朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

心にあることが、口から出てくるのだそうですから

2019-08-09 23:44:27 | 聖書から
悪人に加担して、
不法を引き起こす証人となってはならない。出エジプト23:1



 あなたは、
自分の言葉にって義とされ、
また、自分の言葉によって
罪ある者とされる。マタイ12:37



 黙示録19:4~9
 マタイ9:1~8(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句8/10;土)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。



 「偽りのうわさを言いふらしてはならない。
悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。
悪を行なう権力者の側に立ってはならない。
訴訟にあたっては、権力者にかたよって、
不当な証言をしてはならない。

また、その訴訟において、
貧しい人を特に重んじてもいけない」、と。



 木は、その実で判断されるのですね。
良い木が悪い実をならせることはないし、
悪い木が良い実を結ぶこともないのですね。



 人は心に満ちていることを口が話すのだそうですから。
良い人は、良い倉から良い物を取り出し、
悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すもの、なのですね。


 だから、私たちが正しいとされるのも、
私たちの言葉によるのであり、
罪に定められるのも、自分の言った言葉によるのだそうです。


 だから、天の御国に入れるのは、
心が、神を賛美する、
神をほめたたえる心になっている者だけ、
なのでしょうね(黙示録19:4~9)。
心がそうなっていなくて、
神を賛美することはないのですから。

 それで、【父である神】は、
私たちの心を変えるため、
【御子である神】を、
「女の子孫」(創世記3:15)として、人の世に派遣され、
この方がおよそ33歳の頃、
ユダヤ人の指導者たちのねたみを用い、
ローマ兵の手によって十字架刑での処刑に処せられたのだそうです。
そして、私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスの処刑に合わせて、処刑済み、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 そして、イエスは、死んで、墓に葬られたたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 【父である神】は、このイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。

 それで、受け入れる者は、
〔生まれたときからの私〕と言う霊から出て来る思いは、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認めて、
その思いを【父である神】と【御子である神】イエスの御前に投げ捨てながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きるようにしていただけるのだそうです。
神を賛美する思いにも。

 それで、天の御国に入り、
神を賛美する大群衆に加わることにもなるのですね。

 心にあることを口が語ることになるのですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
婚活で、広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。

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ただ、わが霊によって

2019-08-09 07:58:33 | 聖書から
武力によらず、
権力によらず、
ただわが霊によってと万軍の主は言われる。ゼカリヤ書4:6

 私たちは、
義とされた者の希望が実現することを、
“霊”により、信仰に基づいて
切に待ち望んでいるのです。ガラテヤ書5:5

 ルカ22:14~20
 マタイ8:28~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/9;金)

 天の神、万軍の主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
武力によらず、権力によらず、
ただ、「わが霊」、
【聖である霊】と呼ばれる方によってことを行われる、というのですね。

一点の義もない私たちをイエス・キリストの義で包むことも。

イエスは、とらえられる前夜、
12弟子たちと過ぎ越しの食事をなさいました。
食事の後、杯も、感謝をささげてのち言われたのですね。
「この杯は、
あなたがたのために流される私の血による新しい契約です」ルカ22:20新改訳)、と。

新しい契約、
これは、エジプトを出たイスラエルの民が
モーセを仲介者として神と結んだ契約に対して、
「新しい」と言っているようですが、
エレミヤ書31:31~33には、
「見よ。その日が来る。
――主の御告げ――
 その日、わたしは、
イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、
エジプトの国から連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、彼らは私の契約を破ってしまった。
――主の御告げ――
 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
――主の御告げ――
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす」、とあり、

エゼキエル書36:26には、
「あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
~~
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる」、とあります。

イエスの血による新しい契約、
それは、受け入れる者に、
この、【神の霊】、【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
その心に【父である神】の御思いを置き、
【父である神】の御思いによって生きるようになる、ということでしょうか。

ガリラヤ湖の向こう岸、ガダラ人の地で、
悪霊につかれ、悪霊の思いのとおりに生きて、
墓場に住み着いていた男。

イエスが悪霊を追い出され、
正気に戻ったその男は、
イエスのお供をしたいとしきりに願ったのですが、
イエスは異邦人であるその人を
「家に帰って、
神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、
話して聞かせなさい」と家に帰したので、
家に帰った彼は、出て行って、町中に、
イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを
言い広めるようになったのだそうです(マタイ8:28~34、ルカ8:26~30)。

【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちにも、今日。

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