不登校ひきこもり支援のNPO法人 FIRST STEP 経験のある親たちが悩める若者のために立ち上げました

R3年現在でファーストステップは20年の実積があります。HPはhttps://1st-step.tokyoです。

親と子供の交流について考えてみた(その1)

2020-09-27 | スタッフの声 mail:hello@1st-step.tokyo
会長です。

前回、カサンドラ症候群的な引きこもりのことで、
「情緒的交流がない」
と書きましたが、

それっていったい何なのかを
今までの会の勉強会で学んで書き綴ったメモ、
自らの反省、
本やネットからの知識、
等々から

今の段階では
まだまだ中途なレベルではあるものの

自分なりにアレコレ考えて、
取り敢えず、まとめてみることにしました。


一応、会長なんで、会員の皆さんから
ボーっと生きてんじゃねーよ!
といわれてしまいますので・・・。

ただし、考えてはみたものの、
自分はそのまとめに従って
うまく分別ある行動ができているかというと、

会員の皆さんがご存知の通り、
相変わらずのダメオヤジであることに
変わりはありません。


なお、これから書いたものは
「精神分析の専門家じゃないのに、
素人が生意気なことを言うな!」と

お叱りを受けそうですが、
私の独り言の書だとご容赦ください。

(一応、自分は父親なので、
父親の立場で考えてみます。
長い文章になりそうなので
何回かに分けてUPします。)

それでは









子供が何かで苦しんでいる時、
どう父親はその状況を理解し交流するか?

タイプ1・・・情緒的に心で交流をする人

情緒的な交流とは、
即座に温かく寄り添う直感的な(動物的?な)共感でしょうか。


理屈を超えた、
相手の感情に即座に同期する
心の繋がりだと思うんです。

「情緒的交流」ができれば、
不登校や引きこもっている子に対して、
「そうか、辛いんだね」
と共感できます。



ちょっと思ったのですが、
その言葉、フーテンの寅さんから
「少年よ!そうか、辛いんだね」
と出て来そうな感じですね。


もし、これが成年だったら、

「人間は何のために生きてんのかな」

と聞かれた寅さんが、言った有名な言葉

「あー生まれてきてよかった。
そう思うことが人生で何べんかあるだろう。
人間そのために生きてんじゃねえのかな」


と、やはり優しく言うでしょう。

(昨日、BS録画していた寅さんの映画を見ていたので、そう思いました

映画『男はつらいよ』(第1作)予告編映像



不登校、ひきこもりに悩む人からみたら
ホッ
安心できる交流ですね。

演歌調に言えば、
情緒的交流の出来る親とは
辛いときに逃げ込むことのできる
「心の港」
でしょうか。

とにかく、こういうことは理屈じゃありません。


ただし、このタイプの交流では
その子供への観察に基づいた父親からの具体的解決策の提案
というものは比較的に少ないように思います。





一方、そうでないタイプの人は

タイプ2・・・その子の状況を冷静に知的に分析し、
頭で子供の気持ちを理解するといった人


子供の心理への分析力があるのですが、
パッと感情移入することが少ない人ですね。

(つづく)