を考えて、そうなったかはいまだに謎です)入学手続をした大学には行かず、再受験をしたのです。
1年目の反省もあって、2年目はセンター入試試験の願書を数多く出していたので、割と偏差値の高いところに合格しました。
地方の国立大学にも合格しました(これも1年目とは違い、計画的に出願した大学です)。
国立大学とセンター試験は科目と配点の組み合わせで合否が大きく違ってきます(このときは化学がものすごく悪かったので、理科1科目でよいところなら合格というわけです)。
ただし、国立大学はまさかの第2志望学科の合格だったので、結局首都圏の私立大学に入学しました。
その大学の選択も、なんとなく私の考えが伝わったような気がします。
偏差値が高いところは、たまたまセンター試験が良くて受かっただけなので、入学後にやっていけるか不安になってしまいました(←子どものことになると、すぐ不安になるだめ母)。
娘は母親の気持ちを察するようです。
偏差値は高くなく、牧場があるのんびりした大学に入学しました。

よかったかどうかわかりませんが、娘の人生だし、もうねちねち私がこだわるのはやめにしなくてはいけません。

ということで大学受験記(娘)は終了といたします。

皆既月食は見逃しましたがきれいなブルームーンは肉眼で観察できました🌝

あ、皆既月食は明日でした。
東京は曇り予報です。

受験生の皆さんがこの大変なときを乗り越えるのを願っています。

親がつづる大学受験記(娘)2

2018年01月24日 | 大学受験
雪が降って思い出しました

4年前、受験シーズンに首都圏で雪がふり、受験生は大打撃でした。
娘も私立の某六大学受験の日に雪が降りましたが、どうせ受からないからと嫌がっていたのを、私が長靴つけて無理やり送り出しました(結果不合格)。
あーこのときも娘の意思を無視してたんですね、私。
本当、娘には色々やらかしています。
この日の試験は時間を遅らせて始まり、娘の帰りも遅くなりました。
行けなかった人の再試験はありませんでした。
第一志望の子はかわいそうに思った記憶があります(第一志望の人は、何か策を講じたのかな。だといいです)。

このシーズンはその後も雪がよく降り、神奈川県の割と不便な場所にある医療系大学受験のときも雪でした。
このときは友達が一緒でしたが、前の日に近くのホテルに泊まることも考えていました。
結局、朝は大丈夫でしたが帰りは電車が止まってしまい夜遅くに何とか帰ってきました(結果不合格)。

そういえば今年のセンター試験のときも北の方は雪がひどく北海道ではパトカーでの送迎もあったというニュースを聞きました。
天気にしろ、交通にしろ、とにかく受験生が実力を発揮できるよう祈るばかりです


親がつづる大学受験体験記(娘)1

2018年01月18日 | 大学受験
娘は今大学3年生。
この大学に入るのに、まあすったもんだしました。
まずあれは4年前(あれ?)
現役高校3年生のときは、地方の国立大学農学部と都内の医療関係の大学の2つに受かりました。
さんざん迷ったあげく、都内の大学に入学しました。

地方の国立大学を選ばなかったのは、東京で育った私が、地方で女の子をひとり暮らしさせることに不安がつのり、それが娘にも伝わって、娘も尻込みしてしまったためと思うのです。
今でも娘に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
娘の背中を押してあげていれば、とよく妄想します。

あのとき、直前まで親子で迷って、とりあえず飛行機に乗って現地で考えようということになりました。
大学に着いて研究室を見せてもらい、先生の話を聞き、住むところもようやく見つけ、入学金を金融機関でおろそうとしたときです。
金融機関は、タクシーに30分乗って駅まで行くしかなく、そもそもタクシーがなく、本人が絶対その大学に行きたいと言ってるわけでもないし、もうこの大学はやめようと、行動力がこと切れてしまったのです。

言い訳すれば、このとき私は乳がん治療の抗がん剤で弱っていて、帯広の寒さに思考能力が麻痺してしまったと、今になれば思います。
仕事と息子の高校受験のため、夫は東京に残ったのも運の尽きでした。
雪の中、荷物を持っての移動は、本当に都会育ちの軟弱ものには、こたえたのです。
(娘は若いし、それほどでもなかったかもしれないのに)

そうして大学の食堂にいる間に、手続きの締め切り時間が過ぎて、親子で東京に帰ってきたのでした。

続く・・・・・