1600年代に入り、幕府は江戸の人口増による水不足から、神田上水に続いて「玉川上水」をつくりました。神田上水と玉川上水が世に言う江戸の二大上水です。
三代将軍家光の時代に、幕府は玉川庄右衛門と清右衛門兄弟に命じて、彼らの提案になる上水の建設に踏み切り、1653年4月に着工しました。
多摩川から江戸に水を引くもので、川沿いの羽村から四谷大木戸まで総延長は43㎞に及ぶ開渠をわずか8ヶ月で完成させました。水道の完成は1654年6月となります。
参照ページ「http://www005.upp.so-net.ne.jp/wanatra/8wwjapan.htm」
の玉川上水ですが、今でも上流に行けばその名残を残しているのですが、都心部に近づけばその姿は消え、埋め立てられたり緑地公園になっていたりするのですが、都心で見る事が出来る貴重な「玉川上水旧水路」がココ(撮影地点)です。
この辺りには水路はなくなってもその上に緑地公園の遊歩道があり、それなりに散策出来る貴重な場所です。
三代将軍家光の時代に、幕府は玉川庄右衛門と清右衛門兄弟に命じて、彼らの提案になる上水の建設に踏み切り、1653年4月に着工しました。
多摩川から江戸に水を引くもので、川沿いの羽村から四谷大木戸まで総延長は43㎞に及ぶ開渠をわずか8ヶ月で完成させました。水道の完成は1654年6月となります。
参照ページ「http://www005.upp.so-net.ne.jp/wanatra/8wwjapan.htm」
の玉川上水ですが、今でも上流に行けばその名残を残しているのですが、都心部に近づけばその姿は消え、埋め立てられたり緑地公園になっていたりするのですが、都心で見る事が出来る貴重な「玉川上水旧水路」がココ(撮影地点)です。
この辺りには水路はなくなってもその上に緑地公園の遊歩道があり、それなりに散策出来る貴重な場所です。
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