朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

だから、聖霊に満たされなさいと勧められているのですね。あの方から。

2013-08-14 23:39:06 | 聖書から
善を求めよ。

悪を求めるな。



そうすれば

あなたがたは

生きることができる。

アモス書5:14
 





だれに対しても

悪に悪を返さず、



すべての人の前で

善を行うよう

心がけなさい。

ロマ書12:17





(ローズンゲン日々の聖句8/15;木)






三位一体の神のひとりのようになり、

善悪を知る者となった

(創世記3:22)

私たちは、



神の御座の上に

自分の座を設けたい者

(イザヤ14:13~14)

なのですね。





それで、

全知、全能のあの方に対して、



聖さにおいても、

能力においても、

知恵や知識においても、

あの方と肩を並べる者に

なろうとするのですね。




だから、

そうなっていない現実の自分を見て、

自分を裁き、

非難し、嫌がり、

受け入れないのですが。




律法を守ることにおいても、

あの方と同じ思い、

一つ心になっていく方向ではなく、



あの方に対抗して、

「見て下さい。

どうです。

私は自分の力で

これだけ守れるようになりましたよ。



あなたの差し出してくれている救いなんて

私には

必要ありませんよ。」と

胸を張って

あの方の前に立つことを目指して

律法を守ろうとしているのですね

(ルカ18:11~12のパリサイ人のように)。




だから、

いくら努力しても、

それは反逆、対抗していることですから、

それによって義とされることはない、



まさに

「義人はいない。

一人もいない。

神を求める者はいない。

すべての人が迷い出て、

みな、ともに

無益な者になった

」(ロマ3:10~12)

と言われるのですね。






聖霊と呼ばれている方によって、

私たちの心に、

あの方の思いが来て、



私たちが、

イエス様のように、

あの方と一つ思いを持つようになるとき、



私たちも

「善を求めて悪を退ける」、

「悪に対して悪を返さず、かえって善を返していく」、

あの方の思いを

持つ者となるのだそうですね。



今日も。



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