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★ 露の身ながら-往復書簡 いのちへの対話 【柳澤桂子 多田富雄】
この記事は、ネット友人の山猫編集長のBLOGの記事に寄せたコメントをそのまま使っています。
実は、多田さんの著書を山猫編集長のBLOGを見るまで読んでいませんでした。
良い機会になので
図書館に行き、
1.柳澤桂子さんとの共著「露の身ながら-往復書簡 いのちへの対話」
2.鶴見和子さんとの共著「邂逅」
を読みました。
多田さんの脳梗塞を煩っての物書き、、なかなか大変だったと思います。
SDTMの父親も11年前に脳梗塞で右前頭葉の大半を
失い、左半身付随となるも、運動野が完全に失われず、リハビリで杖を付きながらも歩くことができました。生きる意欲は失うことは無かったですが、なかなか介護する子供と介護される身との関係はそんなに良好と言えず、親不孝の連続だったと思います。多田さんの言を読むたび、表現しきれない父親の気持ちは幾ばかりか…二度目の発作で、多田さん同様に嚥下障害・構音障害となり、意思表示もまま為らぬ状況にもなり、意思疎通も文字盤を叩きながらの読み取りしかできませんでした。PCにもトライしましたが、やはり障害者には優しくなく、、多田さんの様に文を書くまでに至らなかった、、これも介護する側の努力が足りなかったのでは…と後悔しています。
祖父、父親と同じような脳の障害を見てきますと、自分にも同じ運命が待っていると思え、その心構えをせねば…と。(家族に迷惑を掛けたくないと)
この記事は、ネット友人の山猫編集長のBLOGの記事に寄せたコメントをそのまま使っています。
実は、多田さんの著書を山猫編集長のBLOGを見るまで読んでいませんでした。
良い機会になので
図書館に行き、
1.柳澤桂子さんとの共著「露の身ながら-往復書簡 いのちへの対話」
2.鶴見和子さんとの共著「邂逅」
を読みました。
多田さんの脳梗塞を煩っての物書き、、なかなか大変だったと思います。
SDTMの父親も11年前に脳梗塞で右前頭葉の大半を
失い、左半身付随となるも、運動野が完全に失われず、リハビリで杖を付きながらも歩くことができました。生きる意欲は失うことは無かったですが、なかなか介護する子供と介護される身との関係はそんなに良好と言えず、親不孝の連続だったと思います。多田さんの言を読むたび、表現しきれない父親の気持ちは幾ばかりか…二度目の発作で、多田さん同様に嚥下障害・構音障害となり、意思表示もまま為らぬ状況にもなり、意思疎通も文字盤を叩きながらの読み取りしかできませんでした。PCにもトライしましたが、やはり障害者には優しくなく、、多田さんの様に文を書くまでに至らなかった、、これも介護する側の努力が足りなかったのでは…と後悔しています。
祖父、父親と同じような脳の障害を見てきますと、自分にも同じ運命が待っていると思え、その心構えをせねば…と。(家族に迷惑を掛けたくないと)
本の内容を想像させてくれますね。
我が家も義母の調子がいまひとつなのですが、友人の存在がとても大きな生きる張りになっているような気がします。
トラックバック、ありがとうございました。
・・・
“死の淵”から生還された方々の多くは、それを詳細に語ることさえかないませんが、幸いにもお二人にはそのチカラが残されていた・・・。
啓示のように。ミッッションのように・・。
お二人の著作は、これからも、苦しみの中にある多くの方々に、生きる勇気を与え続けていくのだろうと思っています。
-(や)-
ルバング島で軍人生活を送っていた小野田寛郎さんが日本へ帰ってきたときの言葉です。
露よりもろき人の身は・・
ともに生活していた小塚さんが撃たれて亡くなられたときの感想を、帰国されて聞かれたときに言われました。
SDTMさんもご尊父様の介護が大変だったのですね。
私の場合、母と妻に任せっきりでしたが、2人とも介護が限界に達したころに父は逝ってしまいました。
>ちとせ様
義母様にも、張り合いがある
雰囲気があると元気が出てくるのでしょうね。
>山猫編集長
多くの方々は、その境遇を文や声にすることが
できない訳ですから、お二人の存在は
大きいと思います。
>ヲアニー様
親不孝な思いが頭を過ぎった翌日に父は逝きました。
あの思いが…と父を逝かせたのでは…と
本当に後悔してしまいました。
妹にその事を話しましたら、
父親は子供の気持ちを察しっているでは、、
と…(これもかなり辛い発言であります)