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saysan のほほん 日記を更新中

1972年を思い出して

先日実家へ帰った時、座敷部屋を掃除していた時のこと、

隣の部屋で「沖縄(うちなー)ポップスの半世紀 ~時代を飾った名曲達」(NHK)を

兄が録画視聴しながら、鼻歌を歌っていました。

 

「最近、沖縄関係の番組が多いけど、なんで・・・!?」と兄がポツリと聞きました。

兄の障害では、覚えていなくても仕方ないのだろう。

「沖縄本土返還から50年の年だからだよ、その日は小学校が休みになって・・・」

「良くおぼえているね~!!」

と会話は続きました。

 

何故覚えていたかというと、

その年はいろんな出来事や学校行事があって、

盆と正月が一緒に来たように楽しかったからなんです。

 

50年前の1972は、

 ・5月に

   ゴールデンウィーク、

   小学校創立100周年記念行事で児童による

   人文字の航空写真撮影、

   地域の神社のお祭り、

   沖縄本土返還(5月15日)、

   昭和天皇・皇后両陛下の行幸のお出迎え

 ・札幌冬季オリンピック

 ・ミュンヘン夏季オリンピック

 などがありました。(だいたいの年齢を暴露している感じですね)

 

5月15日は地域の神社のお祭りで、

夜店が数軒並んでいておもちゃをおねだり出来る、楽しみな日でした。

 

そんな日が「沖縄本土返還の日」と同じ日で、

翌年の同日まで「お祭りの日は、学校が休みになる」と思い込んでいました。

親に「休みにはならない」という悲しい現実と、

「沖縄本土返還」の意味を教えてもらいました。

 

「沖縄本土返還」でもう一つ思い出すことは、

父がその1年前に船で「ボルネオ島」付近の洋上へ、

石油掘削の仕事のに向かった時の話です。

沖縄付近を航行の夜に沖縄の街灯りがすごくきれいで、

上陸して見物してみたいと思ったそうですが、

沖縄に上陸出来るパスポートを所持していなかったから、

遠くから眺めるだけで残念だった言っていました。

酔った時に繰り返し聞かされた話の1つです。

 

インターネット検索をしていたら、

町の古い広報を見つけました。

昭和天皇・皇后両陛下が「全国植樹祭」(現胎内市)にお出でになられ、

実家のある町を行幸された記事がある、1972年5月・6月の広報を見つけました。

 5月には、お迎えする時の注意事項がたくさん記載され、

  「アーケード、2階の窓、屋根から見下ろさないこと」

  「アイロンの切り忘れ、鍋やかんを火に掛けたまま外出しないこと」

 本当に事細かに記載されていました。

小・中・高校生、保育園児、町民の大勢が、

日の丸の旗を持ってお出迎えしたことを思い出しました。

町のメインストリート数百メートルを、

ピカピカ黒塗りの車がゆっくりと走ってくださいましたが、

両陛下のお姿を拝見は出来ず、残念な気持ちで午後の授業に突入しました。

 6月の記事のコピーをアップします。

 

自分の年齢が更新されると歩んできた長い時間より、

この先の短さに落胆することがあり、

昔のことを思い出すことも多くなりました。

「ちむどんどん」や「ちゅらさん」を見ながら、

悲しむこと無く「沖縄のティーダ」のように、

元気に過ごせたら良いなあと思うこの頃です。

 

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