東日本大震災でたばこ産業も工場が被災する等の打撃を受け、JTでは数十銘柄の生産終了を決めました。私はたばこを吸わないので直接的な影響はありませんが、幼少の頃、親戚に頼まれて買いに行った銘柄(当時は幼稚園生でも売ってくれました)である「チェリー」が生産終了リストにあったことに、妙な寂しさを感じました。
房総ワンデイハイク、千葉市稲毛区の続きです。前回ご覧いただいた浅間神社の脇にある細道に入ると、ちょっと古めの民家が現われます。
「千葉市ゆかりの家 いなげ」名の付いているこの家は、清朝最後の皇帝となった溥儀(ふぎ)の弟である溥傑(ふけつ)が新婚生活を送った家だそうです。住んでいたのは1937(昭和12)年4月~10月のわずか半年間で、その後当時の満州国に渡っています。

(あいにく非公開日でした -千葉市稲毛区稲毛 2011/05/03ー)
夫は皇帝の弟、妻は日本の侯爵の長女なのですから、観光案内本を読んで存在を知った時は広い庭を持った豪邸を想像していましたが、外から見る限りは普通の民家にしか見えませんでした。
当時の稲毛は現在と大きく異なり、別荘地でもあったそうです。この家に感情があったら、3/4世紀の間の変貌ぶりをどう感じるのでしょう?
2010/05/19の一品・・・お休みでした
2009/05/19の一品・・・505)岩手散歩 鉄瓶28号
2008/05/19の一品・・・263)盛岡散歩 四十四田ダム
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房総ワンデイハイク、千葉市稲毛区の続きです。前回ご覧いただいた浅間神社の脇にある細道に入ると、ちょっと古めの民家が現われます。
「千葉市ゆかりの家 いなげ」名の付いているこの家は、清朝最後の皇帝となった溥儀(ふぎ)の弟である溥傑(ふけつ)が新婚生活を送った家だそうです。住んでいたのは1937(昭和12)年4月~10月のわずか半年間で、その後当時の満州国に渡っています。

(あいにく非公開日でした -千葉市稲毛区稲毛 2011/05/03ー)
夫は皇帝の弟、妻は日本の侯爵の長女なのですから、観光案内本を読んで存在を知った時は広い庭を持った豪邸を想像していましたが、外から見る限りは普通の民家にしか見えませんでした。
当時の稲毛は現在と大きく異なり、別荘地でもあったそうです。この家に感情があったら、3/4世紀の間の変貌ぶりをどう感じるのでしょう?
2010/05/19の一品・・・お休みでした
2009/05/19の一品・・・505)岩手散歩 鉄瓶28号
2008/05/19の一品・・・263)盛岡散歩 四十四田ダム

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