昨晩、何気なく深夜、テレビ番組を見ていたら、東大女子学生3名とホスト売り上げ最下位の男性3名の飲み会見たいなのをやっていた。
内容的には、かみ合わない同士の組み合わせを別室から彼等の会話を観察するというスタイルで、特に、引き込まれるような内容でなく、半分調べ物をしながら聞き流していた。
今日、朝になって、何気なく聞いた会話が思い起こされ、確か、勉強大好き人間と嫌いな人間同士、会話も成り立たない沈黙の時間は多かったが、
その中で、東大生女子は、No.1が好きとか、人は裏切っても、勉強は裏切らないとか、学びたい専門分野の話。
それに対してホストの若者は、もっと自由な時間が欲しい、漫画喫茶にもっと行きたいなどの会話が思い出された。
最後に、ホストの若者がどうすれば、No.1になれるかという質問に、会話で、お客を喜ばせるのがホストの仕事、もっと自己分析して、漫画喫茶に行く時間を我慢してもっと真剣に仕事に向かい合ったらとか、好きな漫画の話をして相手を楽しませたらとか、などのやり取りだったようでした。
マスコミでもコミニケーションが取れない若者の話は、良く話題になるが、
これは要するに、聞き下手、「うんうんのウナスギ」と「そうそうのアイヅチ」と「すごいなの共感」のテクニックを知らないだけと私は思っている。
No.1になれないのは、お客本位の姿勢の欠如、
どんなお客でも100%リピーターにしてみせる。客から一人でも多くの紹介客をしてもらう執念の欠如としか思えない。
ここで、大切なのは100%だ、出来ない人は80%でもよいとか、出来るだけと考えてしまうのだ。
結果は別にしても、100%するとだけ考えて、逃げを許さず、徹底的に実践することだ。
その姿勢があれば、No.1は無理でも上位に食い込めるのは間違いない。
No.1になれないのは、自由時間に対する考え方だと思う。
売り上げ数字追われているから、上司から拘束されていると勘違いしてしまう。
仕事の姿勢が受身なのだ、だから仕事を楽しめてない。このことに気がつかなくては、一生かかっても、この状態から脱却できない。
お客を敬うことが出来ない人でも、お客は神様だと思えば、相手を敬うことは出来る。
それでも敬うことが出来ないなら、自分で敬うことが出来る人を見つけてその人だと思うことだ。
頭を下げるのが嫌な人は、頭を下げなくてもよい職業につけばよい。
それは先生と呼ばれる職業だ。人に教える立場になれば、そんな職は沢山ある。多くは教官と呼ばれる職だ。運転教習所の教官もその一つだ。探してみれば、沢山ある。それには人並み以上の努力は必要である。
ただ、頭を下げるのが屈辱的で、いやと思われるだけであれば、頭を下げるのは、ダダの挨拶で、頭を下げる動作は、頭よりお尻をあげると考えてみればよい。
自分は頭を下げているのでなく、お尻を上げているのだと思えば、屈辱的とは思わないだろう。
どんなことでも、考え次第、
私は、最後は、可愛がってくれた死んだ祖母の遺言、それを守っているのだと考えている。東京A
内容的には、かみ合わない同士の組み合わせを別室から彼等の会話を観察するというスタイルで、特に、引き込まれるような内容でなく、半分調べ物をしながら聞き流していた。
今日、朝になって、何気なく聞いた会話が思い起こされ、確か、勉強大好き人間と嫌いな人間同士、会話も成り立たない沈黙の時間は多かったが、
その中で、東大生女子は、No.1が好きとか、人は裏切っても、勉強は裏切らないとか、学びたい専門分野の話。
それに対してホストの若者は、もっと自由な時間が欲しい、漫画喫茶にもっと行きたいなどの会話が思い出された。
最後に、ホストの若者がどうすれば、No.1になれるかという質問に、会話で、お客を喜ばせるのがホストの仕事、もっと自己分析して、漫画喫茶に行く時間を我慢してもっと真剣に仕事に向かい合ったらとか、好きな漫画の話をして相手を楽しませたらとか、などのやり取りだったようでした。
マスコミでもコミニケーションが取れない若者の話は、良く話題になるが、
これは要するに、聞き下手、「うんうんのウナスギ」と「そうそうのアイヅチ」と「すごいなの共感」のテクニックを知らないだけと私は思っている。
No.1になれないのは、お客本位の姿勢の欠如、
どんなお客でも100%リピーターにしてみせる。客から一人でも多くの紹介客をしてもらう執念の欠如としか思えない。
ここで、大切なのは100%だ、出来ない人は80%でもよいとか、出来るだけと考えてしまうのだ。
結果は別にしても、100%するとだけ考えて、逃げを許さず、徹底的に実践することだ。
その姿勢があれば、No.1は無理でも上位に食い込めるのは間違いない。
No.1になれないのは、自由時間に対する考え方だと思う。
売り上げ数字追われているから、上司から拘束されていると勘違いしてしまう。
仕事の姿勢が受身なのだ、だから仕事を楽しめてない。このことに気がつかなくては、一生かかっても、この状態から脱却できない。
お客を敬うことが出来ない人でも、お客は神様だと思えば、相手を敬うことは出来る。
それでも敬うことが出来ないなら、自分で敬うことが出来る人を見つけてその人だと思うことだ。
頭を下げるのが嫌な人は、頭を下げなくてもよい職業につけばよい。
それは先生と呼ばれる職業だ。人に教える立場になれば、そんな職は沢山ある。多くは教官と呼ばれる職だ。運転教習所の教官もその一つだ。探してみれば、沢山ある。それには人並み以上の努力は必要である。
ただ、頭を下げるのが屈辱的で、いやと思われるだけであれば、頭を下げるのは、ダダの挨拶で、頭を下げる動作は、頭よりお尻をあげると考えてみればよい。
自分は頭を下げているのでなく、お尻を上げているのだと思えば、屈辱的とは思わないだろう。
どんなことでも、考え次第、
私は、最後は、可愛がってくれた死んだ祖母の遺言、それを守っているのだと考えている。東京A