朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

ただ、神の側の恵みによって

2019-08-26 09:59:00 | 聖書から
わたしは恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた、
と主は言われる。イザヤ書49:8

 主は、
御自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになられます。ロマ書10:12

 ロマ書11:1~12
 マタイ12:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/26;月)

 天の神、主、
「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方は、言われるのですね。
「わたしは恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた」、と。
御自分の民であると民でないとの区別に関係なく、
御自分を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられて。


 神が最初に選ばれた民、イスラエルは、
イエスを受け入れず、
神から退けられてしまったかのように見えます。

 たとえば、イエスがこの世におられた当時、
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
どんな仕事もしてはならない」(出エジプト20:8~11新改訳)という律法を
自分の力でしっかり守ろうと努力していて、
安息日に麦の穂を摘んで食べたイエスの弟子たちを
安息日を破る者として非難し、
また、安息日に病人をいやすイエスを
滅ぼしてしまおうとするようになったのですね(マタイ12:1~14)。

 そして、イエスを神を冒涜する者として、
「その血の責任は私たちと私たちの子孫にかかってもよい」とまで言い切って、
釈放しようとするローマ総督ピラトに、
イエスを十字架刑で処刑で処刑するよう迫ったのだそうです。

 しかし、神は、
あらかじめ知っておられたご自分の民を
退けてしまわれたのではないのだそうです。
彼らがつまずいたことによって
神の救いが私たち異邦人に及び、
そして、神の恵みによって
彼らも完成してもらえるのだそうですから(ロマ11:1~12)。

 私が、「これだけ律法を守りました」、という、
自分の行いの功績によってではなく、
ただ、神の側の「恵みたい」との御思いによって。

私たちも。
今日も。


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なんと幸いなことでしょう。主をおのれの神とする、その国は。

2019-08-25 08:42:24 | 聖書から
いかに幸いなことか、
主を神とする国、
主が嗣業(しぎょう)として選ばれた民は。詩33:12(8/25の週の聖句)

 ユダの家の中で難を免れ、
残った者たちは再び根を下ろし、
上には実を結ぶ。列王記下19:30

 根が聖なるものであれば、
枝もそうです。ロマ書11:16

 マルコ12:28~34
 詩101(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/25;Ⅳ日曜)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方のほうで、
私たちを選んでくださったのですね。
ご自分の民として。


 私たちは、求めもしていなかったにも関わらず、
この幸いに与(あずか)らせようとして。

 だから、ご自分の民、ユダを、
その離反、背きのゆえに、これ以上放置できなくって、
バビロン軍を用いて打たれたのですが、
滅ぼしつくすのではなく、
残りの者がいるようにされたのですね。

 その残った者を用いて、
再び、下に根を張り、
上に実を結ぶように、と。


 根が聖ければ、枝も聖いのですね。
天の神、主は、
私たち、神の民でなかった者を
ご自身の民という聖い木に接ぎ木してくださって、
聖いもの、ご自分の民としてくださるのだそうです。

 そのためには、ご自身の独り子を、
私たちの身代わりにして、
十字架刑で処刑することまでして。


 十字架刑での処刑を受けて、
死んで墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰なさいましたが、

 その、【父である神】の右の座にあって、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださるのだそうです。

 この方によって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者が【父である神】と思いを一つにするように、と。

 それで、受け入れる者の心には、
この方、神である主を唯一の主とし、
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、
この方、神である主を愛する思い、
隣人(となりびと)を自分自身のように愛する思いも(マルコ12:28~34)
来るようになるのだそうです。


 「私は、恵みとさばきを歌いましょう。
主、「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方よ。
あなたにほめ歌を歌いましょう。
私は、全き道に心を留めます。
いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。
私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。
私の目の前に卑しいことを置きません。

私は曲がったわざを憎みます。
それは私にまといつきません。
曲がった心は私から離れれ行きます。
私は悪を知ろうともしません。
陰で自分の隣人をそしる者を、
私は滅ぼします。
高ぶる目と誇る心の者に、
私は耐えられません。
私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。
彼らが私とともに住むために。
全き道を歩む者は、私に仕えます。
欺く者は、私の家には住みえず、
偽りを語る者は、
私の目の前に固く立つことができません。
朝ごとに、私は国の中の悪者を
ことごとく滅ぼします。
それは主、「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方の都から、
不法を行う者を
ことごとく断ち切るためです。(詩篇101篇 新改訳)
という思いも。


上には実を結ぶ、幸いな者に。
この新しい週も。

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私たちに出会おう、と、すぐそばに来て

2019-08-24 09:17:54 | 聖書から
あなたたちが、
わたしを尋ね求めるならば見いだし、
心を尽くしてわたしを求めるなら、
わたしに出会うであろう、
と主は言われる。エレミヤ書29:13~14

 上にあるものに心を留め、
地上のものに
心を引かれないようにしなさい。コロサイ書3:2

 ルカ12:42~48
 マタイ11:25~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/24;土)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
天の高みに、
私たちから遠いところにおられる神ではなく、
私たちに近く近く来て、
「わたしを求めてほしい」と思っていてくださる方のようですね。

 私たちの本性、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
〔生まれたときからの私〕という霊は、
上にあるものを求めようとせず、
地上のものに心を引かれていくようです。

 【父である神】は、
この、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせてくださって、
「すでに死んだもの」(コロサイ3:3)としていてくださるのだそうです。

 そして、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね(使徒1:3~9)。

 そして、このイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、
受け入れる者に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです(ヨハネ17:21~22)。
私たちが、ご自身と思いを一つにして生きるようにと。
上にあるものを求める心に。

 良いしもべが、主人の心をよく知って、
任されたものを、
主人の思いどおりに用意し、働くように(ルカ12:42~48)。


 イエスは、自分の知恵、
〔生まれたときからの私〕という霊の賢さに信頼し、
この知恵、この賢さで生きようとして、

 また、神の律法を、その通りに自分で行おうとして
疲れ果てた人を、
「休ませてあげよう」と言っておられるのですね。

 「わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。

 そうすればたましい安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです」(マタイ11:25~30新改訳)、と。

 私たちの近くにいて。
今日も。

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栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方に

2019-08-22 23:52:52 | 聖書から
偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、
主よ、あなたのもの。
まことに天と地にあるすべてのものは
あなたのもの。歴代誌上29:11

 主よ、私たちの神よ、
あなたこそ、
栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
御心によって万物は存在し、
また創造された。黙示録4:11

 エレミヤ書1:11~19
 マタイ11:20~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/23;金)

 偉大さと力と栄えと栄光と尊厳は
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方のもの、なのですね。
天にあるもの、地にあるもの、すべてはこの方のもの、
この方の御思いにより、この方から出たもの、なのだそうですから。

 だから、この方こそ、
栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方、なのですね。

 それで、ご自身と思いを一つにし、
お言葉のとおりに歩みます、との契約を立て、
ご自身の民となっていながら(出エジプト24:3、7)、
その契約を破り、ほかの神々にいけにえをささげ、
自分の手で造った物を拝むユダの人々に、

 それでもなお、立ち帰ることを期待して、
エレミヤを預言者として立て、
「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。
今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけている。
彼らは来て、エルサレムの門の入口と、
周囲のすべての城壁と、
ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設け、
攻めるようにするから」、と、
告げさせようとしておられるのですね(エレミヤ1:11~19)。

 そして、イエスも、
人々が神に立ち帰るようにと、
コラジンやベツサイダ、カペナウムなどの町で、
数々の力あるわざを行われたのだそうです(マタイ11:20~24)。

 私たちも、この方に立ち帰り、
この方こそ、万物を創造なさった方。
御心によって万物は存在していることを認めて、
「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、
主よ、あなたのものです」、と
賛美をささげていきたいですね。
今日も。

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ご自身の民の背きのゆえに、生ける者の地から断たれて

2019-08-22 17:14:58 | 聖書から
わたしの民の背きのゆえに、
彼(主のしもべ)が神の手にかかり、
命ある者の地から断たれた。イザヤ書53:8

 あなたがたは、
気力を失い疲れ果ててしまわないように、
御自分に対する罪人たちの反抗を
忍耐された方のことを、
よく考えなさい。ヘブル書12:3

 Ⅰコリント9:16~23
 マタイ11:1~19(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/22;木)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
直接的にはイスラエルの人々のことですが、
広い意味ではイエスにあって私たちのことも、
「わたしの民」と思っていてくださるのですね。

 そして、「彼」、
やがて現れるイエスが、
私たちの、神に対する背き、反逆の責任を負って、
神の処刑を受けてくださることになる、と。

 イエスは、
御自分に対する私たちの反抗を耐え忍んでくださったのですね。

 そして、イエスの使徒パウロは、
このイエスによる救いを一人でも多くの人に伝え、
その人がこの救いを受け取ることができるようにと、
すべての人の奴隷になった、と。

 律法の下にある人には、律法の下にある者のように、
律法と持たない人々に対しては、
律法を持たない人のようになり、
弱い人には弱い人になり、
すべての人に、すべての者となって。

 すべてのことを、
この福音のためにしている(Ⅰコリント9:19~23)、と。

 自分の信仰を主張するのではなく、
どうすれば相手の人がこの福音を受け入れてくれるか、
ということを優先している、ということでしょうか。

 イエスも、自分の心を行うことはしないで、
遣わした方の御心を行い(ヨハネ6:38)、
預言の言葉のとおりに、
目に見えない者が見、
足のなえた者が歩き、
ツァラート
(ハンセン病のような、当時、治療方法のない伝染性の重い皮膚病)
に冒されたものがきよめられ、
耳の聞こえない者が聞き、
死人が生き返り、
貧しい者たちに福音が宣べ伝えられる、ように
なさったのですね(マタイ11:5)。

 私たちも、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
イエスの十字架刑での処刑に合わせられて
処刑された者、死んだものから出て来た思いであると認めて、
これをイエスの御前にかなぐり捨てながら、

 新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエスが派遣してくださる、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって歩ませていただけるのだそうですね。。
今日も。

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