朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方に

2019-08-22 23:52:52 | 聖書から
偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、
主よ、あなたのもの。
まことに天と地にあるすべてのものは
あなたのもの。歴代誌上29:11

 主よ、私たちの神よ、
あなたこそ、
栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
御心によって万物は存在し、
また創造された。黙示録4:11

 エレミヤ書1:11~19
 マタイ11:20~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/23;金)

 偉大さと力と栄えと栄光と尊厳は
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方のもの、なのですね。
天にあるもの、地にあるもの、すべてはこの方のもの、
この方の御思いにより、この方から出たもの、なのだそうですから。

 だから、この方こそ、
栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方、なのですね。

 それで、ご自身と思いを一つにし、
お言葉のとおりに歩みます、との契約を立て、
ご自身の民となっていながら(出エジプト24:3、7)、
その契約を破り、ほかの神々にいけにえをささげ、
自分の手で造った物を拝むユダの人々に、

 それでもなお、立ち帰ることを期待して、
エレミヤを預言者として立て、
「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。
今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけている。
彼らは来て、エルサレムの門の入口と、
周囲のすべての城壁と、
ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設け、
攻めるようにするから」、と、
告げさせようとしておられるのですね(エレミヤ1:11~19)。

 そして、イエスも、
人々が神に立ち帰るようにと、
コラジンやベツサイダ、カペナウムなどの町で、
数々の力あるわざを行われたのだそうです(マタイ11:20~24)。

 私たちも、この方に立ち帰り、
この方こそ、万物を創造なさった方。
御心によって万物は存在していることを認めて、
「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、
主よ、あなたのものです」、と
賛美をささげていきたいですね。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

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ご自身の民の背きのゆえに、生ける者の地から断たれて

2019-08-22 17:14:58 | 聖書から
わたしの民の背きのゆえに、
彼(主のしもべ)が神の手にかかり、
命ある者の地から断たれた。イザヤ書53:8

 あなたがたは、
気力を失い疲れ果ててしまわないように、
御自分に対する罪人たちの反抗を
忍耐された方のことを、
よく考えなさい。ヘブル書12:3

 Ⅰコリント9:16~23
 マタイ11:1~19(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/22;木)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
直接的にはイスラエルの人々のことですが、
広い意味ではイエスにあって私たちのことも、
「わたしの民」と思っていてくださるのですね。

 そして、「彼」、
やがて現れるイエスが、
私たちの、神に対する背き、反逆の責任を負って、
神の処刑を受けてくださることになる、と。

 イエスは、
御自分に対する私たちの反抗を耐え忍んでくださったのですね。

 そして、イエスの使徒パウロは、
このイエスによる救いを一人でも多くの人に伝え、
その人がこの救いを受け取ることができるようにと、
すべての人の奴隷になった、と。

 律法の下にある人には、律法の下にある者のように、
律法と持たない人々に対しては、
律法を持たない人のようになり、
弱い人には弱い人になり、
すべての人に、すべての者となって。

 すべてのことを、
この福音のためにしている(Ⅰコリント9:19~23)、と。

 自分の信仰を主張するのではなく、
どうすれば相手の人がこの福音を受け入れてくれるか、
ということを優先している、ということでしょうか。

 イエスも、自分の心を行うことはしないで、
遣わした方の御心を行い(ヨハネ6:38)、
預言の言葉のとおりに、
目に見えない者が見、
足のなえた者が歩き、
ツァラート
(ハンセン病のような、当時、治療方法のない伝染性の重い皮膚病)
に冒されたものがきよめられ、
耳の聞こえない者が聞き、
死人が生き返り、
貧しい者たちに福音が宣べ伝えられる、ように
なさったのですね(マタイ11:5)。

 私たちも、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
イエスの十字架刑での処刑に合わせられて
処刑された者、死んだものから出て来た思いであると認めて、
これをイエスの御前にかなぐり捨てながら、

 新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエスが派遣してくださる、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって歩ませていただけるのだそうですね。。
今日も。

(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
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等のお問い合わせは、
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