与一から出て来た生き物の記録

奇妙な生き物。早朝の自宅ガレージ奥の「与一」の中から、様々な働きをする者たちが生まれています。その有様と効能の記録です。

そらの物語・57 「小話1・斎元の学習」

2011-07-18 08:00:18 | そらの物語


 


57


ー  小話1 ー


斎元の学習


 


「斎元」は、はじめて「そら」と二人で出かけた時から、


”学ぶ事”が多かった。


 



 


@1・・・「そら」は待ち合わせの時間と場所の確認を何度も繰り返し、


それにずっと付き合った後でないと、無事な当日を迎える事ができない、という事。


「そら」からの「確認メール・確認電話」は10回20回と執拗に続く。


そのやり取りを1回でも怠ると、「そら」は時間や場所を間違えてしまうのだ。


他に「そら」は、どこも「行きたい所」がない、という事。


「そら」は「斎元と一緒」であればそれだけでいいのだ。


だから自然と行き先を決めるのは「斎元」の役回りとなる。


 


@2・・・「そら」の”バッテンナンバー”のスクーターは、「斎元」には大問題だった。


「盗難車」は、”よろしくない”。


「初・デート」の折にも「そら」は平気で”それ”でやって来たが、


「”それ”はいけない」という会話から「初・デート」は始まった。


「斎元」は「自転車」を買ってやる事を約束したが、きわめて低所得の「斎元」にとって、


「一万円を超える買い物」は、かなりな”奮闘”が必要だった。


電気・ガス・水道・電話料金を一カ月支払わずにおく事で、


その資金はどうにかなり、その話しは現実となった。


 


@3・・・「そら」は”手をつなぐ”事が大好きだ、という事。


はじめは「人目」が気になる「斎元」だったが、それははじめだけだった。


どこに行く時も、スッと「斎元」の左側。


「斎元」はそんな「そら」が可愛くてならなかった。


「斎元」は時折強く抱きしめたくなったが、それはさすがにできなかった。


しかし、そうして欲しい「そら」の気持ちも「斎元」は分かっていた。


「人のいない所で・・」と思っていたが、


そうした状況になっても、なぜかその「勇気」が湧かなかった。


 


@4・・・「そら」は一つの会話が「尻切れトンボ」に終わっても、


何んら気にしない、という事だ。 「あの話しは何んやたっけ?」などとは言わない。


また、「えびすメンバー」の誰がどうした、という話しが多かったが、


全く同じ話しを何度繰り返しても、「そら」は違和感を感じない。


だから「斎元」も「あ、またその話し・・」と思っても気にしない事にした。


「そら」が嬉しそうに話しているのを見ると、「斎元」も嬉しくなるからだ。


 


@5・・・「そら」に何かを説明する時は、あまり長い例えや言い回しをすると、


わからなくなってしまう、という事。


「そら」は、わからなくなると、黙ってしまうのだ。


「話しの内容」は理解できていなくても、


「「今の話し」を自分が理解できなかった」、という事は理解できるからだ。


だから、「斎元」の親友の田川も一緒の時など、


仕事の話しで盛り上がったりするが、「斎元」は必ずその内容を、


「そら」が分かるような言葉に並べかえて、もう一度話すのだ。


 


 


 


この”学習”は「斎元」にとって、楽しくてしかたがなかった。


「そら」の事が分かれば分かる程に、「斎元」は自分の生命の奥底に、


”勢い”が生まれるのを感じるのだ。


 


 


 


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

そらの物語・56 「よし、おれは・・」

2011-07-08 08:57:15 | そらの物語


 


 


 56


「よし、おれは・・」


 


 


出会ったばかりで お互いをまだ


よく理解してもいない


なのに きみがここにいないという事が つらい


このつらさは 君と長年連れ添い


苦楽を共にして来た夫婦のように


徹して根本的だ



いくらでも メールをすればいい 


いくらでも 電話で話せばいい


おれたちは それ程自由なのに


”一緒でなくなる”だけで もう 君への想いに束縛され 


心は動けない


明日また 会えば良いのに


離れている間 君の感触が蘇り


君のにおいが蘇り 君のことばが蘇る


それが つらい


会う回数を重ねるごとに


別れてからの 会いたさが きつくなる


そら 君も 同じ気持ちでいるのだろう


 


そら 君は”しあわせ”になる為に 生れて来た


そら 君は”しあわせ”になる為に 生れて来た


 


よし おれは


君を守れるほどの 強さを持とう


よし おれは 


君の為に 生涯を定めよう


よし おれは


君に対する偏見や差別や無理解や


それに類する全てに 立ち向かおう


君の心の安心と 君の笑顔を生み出す事のみに


おれが生まれた意味を 見出したから


 


君は 「ありがとう」が言えない


そのかわりに 「ありがとう」は


おれの中に有る


 


よし おれは


君の”しあわせ”の為に


ありがとう」 と 生きよう


 


2008年 初夏


斎元 よしお 



「はたらき協議会」以降、いかなる突発時にも対応できる態勢だった私たちを


まるで嘲笑うかの様に、「サソリ達」に動きはなく、


出し抜けに「告白」を送って寄こした「月の者256N」=「希崎」も、


その反応を止めている。


「和解マン」の動きも、それらしき兆候はなく、


何事もなかったかのような、静かな初夏をむかえようとしているのだ。


かといって私たちの現行の”警戒態勢”を解く事はできない。


それは、海外に逃亡したのであろう「サソリ」の行動パターンも、


「月の者256N」=「希崎」の仕掛け方も、出し抜けであるからだ。


 


そうした中でも、”何かの兆候”の様な、幾つかの出来事はあった。


一つが、「カマクイ」を追っていた「メジ式」からの報告だ。


「暴漢達はサソリではなく、カマクイと連携している」との事だった。


世の中を騒然とさせた、「サソリ」がオフィス・和解マンの事務所を占拠し、


大挙集まった群衆の目の前で、居並ぶ警官隊を出し抜いて逃走した事件(45話・「一の妄の生中継・1」~51話「そらの告白」http://blog.goo.ne.jp/seiichi999_2009/e/523467842e4beff91a80fffb5a066305)。


これはその後も「オフィス・和解マン事件」としてTVなどで


特集番組が組まれるなど、世相を大きく賑わせた。


そうした中、血気盛んな暴漢達の中には「事件」以降、


「サソリの復活」をカリスマ的に信奉する者も多く出ていた。


「メジ式」が「カマクイ」の行方を追う中で、まず多く収集できたのが、


現在 唯一「サソリ」とのパイプとなっている「カマクイ」に


暴漢達が”「サソリ」の今”をたずねるメールだ。


「サソリ様は今どこに?」。 「サソリ様の復活は?」。


これに対する「カマクイ」の返信は「待機せよ」、もしくは、「時を待て」、


「今は、ゆるやかに6号を追え」。


「カマクイ」の返信に「サソリ」という単語は一切出て来ない所から、


「カマクイ」はこの暴漢達とのやり取りを傍受されている事を警戒しつつ、


必要最低限の指示を出しているのがわかる。



この「メジ式」からの報告に「よも清さん」は、


「そのメールのデータを全て記録しておいて下さい」との返答をした。


 


もう一つの出来事は、「Hiたかお」からで、「斎元」と「そら」の関係の、


劇的な進展に伴って、「斎元」が「和解マン」と直接連携が取れている


という事が明らかとなった事だ。


「斎元」と「そら」との出会いをめぐって、「和解マン」から送られて来た、


「和解マンのおみくじ」と「その説明書き」(参照・34話「和解マンのたすけ船」 35話「おみくじの内訳」http://blog.goo.ne.jp/seiichi999_2009/e/3d57527fd1f55e95169fe1a5eab6c7f3)。


これによって「和解マン」は確かに存在していて、しかも


”良いはたらき”もする、という事がわかった。


これはおもしろい。 私たちの皆が心躍る出来事だ。


「Hiたかお」と「斎元」の対話の進み具合によって、


「はたらき協議会」で決まった新たな人事でもある、「分解えら子」と、


「ゆきりん&ぽち」の「はしみ荘(斎元の自宅)」への配属により、


今後さらに煮詰まった、新たな情報も出て来るだろう。


 


私たちは今後起こって来る様々な出来事に対して、もう一つ新たな態勢で望む事とした。


それは、今まで物語は「よも清さん」か私たちの語り手が物語る形式をとってきたのだが、


それにぷらすα、「斎元」にも折々に物語ってもらう事としようと思う。


「語り手」の増員である。 これによってさらに多角的な表現が可能となるだろう。


というのは、彼は今はまだそうでもないが、私たちの「大調査」において、


必要欠くべからざる位置にいて、なをかつ私たちが気が付きもしなかった、


視点で局面を切り開いてくれるからだ。


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

みなみとすずの毎日大冒険・9 「すずの”目力”とみなみの優しさ」

2011-06-27 09:38:51 | みなみとすずの毎日大冒険

        



みなみすずの毎日大冒険


Young  man  be not  forgetflu  ob  prayer  .



 


「すずの”目力”とみなみの優しさ」


すずの”目力”は保育所でも話題となっているようだ。 いわゆる、「めんちを切る」。 生まれてすぐの頃からそうだったが、最近ますますその「にらみ」に”迫”が出て来たように思う。 自分の意にそぐわない事を言われると、相手が先生でもお父さんでも取りあえず睨む・・・。



写真ではその決定的瞬間が上手く撮れないのだが、大人がちょっと”引き気味”になるくらい「ギロッ」という感じ。 


これは一瞬しか見せてくれないが、かなりのインパクト。 このすずの”目力”に対等に張り合っているのが、お兄ちゃん=みなみの”しゃべりパワー”だ。



みなみの写真を撮ると、ちょこまか動き回るのでついついピンボケしてしまう。 彼は動きながらも”ずっとしゃべって”いる(笑)。 どこかへ出かける時は常に、行きも帰りも(笑)・・・。 何かを常に解説し、常に物語っている。 お父さんも「しゃべり」だが、おまえ程ではない・・。 とか言うと「”おまえ”ちゃうで!みなみやで!!」。 「ほんなら、みなみ!」。 「”みなみ”ちゃうで!おにーちゃんやで!!」・・・・。と、ここから始まってしまう・・。  これは最近、ほんの10分~20分くらい、夜ごはんの前に時間があったので近所の公園に出かけた時の写真。 このちょっとした間だけでも「めっちゃ仲よし兄弟」~「めっちゃ大げんか」の繰り返しで、それで何んら不都合のない二人だった。 





かくもマイペースな二人は”常に意気投合”しながら、”常に骨肉の争い”を繰り返し、


親がヘトヘトになるまで元気いっぱいだ。



 


この散歩の時の、みなみ撮影のお父ちゃん&ゆかお母ちゃん。 「も~~、おれがとったるわ!!」とあきれたように撮影してくれた。


たばこ吸うてる写真ばっか



 


これもみなみ撮影。 タイトル・・・・「おれの”あちぃ(足)”」。



 


「ごはんは残さず食べよう」。 「ウソをつかない」。 「すずが階段に出てきたら、みんな集中(落ちるから)」。 「おやつは夜ごはんを食べた後だけ」・・・・等々のわが家のルール。 ただこれは徹底されている様で、あまり徹底されていない。 しかし、徹底している時は、一応徹底している。 表現がむつかしいが、「”ゆるいめ”に徹底」している・・という感じ。 このルールに犯する事が10回あったとしたら、そのうち2~3回は「お父ちゃん」が”めっちゃ怒る”・・・。 いつもおふざけモードのみなみは、お父ちゃんが真剣に怒りだすと案外キチンと言う事を聞いてくれるのだが、すずはたいがい反抗的だ。 そんな中で、ついこの前ちょっとした事があった。


お父ちゃん 「すず!ちゃんと食べなさい(ちょっとこわい言い方)!」。


すず 「・・・・・・」(普通に無視)。


みなみ (無言で「おれはちゃんと食べてるで・・」というしぐさ)。


お父ちゃん 「すず、あとちょっとやから、これだけ食べたら、おかしOK やで!!」。


すず (さらに強く無視)。


お父ちゃん 「すず!!」。


すず (持っていたスプーンを投げて、なをかつ無視)。


一歩も譲らないお父ちゃんとずずを見ていて、ついつい何か言わずにおれないみなみが、このあたりで入ってくる。


みなみ 「(お父ちゃんの側で)すず!ちゃ~んと食べたら、おかちOKやで!!」と、お兄ちゃんらしく、優しく言う。


すず (”敵が増えた”とばかりに、お兄ちゃんもにらむ)。


みなみ (ここで双方の譲渡案に出る)「ほんなら~、ちょっとごはん残ちたからぁ、おかちは、ちょっとだけやったらOKやな!!」。


お父ちゃん 「あか~んっ!!ちょっとでも残したら、おかしはなしっ!!」。


すず 「わあああ(泣く)」。


 お父ちゃん 「泣いてもあかん!!ちゃんと食べなさいっ!!」。


すず (さらにでっかい声で)「うううわあああああ!!!!」。


 


ごはんをキチンと食べたみなみは”とばっちり”が来ない様に、スゴスゴと「・・・おかち持ってくるう・・・」と、ちょっと控えめに言って、部屋をでて行こうとする。


お父ちゃん 「みなみ!!おかし、持ってきたらあかんで!!あっちで食べてきなさいっ!!すずが欲しくなるやろ?!!おまえはちゃんと残さんと食べたから”おかしOK”でも、すずは”ちょっとだけ残したから、おかし無し””やねんで!!」。


みなみはお父ちゃんが”徹底モード”の時はどうあがいても”徹底モード”をゆるめる事はないのを知っているので、小さな声で「はあ~い・・」。と言って、部屋から出ていく。


この後、「すずの悲劇」はまだしばらく続く・・・。


その後の、おかしを食べに部屋から出たみなみ。 「おかし」の入っている食器棚を指さし、そこで一服中のお母ちゃんに「おかーちゃん、おかち取って~」。 食器棚の「おかち置場」には、おやつを買い忘れた時様のどうでもいいスナック菓子と、みなみ達本命のチョコレート菓子が、二人分そろえてある。 いつもそのチョコレート菓子を開けて、すずの分と自分の分をお皿に分けるのがみなみの定例の役割。  みなみがチョコレート菓子を「黒いのはおれ~赤いのはすず~」と一つづつ分けて行くのを、すずはわくわくしながら待つ。 いつもみなみは「赤やピンクや黄色」といった明るい色のものはすずで、黒や水色は自分が食べる。


しかしこの日のみなみは一味違っていた。 「チョコレート菓子」と「どうでもいいスナック」とをしばらく交互に見てから「これ~・・」と指さしたのは、「どうでもいい方」だった。 お母ちゃんが「みなみ、チョコレートあるで!」といっても、「うん、こっちにする~」と「どうでもいい方」。 常日頃、「食べてもいい”おかち”」を「がまん」する事なんてない彼。 この辺の”微妙なお兄ちゃんの気持ち”に、何んら気づかないおかーちゃんは「はい!どうぞ!」と「どうでもいいスナック」を渡した。



結局この日すずは、かなりロングな”お父ちゃんとのバトル”の末、夜ごはんを「残さず」完食した。 「食べる事」がキライになってはいけないので、いつも「完食」を徹底している訳ではない。 しかし折々に「キライなものでも全部食べたらとっても良い子なんや」と分かるようにしている。 みなみはその辺が上手くいってて、たいがい何んでも食べてくれるが、すずはいよいよこれからで、自分の意思を相手に伝える”仕方”も分かってきたところ。 「わたし、これ、食べたくない」・・その意思が”ちゃんと通じている感”を持たせてあげる事も大事・・。 難しいところだ。


 


「全部食べれた感」でちょっとテンション上がり気味のすずに、さらなるご褒美が待っていた。


みなみ 「よちっ(よしっ)!!おれがすずのぶんの、チョコレート分けたるわ!! おかーちゃん、取ってぇ~!!」。



 


 


 


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

おひさしぶりです!!

2011-06-19 05:07:16 | 創作 おぼえがき

おひさしぶりです~!!!!



一か月近く、ご無沙汰しておりました!!


何をしていたのかというと、またまたPCの調子がよろしくありませんで・・・。


メールのやり取りはできるのにBlogの更新や写真のデータの編集をしようとすると


意味不明の反応をする


電源を入れて、立ち上がるまでもものすごぉぉ~い時間がかかるし、ネットにつながるまでも


いろんな画面があれこれ出てきてなかなかつながらない


しまいには「ビジー状態の為どうのこうの・・・」の表示が出てきて、いったん電源を落として


始めからやり直し・・・・


こんな感じで、悪戦苦闘の一か月でした


ひょっとしてウイルスかとも思ったのですが、そうでもないので、


もしかすると「FA637」が中に入り込んで何か調べていたのかも知れません(笑)


 



 


もう一つ、この間夢中になっていた事があります。


また正式に大々的に、バッサリと紹介しようと思っているのですが、


「絵本の挿絵」のお仕事がありまして、久方ぶりに作品制作に没頭していました。


これが僕の中では大盛り上がり!!


けっこういい「もの」に仕上がったのではないか・・と思っています


お楽しみにぃ~!!!



 


今後の予定としては、すでに半分作りかけの「みなみとすずの毎日大冒険」から


して行きます



写真の編集ができなかったんで、途中まで書いて「放置状態」。 もったいない・・・。


 


 


あと、「そらの物語」の小話的なものも予定しています。



 


 


この時期、雨 雨・・・・・う~~~雨・・・で、毎日うっとうしい日が続きますが、


「うっとうしい」とか書くと「雨」が好きな人に怒られるかもしれませんね


「雨」が必要な人もいるでしょう。 


ただ、降るんなら降るで「傘」をつぶさない様に降ってくれ・・・と言いたい(笑)。


いったい何本、うちの「傘」がヤられた事か・・・。


なんで「雨」と「風」はセットなんや?? あんたらは”なかよしか(大笑)”!!!


・・・・と、愚痴りたい方もいてたりして・・。


 


皆さま、どうかこの時期、ご自愛下さいませ



 


 


 


 


 


みなみとすずの毎日大冒険・8 「わが家の異変?」

2011-05-18 09:10:26 | みなみとすずの毎日大冒険

     


  


  みなみすずの毎日大冒険 


Young   man   be   not   forgetful   of   prayer   . 


  


 


「わが家の異変?」


わが家に”異変”が起こっている。 というのも、まずは下の写真。



んん??冷蔵庫・・・。この”異変”、分かります?? もっとわかりやすく・・・



冷蔵庫に・・・・ミニカー・・。 だれや??と、考えるまでもなく、犯人はこの人。



で、何をしようとしてるのか考えると、ちょっとおもしろくなって来た僕は、取りあえず「犯人」には何も言わずに、放っておいた。 すると・・・



きんぎょ・・・・・。


これは「犯人」に”仲間”ができた事を意味している。 「きんぎょ」の持主はこの人。



このまま放っておいて冷蔵庫がおもちゃだらけになるのもアレだと思い、みなみに「これはいったい何をしてるのか?」と聞いてみると、


みなみ 「かわかちてんねん」。


すず 「#●×△ねん」。


お父ちゃん 「かわ・・・・・」。


ゆかお母ちゃん「(ゲラゲラ笑う)」。


 


子どもには子どもの”つもり”がある。 特にここ最近のみなみの発言は、親バカかもしれないが、「想像力」を感じてしまう。 そのせいか「ウソ」も上手くなってきた・・・。 「ウソ」というよりは「テキトーに話しを作る」・・。 保育所で先生に、「みなみ君は昨日何を食べたのかな?」と聞かれて、「カレーライス」と答えたそうだ。 それも「お父ちゃんが作って」くれておいしくて、全部食べたから「ごほうびのおやつ」はチョコレートだったらしいのだが、実際は「ラーメン」で、「お父さん」は仕事でいなかったので作ったのはお母さん。 ものすごい「テキトー」に言ってるのに、何気に”具体的”だ。 僕はこれを”みなみ物語”と呼んでいる。  この「みなみ物語」がだんだんエスカレートしていて、一番最新なのが上の冷蔵庫を使っての「みなみ物語」。 あと、保育所の行き帰りに自転車から見えるものの順に「物語」を作ってくれる。


ー みなみ物語 ー


ゴミちゅうちゅうしゃは(ゴミ収集車)~


あっちにいってな~ も~いらんで~


かいだんのぼったら~


ちんどい(しんどい)で~ ほんならな~


おじさんがな~ おうちつくってな~ おもろいで~


おばけがでてきてな~ ビョーっと行ってな~


ゴチンッ(身振り付き)ってぶつかってな~


ちィ~でるでぇ~ うっわあ、こりゃあイタイ イタイやで~


ほんならな~・・・・・・・


と、保育所につくまで延々続く(笑)。 おもしろいのが、見たものを並べて言うだけでなしに、その中に「おばけ」とか「仮面ライダー」とか「ネコバス」とか、そこには見えていない記憶の中にあるものを”織り交ぜて”、物語ってくれる所だ。 現実と空想がごぉぉっちゃごちゃになって、区別できてるトコと出来ていないトコとの微妙な間で、想像力が爆発している。 「わが家の異変」とはこの事。


この、みなみの言葉の暴走に引っ張られる様に、すずの言葉もどんどん増えて来た。


 



すずの写真を見せると「ちゅじゅ(すず)~」。 「とっちゃん(父)」。 「かあちゃん(母)」。 何かいる時はちゃんと物を指さして「いるぅ~」。 おなかが減って来たら「ごあん!ごあん!」の連呼。 「ぎゅうにゅう」とかはハッキリと発音できるようになった。 あと、「はいっ!どーぞ!!」も。 すずに取って「みなみお兄ちゃん効果」は絶大だ。 


 



これはつい今朝がた、まだそう暑くもないのに扇風機をつけて意味深長な笑顔のみなみ。 ゆかお母ちゃんが「みなみィ~!!寒いって!切って!」。 というと 、「さむいとか ちゃうで~!せんぷうきが本読んでんねやんか!!」。 確かに、イスの上の本が扇風機の風邪でペラペラと・・。 それにしてもこの写真のバックに写っている冷蔵庫が大変な事になっているが、これもみなみ・・・。


 


勢いの止まらないみなみとお母ちゃんが衝突する場面も増えて来た。 お父ちゃんはまだ強敵すぎる様で、今の所衝突はないが・・取りあえず覚悟はしている。 ある朝、僕とゆかお母ちゃんの二人でコーヒーを飲んでいると、そこへみなみが来て「みなみもいるぅ~!!」。 で、そのあと・・・ 


ゆかお母ちゃん 「コーヒーは子どもが飲んだらあかんのや!!」。


みなみ 「こどもは飲んだらええのや!!」。


ゆかお母ちゃん 「子どもがコーヒー飲んだら・・飲んだらな・・・・ ・ ・えっと・・


爆発するで!!」。


みなみ 「おかーちゃんがばくはつしろっ!!」。


ゆかお母ちゃん 「爆発するのは おまえやっ!!! 」。


みなみ 「ばくはつせえへんわ!!!」。


ゆかお母ちゃん 「子どもが爆発するって言うてんねやろ!!!」。


みなみ 「おかーちゃんがこどもじゃ!!!!」。


ゆかお母ちゃん 「ほんなら、おまえは大人じゃ!!!!」。


お父ちゃん(転げまわって笑う)・・・。


 


このバトルは毎日の様に行われているのだった


 


 


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

「ゆかちゃんの”東京探検記”」

2011-05-14 03:18:10 | 井川 WORKS!!

                             井川 works!!!                       


 


    ゆ ち ゃ の 東 記  


 


 


 


これは何かというと・・・・


「生き物たち Mini Bookといいます(笑?)。


先日、めずらしく”夫婦みずいらず”で東京に行って来たのですが、これは前回の記事でも書きました「路上演劇祭」を見に行く為に「手ぶら」でもアレだと思い、作成した小冊子。 上は、その作成の時に使った写真編集の機能で、ちょっと遊んでみたもの。 体裁はこんな感じ


 



「路上演劇祭」の開催が5月7日で、僕たちの出発は前日の夜行バスだったので、それだけでもギリギリなのにこの「小冊子」の作成を思い立ったのはその出発1日前。で、無理をしなければいいものを、「やりだしたからにはある程度ちゃんとしたモノ」でないと納得できない性格上、出発のバスの時間ギリギリまで作成に没頭してしまいました。 ここから僕の「嫁」=「ゆかちゃん」のちょっとした悲劇が始まってしまうのでした


というのも、あわてて出発したにもかかわらず、思った通りバスの時間に間に合わない・・・・・。旅行会社の出発場所の説明がわかりにくかった事も助けて、出発場所の「梅田」の”なんちゃらステーション前(?)”ついたのはバスの出発時間を20分近くもまわってから・・・。 こうなると、なんでも予定通りにいかないとものすご~~く「不安」になってしまう「ゆかちゃん」は、「せいいち!もうあかんのかな?トウキョウはやめとくの??どうなるの?」と不安満載 こういう場面で、何んとかならない事でも何んとかしてしまうタイプの僕は旅行会社の人と電話でやり取りする中で、京都まで電車で行ってバスに追いつき、あらためてそこから出発・・・という展開に。 しかしこの事が理解できない「ゆかちゃん」「ええええっ??なななんで?なんで?京都に行ってから、トウキョウってなに?なに?なんか、わからん?」。


僕 「ええねん!ええから行くで!!」と半泣きの「ゆかちゃん」共々に京都へ。 バスの京都出発時間が11時40分で、僕たちの京都着の時間が11時40分。 取りあえず滑り込みで間に合いました


このギリギリの展開でちょっとテンションあがり気味(笑)の僕とは逆に不安でいっぱいの「ゆかちゃん」は、バスに乗ってからも折々のトイレ休憩などでサービスエリアで止まっても、怖くて断固バスから降りない・・・。 「大丈夫!大丈夫!!今、20分の休憩って言うてたから、20分以内にもどって来たらバスは”ちゃんと”待ってるって!いや、ホンマホンマ!!」・・・。 「ええっ?バスがどっか行ってしもてたら、もお帰られへんで・・・。この状態で、ものすごい説得に説得を重ねてやっとトイレ休憩に出ても、サービスエリアで「おちゃを買う」だけでも、まるでゾンビか何かに取り囲まれた人が、今にも噛みついて来られる中を命がけで進む様に、僕にビッたりくっついて離れようとしない・・・。



これは、かなりお疲れの”トウキョウ着”の「ゆかちゃん」。 新宿、歌舞伎町あたりを少しうろちょろするうちに、ちょっとゴキゲンを取り戻してくれたところ・・・ 。僕は期待満載、「ゆかちゃん」は不安満載。 このちぐはぐな空気を一変させてくれたのが・・・・そう、Blog友達でイラストレーターの「虹河ことめ」ちゃんとの初対面!!!「私、”おばちゃん”なんで、びっくりしないでね!!」と何度も言っていたので、僕なりに「おばちゃん像」を思い浮かべてもいた。 ”おばちゃん”というと・・・ボリュームのある体系、なんだかわからないうねうねのパーマに「むらさき色」とかのヘア・カラー。 何故か手首には「輪ゴム(笑)」とか。 あと、真っ赤な口紅にバッチリ塗り込められたお化粧・・・・。 ところが、実際会って見ると、僕が思い浮かべていた「おばちゃん像」は完全に払拭された。 小柄で可愛い感じ。 お化粧とかもしてなかったのでは??というくらいの自然な感じは、「ゆかちゃん」と一緒に歩いていると、歳の近い姉妹のようだ。 会って間なしから満面笑顔で「ああっ!!!もしかして!!誠一っちゃん??だよね??」というフレンドリーな対応に、それまで不安満載だった「ゆかちゃん」もいっぺんにゴキゲンだ。 写真をここに掲載したいくらい(笑)。 でもその後、会話に夢中で撮ってなかったんで載せれないんです。 初対面とは思えないくらいの会話の弾み様で、3人とも「道」が分からないので迷いながら、しかし会話も切れ目なし・・みたいな”せわしない盛り上がり様”(笑)。 


  これは会ってすぐにことめちゃんに頂いたプレゼント。


そんなこんなで一通り喫茶店で歓談する間、「ゆかちゃん」は安心感があった為か”うとうと”し始め、しだいにことめちゃんもこの「ゆかちゃん」という人の「そのまんまキャラ」が面白くなってきたのか3人で談笑しながら、目的地でもあった「路上演劇祭」の会場でもあった「千歳・烏山」へ向けて出発した。


 途中の電車で、3人が3人とも路線が分からず、右往左往。 ことめちゃんも普段あまり使わない路線であった為に、電車の車中でも「この電車であってるんかいな??」とか言いながら、車中の路線図を僕とことめちゃんと2人ともで持っていた「傘」で指しながら移動。 「ああでもない・・こうでもない」。 で、やっと”ちゃんと”した路線に乗り込めたかと思うと、今度はまた会話に夢中になり「あっ!!」っと気が付くと目的地を通り越していたり(笑)・・。 この「3人がかりでの乗り過ごし」は、半分”おねむモード”だった「ゆかちゃん」も大ウケだった。



会場に入ると早々に、「おっちー」さんの進行の声。 そして、拝見してしまいました「ときのぷらんと」の「www.co.jp!!!雨天を押しての演技、スゴかったです!というか「雨」も演出効果として上手く使っていたのでは?周平役の「モコ」さん、まひる役の「むらっち」さん、夏生役の「ジョー」さん!!本当に本当にお疲れさまでした!何やら今後「劇場公演」の話しも出ているとか!!この「路上演劇祭」、今後もいろんな方向に広がって行きそうです 「ときのぷらんと」の”劇場版”!!是非是非見てみたいですね~!!フリー・トークのコーナーでは僕も”若干”の時間を頂き、挨拶をさせて頂きました。 


これこれ



マイクを持たせるといつまででもしゃべっている(笑) しゃべっているうちにだんだん調子が出てきて”若干”では収まらず、ついつい「大阪弁」がでてしまったりとか。 「たとえに次ぐたとえ」、「脱線に次ぐ脱線」の連発で、しまいには「生き物たちの詩」の朗読まで始めてしまい(大笑)・・・。 おっちーさん、すみませんでした


帰りは再びことめちゃん&「ゆかちゃん」&僕の3人トリオで居酒屋で食事。 あっちこっち見てまわる時間的ゆとりがビミョーになかった事もあり、夕刻のちょっと早い時間だったけど、どこか落ち着いた所で少しでも長い時間盛り上がろう、という事で意見は一致した。 「ゆかちゃん」は会話の流れのままの、為すがまま(笑)。 そして、時折僕とことめちゃんの会話に素っ頓狂なタイミングで割り込んでは笑いを起こしてくれました。 それにしても、ここでの”ことめちゃんトーク”は熱つかった!!!いや、もう・・とにかく熱い!!イラストの話し、Blogの話し、いろんな技術的な事の話し、「夢」の事や、あんなこともこんなこともそんなことも・・。 僕も調子に乗ってああだこうだとしゃべったけども、ことめちゃんもなんのなんの(笑)・・。 優しいイラストをつい思い浮かべてしまう優しい笑顔の奥に秘められた、”「もの創り」に対しての熱い熱い思い”。 僕はこんなにも情熱的な友人と知りあえて、本当にしあわせ者だと思いました。 大盛り上がりの最中、「ゆかちゃん」は?というと、ちょこちょこと話しただけで、会話にはほとんど入れなかったにもかかわらず、ホテルに帰ってから「わあああ~!!ことめちゃんって可愛かったぁぁ!!たくさんしゃべれて、よかったぁぁ~!!」と、ご満悦のご様子でありました(笑)。


 


「東京探検記」とタイトルする程でもなかったんですが、僕にとっては「おっちーさん」や「Just4uさん」との初対面もあり、「ゆかちゃん」にとってもとっても貴重な初トウキョウの旅でありました


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

「路上演劇祭」!!!

2011-04-27 04:58:32 | 井川 WORKS!!

ああああああああっ!!!


 


なんと!!


 


「生き物たち」が・・・


 


東京にあらわれた???・・・・


 



 


「 路 上 演 劇 祭 


Japan 2011」 


 


これは何を隠そう、来る5月7日・8日に、東京都 世田谷区の「鳥山区民センター前広場」で開催される「演劇祭」のポスターなんです!!! 


Blog友達の「おっちーさん」より声をかけて頂いて実現しました。 この「路上演劇祭」、すごい話題性が強く、TVニュースなどでも様々に報道されるなど注目のイベントで、今回もどんな劇や音楽、パフォーマンスが飛び出すか目が離せません


ニュースの模様はこれ!!!


http://www.youtube.com/watch?v=cdU41ff85nA


 


 


で、昨年の「路上演劇祭」の模様はこれこれ!!


http://www.youtube.com/watch?v=G1O2hzel6Pg


 


制作裏話ですが、昨年末よりお話を頂いて、水面下でゴソゴソと準備を(僕は生き物たちの画像を送っただけなのですが・・)する中で、この「路上演劇祭」の”ロゴ”も、「井川文字(笑)」で、という話しもあり、このポスターの中のアクセスマップの所に入れて頂いてるんですよ


この「路上演劇祭」の「井川文字バージョン」の”原本”はこれ


  



”書”です(笑) たまには良いでしょう? 書体はやっぱ、”井川くずし


 めっちゃ「読みにくい(大笑)」・・・・・。


「ちゃんと書けよ」って突っ込まれそうです


このポスターは2種類あって、先に紹介したのが「ヤルよポスター」というもの。で、出演者・団体募集のポスターが下。


 


どちらとも「生き物たち」が所狭しと「わあわあ」言ってる・・・。で、しかも必要な情報もシッカリとわかりやすくデザインされています。 このポスターのデザインを担当されたのは「Just4uさん」という方。 うん、お見事です!! おっちーさんのBlogで紹介されています。


この「路上演劇祭」の中で、おっちーさんご自身も実行委員長を務めておられたり、なおかつ「www,co.jp」という作品(13分程度)も出展されていたり、何やら演劇祭全体の総合司会までされるとの事で、すっげえエネルギッシュ。 ポスターのレイアウトの打ち合わせの為、何度か電話でやり取りをしたのですが、そんなパワフルさとは裏腹にとってもやわらかな感じの話し方をされる方で、レイアウトの打ち合わせ以外の笑い話で盛り上がったりもしました(笑)。 たぶん今頃は本番を前にバタバタされている事でしょう(他人事のように言うな(笑)??)。


僕がおっちーさんと知りあったのは、おっちーさんの「詩作」に引かれた所からでした。 どの「詩」だったか、コメントしたりもしたような、しなかったような(笑)・・。小説も書かれています。 これが結構おもしろいんですよ


「ONE EYES」


http://blog.goo.ne.jp/t_oti/c/2e913995c038b8d5d81e894fb2335c5f


「軽いタッチで描かれた青春群像のような・・」とご本人は言っていますが、結構考えさせられる様な登場人物の葛藤が描かれていたり、もともと劇作品としての下地があっての作品だからか、「登場人物の動き」と「場面展開の仕方」がお見事なんです!! それと「会話」ですね! 会話のテンポに注目です。 


 


今回紹介しました「路上演劇祭」、お近くの方は、ぜひぜひ遊びに行ってみて下さいね


実は、「井川ファミリー」も行こうかな?・・・・・とかも考えてるんです。 まだ未定ですが・・・・。 行きたい・・・。 めっちゃ・・行きたい・・・。 とっても 行きたい!! うん、良く良く考えます(笑)・・・。 行きてぇぇぇぇぇ~!!!


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

そらの物語・55 「”取り”はHiたかお」

2011-04-23 03:13:46 | そらの物語


 


55


「”取り”はHiたかお」


 



いったん騒然とした場内は、一拍あけて言葉を継ぐ「FA637」に集中した。


「この”希崎”という人物が、”発病した”と言っている年月日なのですが、何か記憶にありませんか?そう、この協議会の開催直前に”おがたの尻”から出てきた「ファイル」の中にもこの”1990年代”があり、気になる記述があるんです。 では、もう一度、”あのファイル”をご覧ください。」


 


月の者256N    不定期・発信




 




1900・06・22  初起動 確認




1919・03・01 返還拒否 確認




1920・12・07  生き物バージョン5220076mbpより離脱  確認




1920・12・08  再度 返還拒否  確認




1940・05・21  誤作動頻発 進化の可能性  確認




1951・01・20  生き物バージョン0008099mbpより離脱 データ解凍に失敗  確認




1953・04・?  誤作動  確認




1962・10・06  全てのバージョンから離脱  未確認




1966・?・?  動きアリ  未確認




1990・?・?  動きアリ  未確認




199?・?・?  他生命とのリンクの可能性 検知  未確認




2004・?・?  「おがた」への発信  確認


 


「赤線の部分です。 月の者は”与一発足”の百年以上前の1900年に初起動を起こし、いく度も”返還”を拒み、その後も”誤作動”を繰り返しながら進化し続けた、そして199?年に”他生命とリンク”した。 この「他生命」とは「人間」ではないでしょうか? わたくしの憶測ですが、「リンク」された”人間”が希崎であって、それを希崎は”病気が発病した”と認識し、診察を受けた。 その「リンク」によって何んらかの症状があったのかも知れません。 医師がどう診断したのかはわかりませんが、「致死に及ぶ病」であると診断し、年月日も切って希崎に告げた。 そして、どの様なとらえ方なのかも全く分からないのですが、”告白”の中にあった”同義的に許す事のできない犯罪”を犯し、滅びる事を切望している。 これは、あくまでわたくしの飛躍した憶測かも知れませんが・・・。 しかし、 「返還」などという単語が普通に出て来るはずはないですし、ましてや「月の者256N」という名称に至っては・・・。


今の所、この希崎からの出し抜けのメッセージに対しての返答はまだ何もしていません。 ただ、メッセージの中の”同義的に許す事ができない犯罪”というのが何を指すのかは分かりませんが、”今年”と期日を限定しているからには、わたくしたちの対応もあまり悠長な事は言っていられないと思うのです。 皆さんの意見をお聞かせ下さい。 わたくしからの報告は以上でございます」。


 


場内は静まりかえった。 誰もがこの報告に対してどう対処したら良いものか、困惑し、思案していたのだ。 静まりかえった場内に、帰って間なしに眠ってしまった「一の妄」と「ケリー・糸3番」の”いびき”が小さく聞こえている。 「希崎」という人物の出し抜けの「告白」に対しての「FA637」の”飛躍した憶測”は、それを聞いていた全ての生き物たちにとって”飛躍している”ようには思えなかった。 ”飛躍”どころか、おおむね”その線”で正解ではないか? 皆、「よも清さん」の返答を待った。 しばらくの沈黙ののち、全ての生き物たちと同じく、長い首を折り曲げて深く思案していた「よも清さん」が、顔をあげた。


(よも清さん) 「・・・・・・・・見つけましたね。 この人物は恐らく”月の者”です。 ただ・・・その確証が何もない。 「希崎」という人物に「月の者」が”憑りついている”様な状態なのか、それとも「月の者」そのものなのか?・・・・。 いずれにせよ、まずはしっかりとした情報を集める事です。 その上でないと正しい判断はできませんし、もし私たちが判断を誤ってしまえば多くの人々が被害を被る事になってしまいかねません。 すでに「告白」の中でも、強く「犯罪を志向している事」をみずから述べています。 それに、この「告白」という”かたち”を取っての文書も、単純に”急に告白をしてきた”ととらえて良いものなのかどうなのか?・・。 自分自身の態度をハッキリと示しておいて、その上でこちらの”出方”を見ている様にも思えます。 いずれにせよ、不明な点が多すぎます。 ただ、「サソリ」や「カマクイ」たちとは「犯罪を思考している」という点では似ているようですが、少し違う次元で物事を思考する人物であるという事が、この文書から伺えます。 


私たちの「大調査」において大切な事、それは、「調査の範囲」をどんどん”限定”し、狭めて行く事です。 もし違っていれば、「はじまり」にもどればいいのです。 この人物を「月の者と限定」し、今後の「大調査」を進めましょう。 「FA637」一名だけでは危険が多すぎます。 もしもの時を考え、誰か”相方”を連れて行って下さい。 そして、その人物に対しての返答は


”はじめまして。 私たちはあなたを「止める者」であり、あなたの「末裔(まつえい)」です。


 今後ともよろしくお願い致します。”


としておきましょう。 送信名は ”与一” でいいでしょう」。


(FA637) 「わかりました。 では相方については熟慮の後にお伝えいたします」。


 


全ての生き物が緊迫していた。 しかし、今すぐに何かができる訳ではない。 どこまでも続いて行きそうなこの「協議会」の、ちょうど良い切り上げ時だと思った司会・生き物が、「協議会」の閉会の言葉をのべようとした時、会場の外側に位置する所から、慌てた口調の大阪弁が響いた。 「まいどまいどまいど~!!まだやってんですかぁ??お~疲れぇ~~ッス!!もう、終わってる思てましたがなぁ~!!!」。 「Hiたかお」が帰って来たのだった。 会場のあちこちから「たかおくんだ!!」というどよめきが起こった。 いつもなら「Hiたかお」は皆に愛想をふりまいて一つ二つは”おもろい事”を言っては盛り上げるのだが、勢いはいつもと変わらないのに、何か様子が違っていた。 居並ぶ生き物たちの中央突破をする様に、真っ先に「よも清さん」の前に進み出て、こう言った。 



(Hiたかお)「よよよよよ、よも清さん!!!」。 (よも清さん) 「ああ!!たかおくん!!!お疲れ様でした!!本当にお疲れ様でした!!」。 (Hiたかお) 「よも清さん!!”そら”についての新しい報告なんですが・・・」。そこまで言って、なぜか急に言葉に詰まってしまった。 (よも清さん) 「??そらくんの新しい報告ですか?」。 (Hiたかお) 「はい、斎元さんへのメールがあまりに”ひつこくて”・・・で、やっと寝てくれたと思ったら・・・・」。 (よも清さん) 「思ったら??・・・」。 (Hiたかお) 「・・・思ったら・・・ですね・・・」。 と言うなり、「Hiたかお」は又言葉に詰まってしまい、その”鳥”を思わせる丸い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。 (よも清さん) 「思ったら・・・たかおくん、どうしたのですか?何か起こったのですか?!」。 「よも清さん」だけではなく、そのやり取りを聞いていた全ての生き物たちが身構えるふうだった。 ”私たちのそらくん”に何があったのか??もし、何かあったら、どのような対応も厭わない・・・そんな思いで、皆が身構えていた。 (よも清さん) 「どうしたのですか?もしかして、神経的な新しい症状が・・・・・」。 (Hiたかお) 「いえ・・・ちがいます・・・。 泣いてるんです・・・」。 (よも清さん) 「んん??泣いてる?」。 (Hiたかお) 「はい。 眠ってからしばらくして・・嬉しそうな寝顔で、で・・・泣いてるんですよ・・」。 感きわまった「Hiたかお」の感涙は、”感きわまりすぎて”、「Hiたかお」の報告を困難にする程の勢いで、とめどない。 


(Hiたかお) 「嬉しかったんですよ!きっと!・・・。斎元さんと手をつないだ事、それからメールのやり取りができるようになった事、親しくなれた事・・・・。よっぽど嬉しかったんですよ!!呼吸は完全に睡眠の状態でしたから、熟睡していました。 あんな・・・あんなに嬉しそうな笑顔で眠るそらは初めてなんです!!ボクはもう・・・あの子の気持ちを考えると、嬉しくて、嬉しくて・・・もう・・・もう・・・」。そこまで話して、ついに”オイオイ”泣き崩れる「Hiたかお」のオーバーな報告に、同感の涙を浮かべる生き物たちもいれば、笑いながらも賛同の拍手を送る生き物たちもいた。 場内は急にあたたかい空気が流れた。 (よも清さん) 「たかおくん!!それは、最高じゃないですか!!この協議会の最後を飾る、とても素敵な、そして何より素晴らしい報告でした!本当にご苦労さまでした!!たかおくん、あなたの真心からの”奉公”が実を結んだのです!!この任務をあなたにお願いして、まさに大正解でした!!たかおくん!あなたでないとできない、とても素晴らしいお仕事です!!皆さん、そう思いませんか?!!」。


満場の大拍手と喝采が爆発した。 しばらく続く全ての生き物たちの「大はしゃぎ」が収まるのを待って、司会・生き物の閉会の挨拶が響いた。 


「それでは皆さん!、本当に長時間の協議、本当にお疲れ様でした!”希崎”について、そして”サソリとカマクイ”について、その他にも様々な新しい課題も多々出てきてまいりましたが、「協議会」としては、以上をもちまして閉会とさせて頂きます!!本当にお疲れ様でした!!!」。


       


 


波乱に満ちたこの「協議会」は、更なる波乱を約束するように終わった。 「協議」の中で、「分解えら子」や「メジ式」の新たな人事も行われたが、「Hiたかお」についても「24時間態勢で「そら」のもとに常駐」と、シフト変更がなされた。 もとよりこれは「Hiたかお」自身が望んでいた事でもあり、「そら」の今後を考慮しての事でもある。 「大調査」そのものも24時間態勢となり、城東区内全域と京阪沿線の各定点に散在していた全ての生き物たちについても、その全てが「希崎」のいる「やさしさ倉庫」の所在地でもある「鴫野町と、野江付近」にさらに範囲を限定し、進める事となったのである。 


にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へにほんブログ村
にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへ
にほんブログ村

そらの物語・54 「FA637の報告」

2011-04-16 03:35:12 | そらの物語


 


54


「FA637の報告」


 



 


朝方まで続いた「そらメール」のおかげで、


遂に一睡もできなかった「斎元」が、徹夜の決意を固めた午前5時。


「そら」が熟睡したのを確認した くたびれ気味の「Hiたかお」と「ゆきりん&ぽち」は、


「協議会・本体」へ向けて、待ちくたびれた「おがた」に乗って出発した。


ちょうどその頃「協議会・本体」では、3人の帰りを待たずに、


「協議会最後」となる「FA637の報告」に移っていた。


それは、閉会予定時間をはるかに超過してしまっていた為でもあり、


「そら」と行動を共にしていて一番”心労”の多かった「Hiたかお」が帰った時点で、


生き物たち全員の拍手で3人を迎え、それをもって”閉会”とし、


特に、よくしゃべるわりに案外神経の細かい「Hiたかお」の労をねぎらい、


ゆっくり休ませてあげようという、生き物全員の共通した思いでもあったからだ。


私達は全員が全員とも、”がんばった仲間”を賛嘆し、


その労をねぎらう事が 何よりも大好きなのだ。


「一の妄」と「ケリー・糸3番」などは「協議会・会場」に帰るなり、


”撃たれて死んだように”眠りこけてしまったのだが、


会場の隅の方に誰かが丁重に運び、


そして風邪などひかぬ様に、誰かが”ふとん”をかけている。


「協議会」に参加する全員も、この波乱に満ちて長時間に及ぶ「協議」に、


疲れない訳がないのだったが、


「誰かが誰かの為に、何かをする」事で、


その”疲れ”は半減する事を、皆、熟知しているのだ。


(司会・生き物)「さて!この協議会最後となりました、FA637からの報告に移りたいと思います!!それでは、FA637、お願いします!!」。 



(FA637) 「長時間の協議!!本当にお疲れ様でございます!!そしてまた、最後の”取り”を頂き、本当にありがとうございます!! とても重要な報告でありますので、順を追ってご報告いたします。まず、この”NO.3”という業務用のPCについてですが、「よも清さん」とのやり取りの末、”静観”の態勢でのぞんでおりました。 ”静観の態勢”に至るいきさつについて、知らない方も多いかと思いますので、簡単に説明いたします。 


わたくしの調査におきまして、個人のPC内部や企業のデータ・ベースに入り込む際、まず始めにウイルスの類か新種のスパイ・ウェアと感知され、入り込む前に排除されますので、こうしたセキュリティを解除した後でないと調査が始まらないのは、皆さんもご存じの事と思います。 ところが、この”NO.3”だけは簡単に入り込めた、というか、”わたくし以外のウイルスの類はキチンとブロックし、わたくしのみ、入り込めるようにしてあった”という所から始まります。 恐らく、何らかの仕方でわたくしの存在を認識していて、その上でわたくしの正体をつきとめようとしているのか、もしくはコンタクトを取ろうとしているか、そのどちらかではないか? という所で、しばらくはこちらから「動作」は起こさず、”静観”の態勢でのぞんでいた訳であります。 しばらくは何の動きもありませんでした。 その間にこの”NO.3”の社内での役割について、いくつか調べてみました。 「優しさ」という”商品”を取り扱うこの企業の中で、”NO.3”は主に「ダメージ・在庫」や、「不明品番の管理」、あと「イレギュラー・入出庫」などの、通常業務以外のトラブルの対応に使われている事がわかりました。 また、この”NO.3”を使っているのは「希崎」という人物で、この社内でかなりな重要ポストにある事もわかりました。 この「希崎」の動向の中にこそ、私達の「大調査」の全ての結論があるのです。 その理由ですが、”静観”の態勢のわたくしに対して、ついに”発信”をして来たのであります。 この”発信”は、間違いなく「希崎」なのです。 この「希崎」、まだまだ不明な点が多いのですが、大変な人物です。 なぜなら、その”発信の内容”そのものが、あまりに不可解である、としか表現できないのです。 では”発信”の内容です。(とのFA637の言葉に合わせて、協議会・中央のPCが作動し、FA637の説明に合わせて、その”発信”の内容を映し出す。)


wwwwww    @@@@@


「始めのうちは、このような”試し打ち的”な発信でありました。 考えてみるとそれもそうです。 向こうからして見ると、自分の使うPCに何かが入っている、ウイルスなどではない何か、でも、それが何かはわからない。 わからないけれども、”出て行った形跡”はないので、入り込んだまま、じっとしている・・・。こんな感じではないでしょうか。 そして、数日の間、動きはなく、そして出し抜けに・・・これです。


はじめまして。 あなたは”何らかの生命”ですね。


あなたは言語を持つのでしょうか?


私はこうした日本語でのみ、発信いたします。


さて、結論を先に申し上げます。


告白です。


私を”裁いて”下さい。


それを私は強く望んでおります。


私は、同義的に許す事のできない犯罪を決行したいのです。


そして、極刑に相当する裁きをうけ、


この生涯を終えたいのです。


私の中で”返還”という言葉が重く、狂おしく、


そして甘美な旋律で響いております。


”極刑による裁き”こそが、私の望む死であり、


その事を”返還”というのであります。


 


1999年に、私の不治の病は発病しました。


そして、いよいよ本年が、最後の年となります。


病状が進行する中で、常に頭痛のように頭の中に響き渡る声。


 


””月の者.256N””・・。


 


これは、私の病の名称なのか? 私自身の”本当の名前”なのか・・。


いずれにせよ、荘厳な最後を遂げたい・・この実感こそが、私の真実であります。


ゆえに、 もう、時間がないのです。


あなたが、この”告白”に賛同する者であったとしても、


そうでなく、”私を止める者”であったとしても、


私のこの告白の意味する事が、認識できるのではないかと思い、


出し抜けに、告白してみたのです。


”アクション”を起こして下さい。日本語で、失礼いたしました。


希崎


 


以上がその内容です。


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村

井川美術館 「名もなき生き物たち(笑?)」

2011-04-12 04:59:45 | 井川美術館


井    


Young  man  be  not  for  getful   of  prayer  .


 


 



「名もなき生き物たち(笑?)」


と・・いう事で、今回の「井川美術館」は、「そらの物語」の”はたらき協議会”でかしゃがしゃ登場した「生き物たち」にスポットを当ててみようかと思います。 というのも、「そらの物語」では、集合写真的にしか載せる事ができず、でも結構お気に入りの生き物たちがたくさんいてるんです。 このまま放置しておくと埃を被ってゆくか「みなみ&すず」の”えじき”になるか・・・  なので、ここでそのうちの何体かをお披露目したいと思います


 この生き物、紙粘土の残りの形が「顔」に見えたので、「お耳」をつけて「生き物」として誕生しました。


 他にもこのパターン、つまり最初から「こうしよう」と思ってできたのではない「生き物」。


「井川 WORKS!!」のコーナーの看板に抜擢されています


 


この生き物も”残りかす”から誕生しました。 何かにもたれないと立てません


そして、つぎの生き物は「色付け」を息子のみなみがやってくれた(いやがる父を押し退けて塗った)親子の合作。 「黒いのおばけ(みなみ命名)」(笑)。


 


後ろ姿になぜか哀愁が・・・ないか(笑)



 


「そらの物語」の中で、”はたらき協議会”の司会を務める生き物。


  


このお二人、形状の”いびつさ”といい、表情の微妙な感じがとってもひょうきんで気に入ってます 


CGか何かで、本当に”動かして”みたい


 



ちょっと”童話チック”な生き物。 ”可愛い”くは・・・ないでしょうか・・・。 よくよく見てみると、「足」がみんな同じ形をしています。 これはちゃんと立たせようと思うと、必然的にこうなってしまうんです。 これはこれからの課題。 


 



「何でっか???」とか言ってそうな生き物。 この生き物は”小指サイズ”の一番小さな生き物。 何か「文句ありげ」な口元が何とも言えません(笑)。 ここしばらく、「文章」が多い記事が多かった”反動”か、何気に「写真だらけ」にしてしまいたくなって遊んでますが、ここまで書いていて、いったいこのBlogって、何枚写真が載せられるのか、ためしてみたくなってきました(笑)


 


じゃじゃ~ん


        



あ、この生き物は、よく見ると”子連れ”なんです  ほらほら



 


 


「パンク系」生き物&「何だかわからない系(笑)」の生き物。


   


 


 


おっ、まだイケる(笑)・・・。 では、集合写真


   


「写真」をblogに載せる時に、たいがい若干の編集をしているのですが、上の2枚はデジカメでとったそのままです。 ちょっと違うのがわかりますか? 「そのまま写真特集」で、次は我が家を徘徊する生き物たち。


  


  


そこらじゅうに”うようよ”しています


 


 


けっこうたくさん載せれました・・・。 ほとんど子どもの気分です・・。


お楽しみ頂けましたでしょうか? さてさて、次回よりは久方ぶりの「そらの物語」をUPして行きます。 話がものすごい途中なので、なんだかよくは分からないかも知れないのですが・・。 ”はたらき協議会”の流れで、「そら」くんと「斎元」くんの実質上の接点となるエピソードで、「サソリ」がそれに絡んでくる所でした。 「サソリ」は逃走に成功し、生き物たちは「サソリ&カマクイ」を見逃してしまう。 同時に「そら&斎元」のいろんな交流も始まった所。 出会って 間なしから「モード」の二人(笑)・・・。 話は”はたらき協議会”に戻り、「FA637」の報告に移って行きます。 今まで散々に”引っ張って”来た、「月の者」もいよいよじわじわ~っと姿を現わします。 


お楽しみに~



 


 


 


 


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へにほんブログ村

げんてん・3

2011-04-06 10:59:06 | げんてん


 


げ ん て ん Youg  man  be  not  forgetful  of  prayer  .


 


 


5話 「手紙」


届いた救援物資にも様々な”送る側の戸惑い”が見受けられた。 被災地の状況についての情報の伝達が上手く行っていなかった事もあるのだろう。  食料品などでも、賞味期限ギリギリになってしまったものや、心づくしの手料理もあったが、被災された方に渡る前に、もう食べれなくなってしまう。 衣類にしても、新品についてはサイズの表示などが明快で、「どのサイズが欲しい」と言われてもすぐに渡せるのだが、先にも書いたポリ袋にバサッと入ったものについては、手渡す以前に仕分けをしなければならず、その時間と人手が間に合わないのだ。 しかし、そうした”送る側の戸惑い”すらも、現場の僕たちにはあたたかく感じられた。 場違いな救援物資、とんちんかんな贈り物、その全てに贈って下さった方々の心が入っている。 次々と到着するトラックやバイク。 「救援物資てんこ盛り」の軽トラックは地方ナンバー。 見た事もない地名のナンバーも。 ここに集う全てのドライバーたちはここまでの運送料がある訳ではないのだ。 知っているドライバーなど一人もいない。 しかし、皆の胸の内にあるものは全く同じ心だと、交わす視線でなぜか分かるのだ。 その上で、陸続と続くトラックの列を見るとたまらなく心が熱くなった。   


「おおきにぃ~!」。 「お疲れ~!」。 「気ぃ~付けてな~!」。 そこで交わされる、そうした何気ない言葉の数々が、人間が交わす最も美しい、”宝物の言葉”だと感じた。 想像もできない程のたくさんの人々の「熱く深い心」がここに集結している。 僕は、”油断”すると涙が溢れてしまいそうになるのを、忙しく立ち働く事でごまかすのに必死だった。 「生きようと戦う人々」、そしてその人たちの事を想って「無心に応援しようとする人々」・・・。こうした状況下での全ての人々の、全ての「言葉」や「行動」を、「人間の尊厳」なんだと言えば、言いすぎなのだろうか?     


そんな中、僕たちの作業は続いていた。 ペアーで一日を共にした、ご両親を亡くされて間なしからこのボランティアに身を投じている彼も、さすがに”笑顔”も失せる程の強い疲労感と戦っている。 もとより”へたれ”の僕は、時折休憩を入れていたにもかかわらず、腕と太ももを上げる事もつらくなっていた。 日が暮れると救援物資を受け取りに来られる人の数も減り、物資の搬入やその仕分けの方がメインとなる。 そんな夜半、来館者もまばらとなったゲートから「婦人服~~!!!」という大声が聞こえた。 救援物資を誰かが受け取りに来たのだ。 「仕分け」に集中していた僕は、「はああ~~い!!」と一応返事はしておいて、慌てて婦人衣料の所へかけて行き、次いで細かくサイズや種類をゲートの役員が聞き出し、又大声で伝えてくれたが、疲れた頭ではもう覚えきれない。 覚えれるだけの物は取り上げ、後はサービス、とばかりにいろんな衣類を抱えれるだけ抱えて、大急ぎで走って行った。 ちょうどゲートと僕の中間にいた彼が合図をしている。 「井川!中継するわ!投げろ!!」。 僕は抱えた衣類の全てを大きな手提げに放り込み、彼めがけて大きく放りあげた。 その時、一着の婦人物のコートが落ちてしまった。 慌てて駆け寄り、そのコートを拾い上げて、「これ、忘れ物~~!!」と放り投げようとした時、コートのポケットから折りたたんだメモ用紙と何かが落ちてしまった。 「んん?」。 もう一度それを拾い上げ、無造作に、でも丁寧に折りたたんだメモを開いてみた。


「あなたの無事を祈っています!!


新調はできませんでしたが、うちにあるものの中で一番ましな、


あたたかそうなものを送ります。


クリーニングはしてありますので、お役立て下さい。


テレビで見て、そちらの事が何度も映し出されています。


本当に恐ろしい事になってしまいました。


でも、私はあなたの無事を祈ってます。 絶対に負けないで!!!


上手くは書けませんが、私もあなたと一緒にがんばります。


風邪をひきません様に。 どうか、元気でいて下さい。


あなたの怪我が一つでも少なく済みます様に!


私も絶対に、あきらめません!


あなたと同じ心で、


あなたと共にがんばります!!


私の好きな言葉は、”冬は必ず春となる” です。


この言葉を、あなたに贈ります。」


「これは・・・・・」、それしか言葉にはならない。 手書きで年配の方らしい、謹直な筆跡。 ”感電”したような震えが走った。 なぜだろう? 動けない程の感涙がこらえ切れずに湧きだした。 これは僕には「とどめ」に等しい。 誰が書いたのかわからない。 誰に届くのかもわからない。 ただ、うれしくて、うれしくて。 それだけが心の中にいっぱいで、噴き出して止めようのない涙はもう、どうしようもない。 十数年の間、自身の中で凍りついてきたものが一気に溶けだすように、どう頑張っても、もう無理だ。 まるで泣きだした子どもがしゃくり上げてもなを、止められぬ様に。 その手紙と一緒に、折りたたまれた小さなポリ袋が出てきた。 ”何包かの風邪薬”だった。 


 僕の中で、今まで整理の付かなかった全てバラバラのキーワードを、一挙に一本の線がつらぬいた。 「優しさ」・「真心」・「励まし」・「人のあたたかさ」・「祈り」・「人生の目標」・「希望」・「夢」・・・・・そして、


「ありがとう」という言葉。


激しい嗚咽はもう止めようがなく、体中でむせび泣く様だった僕の異変に、彼が気づき駆け寄って来た。 「井川!!どないしてん?大丈夫か?」。 僕は、無言でその手紙を彼に見せた。 手紙を開いた彼は少し読んだだけで慌てて手紙を閉じ、後ろを向いてしまった。 その肩が激しくふるえている。 自然に僕は彼のふるえる肩に手をやったが、僕の方もとめどなくこみ上げる”熱いもの”をどうする事もできず、容量オーバーの感涙にむせぶ以外、何もできない。 「ふ・・冬は・・かならず・・」その先は言葉にならず、心の中だ。  こちらを振り向いた彼は、僕の涙のみならず鼻水まで垂れ流しの姿に、同じく嗚咽は止まらぬままに、笑いだしてしまった。 しかし、僕以上に彼もぐじゃぐじゃになっている様に僕も吹き出してしまった。 たいがい”おかしな顔”で笑っているのか、泣いているのか、二人ともわからない。 そしてお互いの顔を指さして嗚咽混じりに笑いあった後、そのコートに「手紙」と「かぜ薬」を大切になおし、待たせてしまったご婦人に丁重にお渡ししたのだった。


ご婦人は「こんなにいっぱい、ありがとう」。と言った。


僕たちも大きな声で「ありがとうございました」。と言った。


この「ありがとう」を、僕は生涯忘れない。


 


 


陽己と珠月へ


僕はおまえたちを尊敬し、感謝する。


僕たち夫婦のような者どもを、おまえたちは「親」として選んでくれた。


これは、あの時の「ありがとう」があったからに他ならない。


だからこそ、今の毎日の「普通の暮らし」は、


本当の意味での”奇跡”なんだと思う。


そしてもしこれが”奇跡”というのであれば、


あの、誰から誰に渡ったのかも分からない、”一通の手紙”こそが、


この4人の命を結び合わせてくれたのだと、


信じて、疑わない。


 


そして、もう一つ、信じて疑わない事。


それは、このような幸運な”奇跡”は、僕たち4人だけでなく、


全ての人に有る、という事である。


日常の中に訪れる、”幸運な奇跡”。


それは、現に今東日本で、仕事も住まいも追われ、


あるいは家族をも奪われ、想像を絶する苦渋の中で、


それでもなを、懸命に”命”を繋ごうと戦い続けておられる方々の、


今の労苦の中に、もうすでに芽吹いている。


そう、堅く信じ、そして


決して、決して、疑わない。


 


陽己と珠月、


おまえたちが今、どんな状況でこれを読んでいるのか、


それはわからない。 しかし、


おまえたちが今踏みしめている大地は、世界は、


おまえたちが顔も知らない日本中の家族と、


世界中の家族のみんなで、


「いっしょうけんめい」に創り上げたものだという事を、


心に刻んでほしい。


 


父より。



にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へにほんブログ村

げんてん・2

2011-04-03 05:32:51 | げんてん


 


げ ん て ん Young  man  be  not  forgetful  of  prayer  . 


 


 


3話 「1・17」


16年前のこの日、大きな地震が「阪神・淡路」を中心に関西全域を襲った。 僕の「原点」である。 当時僕は20代後半で、先に述べた思春期の頃の傷跡も薄らぎ、社会人としてもそれなりに成長してもいた。 先に記述した”情緒のバラバラさ”はそのままに。 恐ろしく長く感じる揺れが収まった後、すぐに気になったのは当時勤めていた会社と、当時付き合っていた彼女(前・嫁)だった。 大阪への影響は若干の停電や、京阪電車が途中で止まってしまった・・というくらいで、まさか、そんな”大惨事”となっているとは思いもよらなかったので、止まってしまった電車に代わって、自転車で通勤したのを覚えている。


TVや新聞を通じ、時々刻々に明らかとなる被災状況。 今とは違って、「自衛隊が入れない」だとか、「政府の対応がまったく間に合っていない」等のニュースが報道されていた。 「救援」そのものの全てが後手になってしまったのは、この「震災」が未だかつてない規模の都市直下型の地震であった事も含め、あらゆる場面において専門家の想定をはるかに超えた規模だったからだろう。 したがって「その時」のシュミレーションなど出来ているはずがない。 そんな中、「後ろ向き全開」からは幾分か”人としての成長”を遂げていた僕も、自分に何ができるのか・・と”いっちょまえ”に思案したりもしていた。 その感情と心の奥にあった人に対する不信感は、まさに名実共に”バラバラ”だった。  いてもたってもいられなくなった友人の何名かは、「ラジオと懐中電灯」、そして積めるだけの「救援物資」をバイクの荷台に積み込んで出発していた。 「自分に、何ができるのか?」・・・この自身に対しての問いかけは、”バラバラ”のままで、しかし、切迫していたのだ。


各本部単位で、”バイク隊”と”物資の搬入作業”に別れ、救援隊を「オール・関西」で組織し神戸に行く、との連絡を受けたのは1月18日、震災のその日の真夜中だった。 そして僕の参加はそれから一週間後ほどだったと記憶している。 すぐにでも向いたいメンバーもたくさんいたが参加人数を組織割の日割りにしての緊急の取り組みに、文句をいうメンバーはいなかった。 青年部のこの対応の速さと、細やかさは「参加メンバー以外は、個人で被災地へ向かわないように。 自衛隊を始め、その他のボランティアや、救援物資を積んだ車両が現地に入る妨げになってしまうからです。」という趣旨にも明らかだった。 この「バイク隊」について、現在ネット上ではさまざまに取りざたされている。 大多数が「批判」の数々で、「バイク隊そのものが被災者救助の妨げとなった」、「学会の会館を避難場所に提供した、というのは実は真っ赤なウソ」、「学会の会館に避難すると、”入会させられる”」、「どさくさに紛れてバイク隊の青年部が被災した女性をレイプした」等々。 そこにはおびただしい数の、見るもおぞましい「創価学会像」が描き出されている。 事の真偽については、実際その場にいた方々に聞いてみるのが一番だと思うので、ここで云々はしない。 ただ、僕は、僕が体験した事と、自身の心の中に起こった事のみを、そのままに記述するだけである。


「西宮」の朝は、大きな火災が沈下したあとの焼け焦げた様な臭気が残っている。 足でいくら蹴ってもびくともしない巨大なアスファルトの残骸は、間違いなく”ほんの数日前までは道路”だった事の悲しみと、自然の力の強大さを見せつけている様だ。 倒壊してしまった家屋。 街並みは、未だそこかしこに燻ぶる小さな炎(火事の後?)と立ち上る黒煙に満ちて、人の気配はまばらだ。 消火栓から疲れた様にしみ出す水は、もう吐くものも無くなった後の地面の嘔吐の様に苦しげで、所々に乗り捨てられた乗用車がひっくり返っていても、不自然ではない。 その光景を見て「映画のセットの様だ」と僕は感じて、すぐにそんな自分の軽率な想像力を恥じた。 4~5名一組みでの「物資の搬入」に、後ろの方で参加していた僕だったが、実際に、こうした被災地の光景を目の当たりにしたショックはあまりに大きく、どこにもぶつける事の出来ない深い怒りと大きな”無力感”は、誰もが同じだった。 ”無駄に繊細”な僕の「軽率な想像力」は、そこに広がる「大震災」の”現実”の、あまりの”生々しさ”を受け止めきれない為の反動だったのかも知れない。 


もう一つ、ショックを受けた事。 それは、(駅の名前を忘れてしまったのだが・・・)現地付近まで電車で向う途中で、「これより先は地震の為運行できなくなっております。●●駅以降へお越しの方につきましては・・・」とのアナウンス。 TVで報道されていた”ねじ曲がってめくれ上がってしまった線路”の恐ろしい光景がよぎる。 そして、自分が今乗っているこの車両でも、多くの命が亡くなったのでは・・・。 そうした災害の現実的なリアリティーは、ここにイソイソとやって来た僕たちの「応援」など、「何の役にも立ちません、何を遊びに来たのですか?」と、嘲笑うかの様に、強烈に迫るばかりだ。 


そしてまだ驚いた事がある。 倒壊してはいなかった、僕たちが降り立った「●●駅」は健在で、背中にリュックを背負った多くのボランティア(大多数)の方々が行き来していた。 「お疲れ!!」。 「お早う!!どこ?長田??ちょっと遠いで~!!」。 「今から? ”××は水がないらしいで”!!」。 「気ぃ~つけてな~!!」等々の、全くあかの他人どうしが普通に会話する光景。 僕たちにもボランティアの方の誰かがこう言ってきた。 「おはよ~!!」。 「おはよ~ッス!!」。 「兄ちゃんら、アレか? ”学会さん”か?」。 「はい!そうです!」。 「西宮の会館に行くんか?」。 「はい!そうです!」。 「お疲れやな!!今、めっちゃ並んどったで~!救援物資のトラック!!早よ行って”捌(さば)いたって”や(笑)~!!」。 「あっ!わかりました!急いで行きます!!」。 「兄ちゃんら、がんばれよ~!!」。 「はい!!ありがとうございます~!」。


こんな感じで、まったくの”あかの他人”が他人で無くなってしまう。 「大震災」による衝撃は誰もが受け止め得る限界を超えていたが、しかしそんな時人間は、誰に言われるともなく、本能的に”心を共にする。 宗教や思想、立場や身分の違いは、ここでは関係無くなってしまうのだ。 「復興」という一点において、全ての人が仲間であり、同志であり、ある意味「人間という家族」のような、あたたかな「共有感」を分け持つ。 僕の気持ちの中で「普通の挨拶」が、これほど熱く、そして尊く感じられた事は今までにない。 そこに広がる現実も衝撃だったが、それ以上に自分の内に唐突に湧きおこる「人間という家族感」の方が衝撃だった。 西宮の会館に着くまで、かなりの距離を徒歩で進んだが、僕は終始、黙り込んでしまっていた。 目頭の奥に、心の中心に、今まで体験した事のない、自分では整理のつかない”熱いもの”が湧きだしていたから。 そう、本当に「整理」などできない。


 


4話 「作業」


会館についてすぐに役員の幹部より「現在の会館の使用状況」の説明がなされた。 会館入り口のゲートでは、会館に避難してこられた方の名前を書いて頂く事。 学会の関係で無い方の入館も多いので、もし、”人を探している”という方が来られた時にそれが誰なのか、館内で避難生活をされている人々にすぐに館内放送で名前を呼んで確認できるから。 便所はなるべく数名ひと固まりに。 流す「水」が不足しているからだ。 婦人部の方がバケツで流してくれるので、声をかける事。 救援物資は全て駐輪場&駐車場に、「男性衣類・女性衣類・子ども衣類・薬品関係・寝具・生理用品・簡易食料・「水」・電化物関係(ほとんどがラジオ)・燃料関係」に大別して置く。 被災された方が「物資」を受け取りに来た時、ゲートの役員がそれを確認し、大声でそれを伝え、「物資」の中にいる役員がそれを探しだして大急ぎで持っていく。 特に学会員は平気で中に入って来るが、一般の方は抵抗がある為、なかなか館内には入りにくいし、「何が欲しいのか」も言い出せない方も多い。 だから役員の方から「何が必要なのか?」を話しかけて聞く事。 怪我をしている方や、病気の方については青年部で下手な処置はせず、ドクター部(医師のグループ)に速やかに来てもらう。 「救援物資の搬入トラックの動線は・・」等々・・・。


僕は、「物資の中に埋もれる役」だった。 女性・男性衣類の所だ。 僕とペアーのメンバーはここ現地の青年で、被災した次の日からここでのボランティアを毎日続けているという。 「衣類コーナー」は、結構忙しい。 「水コーナー」の次によく”お呼び”がかかったのではないか? ペアーになった現地メンバーと、待ち時間にちょっとした会話をしようものなら、すぐにゲートのメンバーの大声、「お~~~い!!婦人服~!!それと、婦人もののこぉぉーーとぉぉぉ~!!!」。 休憩もそこそこに、次から次に押し寄せる救援物資を求めて来る被災された方に合わせて、探しまわったり走りまわったり、新たに到着する救援物資の置き場所の確保にと、1月だというのに汗ばむ程の忙しさだ。 半日も過ぎると僕もそのペアーのメンバーもヘトヘトだったが、お互い「しんどいな」とか「大変やな」などの言葉は無く、「まだまだやるで!!」といった”強気な笑顔”を交わした。 ゲートの方を見ると、もう次の救援物資を取りに来られた方の姿が見える。  


そのメンバーと交わした会話らしい会話は二つ。 届けられた「衣類」の中に、幾つかの大きなポリ袋と、その中には男性、女性の衣類がぐしゃぐしゃに入っていて若干の生ゴミの様な「匂い」がしている。 どの地域のどんな方がこれを送って来たのか? もしこれを被災者の方に渡したとして、何を感じるだろう? 僕とそのメンバーはその幾つかのポリ袋をとっさに掴んでしまわない様に、置場の隅の方へ押しやった。 「届けられへん・・・」。 「そやな」。 そんな会話の後、彼が言った。 「でも・・でも、めっちゃ・・ありがたい・・」。 


もう一つの彼との会話。 それは僕が不用意に聞いた事に対して彼が応えたもので、間断なく到着する救援物資の対応の為、尻切れトンボに終わってしまった。 「ご両親も会館の役員なん?」と僕。 「・・・・いや、あの下」と、会館のある位置の遥か向こうの遠くに威圧的な黒煙が立ち上っている地域を指差す彼。 「ええっ?」。ちょっとまずい事を聞いてしまったのか・・僕はそう思い、一方的に気まずくなった。 「おれも結構やられてるで」と彼は屈託のない笑顔で上着を少し上げて脇腹に荒々しく巻かれた包帯を見せてくれた。 「わっ!エぐっ!だ・・大丈夫なん?」と僕。 「全身火傷だらけの怪我だらけやな(笑)!取りあえず、おれは”生き残った”から、おとんの分もおかんの分も、ここでもっと困ってる人らの為に、がんばらんとな!!」。 


「そっか・・・・」。


そうとしか言葉が見つからない。


 彼は僕の気遣いを感じたのか黒く汚れた顔をくしゃくしゃにした”笑顔”で、「!!」。 彼の人懐っこい笑顔につられ僕もこわばり気味だが、笑った。


 


自分の「心」の中の事でいっぱいいっぱいの僕には、あまりに衝撃が強すぎた。


ここに到着してからのほんの半日の間、


自分の中で、ここ10年近く、絶対に変える事は叶わないと思っていた事が、


一気に変わり始めていた。 根本的な事。


僕はずっと長い間、人と「心」で交わる事を避けて生きてきた。


しかし、この時の彼の「」に、なぜか心は震えた。


自分の中で、今 起こっている事が、全く理解できない。なのに、


湧きあがる感情は、こらえ切れないのだ。


戦っていたのかも知れない。


”腐って行こうとする心”と、”立ちあがろうとする心”が。


 


つづく


 


 


 


 


 


  


げんてん・1

2011-03-30 16:07:49 | げんてん


 


 


 げ ん て ん .Young  man  be  not  forgetful  of  prayer   


 


 


陽己と珠月へ。


勝手な事をいうと我が家の「原点」は、おまえたちのお父さんが蘇生した時にある。


ここで「僕は」という、かしこまった言い方で自分の事を言うのは、


この”原点”についてのちょっとした話を、おまえたちに話すのと、


おまえたち以外の、いろんな人たちにも聞いてもらおうと思うからである。


そして、おまえたちのことを、いちいち”おまえたち”と、偉そうにいうのは、


これをおまえたちが読むときに、いつも「おちゃらけたお父さん」な僕が、


たまには「偉そうにしている」と、面白がって読んでくれるかも知れないと思うからだ。


 


 


僕はおまえたちを心から尊敬している。


”尊敬している”と言われても、なんだか良くは分からないかも知れない。


それは 他でもない、「生きる」という事について、


きわめて不器用な僕たちのような夫婦の元へ、


命をかけて生まれてきてくれたからだ。


僕たち夫婦は不手際ながら、おまえたちに「親」として選んでもらえた事に感謝し、


おまえたちがこの世に生れ出るまでの、生命の戦いに


心の底からの敬意を持ち、その魂を尊敬するのである。


 


1話 「こころが”かじかむ”」


「こころがかじかむ」。


サイキック・ナミング。


これは、僕の尊敬する作家、大江健三郎と立花隆とのTV番組での対談で出てきた言葉で、意味合いは「心理的麻痺状態」を示している。  大きな災害や生命の危機に直面した際に、そこからは逃れる事はできないのに、「心」は逃れようとする「心理状態」。 喜怒哀楽を始めとする情緒が、災厄を感じたくないあまりに、その機能を止めてしまう。 全てを感じなくなるのだ。 「心が」機能しなくなってしまう。 この状態を「サイキック・ナミング」という。 それはちょうど”こころがかじかんだ”ような状態だという。 


僕は多感な思春期の頃から、20代前半くらいまでの10年間程、ある一つの事でこの「サイキック・ナミング」のような日々を過ごした。 「心」が”かじかんで”いたのだろう。 完全に情感は無くしていないので、「よく似た状態」だといえる。 きっかけは中学生時代、「シンナー中毒」だった事から始まる。 妙に攻撃的で、無駄に繊細で、当時の悪仲間とも人間関係がうまく行かず、そのくせ真面目に生きる事もできず、煮ても焼いてもどうにもならない自分が嫌でならなかった。 当時の仲間とは万引きや空き巣をはじめ、思いつく「やんちゃ」の限りを尽くし、その拠点となった仲間の家で、あちこちから奪い取った万引き商品に囲まれてシンナーに興じながら笑いあった。 その笑いは、心からの「笑い」でない事を、気持のどこかで自覚しながら。 仲間の全員が嫌だったし、その中にいて笑っている自分が嫌だった。そうした関係を断つ事ができない自分が死ぬほど嫌だったが、どうする事もできないでいたのだ。 そんなある日、家族共々引っ越す事となり、徹して弱腰だった僕にとってそれは仲間に”別れ”を告げる良い契機となった。 携帯電話のないその当時はもっぱら公衆電話だ。 いつも一緒にいた一人の仲間にだけ、行く先は告げずに「もう、おまえとは一生遊ばない」といった。 絶対に”キレる”と思っていたその彼の反応は、僕には衝撃的だった。 ”泣きだした”のだ。 「誠一だけが友達やと思っていたのに・・」、そう何度も何度も言いながら号泣する彼を、僕は冷たく突き放した。 もう、とことん「嫌」だったから。


しかしこの事が僕の中で、”あいつにいつか殺される”という強迫観念として残り、神経を蝕んでいった。 高校を卒業する頃には、ちょっとしたもの音すら、”何かの気配”かもしくは”誰かの殺意”のように感じた。 実際、「声」が聞こえる症状も出てきていた。 「笑う事」がしだいに少なくなり、言葉数も少なくなり、ちょっとした挨拶すら頭の中で何度も練習してからでないと、上手くは言えない。 「長く生きても、この苦しみが続くだけ」と実感していた僕は、何度か自殺を試みたが未遂におわり、いよいよ情緒は不安定になるか、無感情でいるか、という所で落ちついて行くのだった。 両親の無限大の愛情すら、僕の心は拒絶していたのかも知れない。 要は、”心がかじかんで”いたのだ。


 


2話 「男子部の先輩」


我が家は母親の代から熱心な「創価学会」である。 高校を卒業して美術系の専門学校に通い始めたのは、この「どうにもならない哀れな息子」に対しての、両親の真心であり、合わせて経済的には苦渋の選択でもあった。 「絵画」にしか興味を示さない無感動でナイーブすぎる息子に対し、”母の祈り”は何年も深夜にまで続けられた。 僕の進学が決まる直前の父の「日記」には、こんな事が記してあった。 「誠一の専門学校に行って見た。通学時間は・・乗換は・・。これなら、誠一も楽しく通えそうだ」。 こうした両親の想いは、当時の僕は知る由もなかった。 


”心がかじかんだ状態”は、時間がたつと表面的には収まったかのように見えた。 しかし心の中心には常に空白があり、根強い「人間不信」こそが性格の根底となった。 「創価学会」の会合に参加すると、いつも誰かが誰かの事を心から心配し、そして祈っている。 笑いがあり、感動があり、参加するメンバーは「自分」を自由に表現し、それを皆で応援する。 悩みの淵から立ちあがるメンバーの姿があり、社会人として大きく成長していく若いメンバーの躍動が満ちている。 お年寄りの方々も、そこでは主人公となり、その向こうで子ども達が駆け回っている。 その陰では緊張感に満ちた青年たちが、参加メンバーの安全を守っている。 世間で言う”カルト教団・創価学会”とは、中から見ると全く違う世界がそこにはあるのだ。


ただ、当時の僕にはその空気そのものが「ウザい」だけだった。 「自分自身の殻を破って、成長しよう」、「悩める友を祈ろう」、「弱い自分を乗り越えよう」・・・・そんな前向きな事ばかりを言われるのは、僕にとっては大きなお世話なだけだった。 でも、それを言うのが「学会員」の常だ。 いつも元気のない僕をいろんな方が心配し、励ましの言葉を惜しみなくかけてくれるのだが、とにかく「うるさい」だけだ。 僕は”励まし”などいらない、前向きにもなりたくない、できれば「事故」か何かであっさり死んでしまいたい、その徹して「後ろ向き」な姿勢は明るく元気な学会員の中にあっても、揺るぎないのだった。 その当時は「もの創りの人」の自覚も芽生えていた僕は、できれば ”良い作品”を何点か残して、それでこの世界と別れよう、そんな発想だった。


いつも僕の事を気遣ってくれる「男子部」の方が、折々に訪問して来た。 「うっとうしい」ので、居留守を使うとメモ用紙に短い手紙を置いて行った。 「誠ちゃんへ 元気?? 又、来るわ! 良い作品ができますように!」・・・・。この優しい心遣いがたまらなく「うっとうしい」のだ。 そんなある日、その先輩がこんな事を言い出した。 「誠ちゃん、今度の会合で、紙芝居をやるんやけど、ちょっと斬新な”絵柄”にしたい。 是非、誠ちゃんの独特の画風でみんなを驚かそう!!絶対にみんな感動するで!」。 さすがに「後ろ向き全開」の僕も、この提案を断る理由はなかった。 そして渾身の力作が完成し、その会合は大成功となった。 紙芝居を見て、感動の涙を浮かべる老人の姿もあった。 「自分の作ったものが、人を喜ばせた」。 この時、久しく忘れていた「喜び」が僕の中で蘇りつつあった。


それから数日後の夜、玄関口から、僕の母の怒りの声が聞こえてきた。普段声を荒げる事のない母だったので、いつも部屋で籠ってばかりの僕も驚いて、耳をそばだてた。 どうも、紙芝居の話しを持ちかけた「男子部の先輩」が僕の母に怒られている様子。 気にはなったが、出て行かなかった。 「男子部の先輩」は母に何かを怒られて、慌てて帰った様子。 憤慨した母は食事の用意にかかり不穏な空気は無くなったが、夜遅くにその「男子部の先輩」が又やって来た。 そして再び憤慨する母に何度も頭を下げ、こう言った。 「すみません!やっぱり出てこないんです!誠ちゃんが描いてくれた紙芝居・・・・すみません・・直接本人に謝らせてください!」。 どうやら会合終了時の片づけの際に、誤って処分してしまった様子。 母に呼ばれて出て行った僕にも「先輩」は深々と、そして何度も何度も頭を下げ、「誠ちゃん!ホントにごめん!!ホントに・・・」。 申し訳なさに言葉を詰まらせながら必死に謝る「先輩」に、僕はあっさりと「別に良いっスよ・・別に・・」とだけボソッと言った。恐らく何時間も「紙芝居」を探していたのだろう「先輩」の、何度も何度も頭を下げる、その誠実な姿が僕の心に焼きついた。 基本、僕は、全てが”どうでも良かった”。 しかし、「先輩」のその姿は、”かじかんだ心”に「何か」を残したのだった。


 


「優しさ」、「真心」、「励ましの言葉」、「人のあたたかさ」、「友への想い」、


「感謝」、「祈り」、「人生の目標」、「希望」、「夢」、そして、


「ありがとう」という言葉・・・。


こうした感覚は、当時の僕には「うっとうしい」だけの、


「僕とは無縁」の感覚でしかない。 しかし、


両親やこの先輩を始めとする様々に僕に関わって下さった方々との日々が、


”かじかんで”いた僕の中に、こうした感覚を蘇らせようとしていた。


それは、当時の僕には徹して”理解不能”な感覚であり、


嫌悪感と共にそれらが自身の内に”バラバラ”に交錯し始めるのだ。


こんな不愉快な事はない。


 


つづく    


 


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へにほんブログ村

http://www.lifehacker.jp/2011/03/post_1701.html

「あなたたちは 一人ではない」

2011-03-16 13:22:17 | 井川 WORKS!!


I k awa Works!!


 


 


これ、反則ですわ・・・。


エビ焼き師・イカワ(弟)のblogで紹介していたのですが・・・。


取りあえず、見て下さい!!


そして、「元気」と「勇気」と「決意」を、お持ち帰りくださいませ。


「あなたたちは 一人ではない」


http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&feature=player_embedded 


 


この動画を紹介した「エビ焼き師・イカワ」のBlog。


http://ameblo.jp/ebiyaki/entry-10831799700.html


 


にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへにほんブログ村
にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へ
にほんブログ村

チャリティーイベントのお知らせ

2011-03-15 05:29:45 | 井川 WORKS!!

 

I k a w a   W o r k s !!

 

 

 

「チャリティーイベント」のお知らせ!!

 

僕の”mixi”の方の友人で、「宴車」さんという方がおられるのですが、この方、

めっちゃおもろいんです

 

何が?・・

 

ポールダンサーです。 BlogとかでUPされている動画とか、ホントすごいです!!。

 

イラストなども制作されていて、これもまたインパクト強です!!

 

僕と同じくかなり「毒」のまわったお友達です

 

ここにしょっちゅう遊びに来てくれていて、

 

「生き物たち」に慣れ親しんでいる皆さまにおかれましては、

 

この「宴車」さんのイラスト・・きっと”ニタニタ”してしまうでしょう

 

今回、「宴車」さんがイベントに参加される事を告知した、

 

ご自身のBlog記事の、ちょっとした一言に感動したんです。

 

 

「私にもやれることあった!!

 

みんなが元気いっぱいになるように、躍ります!!」。

 

 

で、

 

大々的に(勝手に)紹介させていたく事にしました(宴車さん、ごめんなさい)!!

 

お近くの方は、ぜひぜひ、遊びに行って見てくださいね!!

 

下記は「宴車」さんのHPです(インパクト超!!)。

 


 

 

 

 

 






急遽出演決まりました。
今週水曜日、急ですが東京銀座のブギウギにてポールダンス踊ります。
私にもやれることあった!
みんなが元気いっぱいになるように、踊ります!!
燃えるわ~?

ここで一曲。(東京ブギウギのメロディでネ)



銀座ブギウギ~心浮き浮き~
宴車は毒毒~

棒の歌で踊れば 銀座ブギウギ~

銀座ブギウギ~心浮き浮き~
宴車はぞくぞく~

渦巻き顔~ 絡み地獄~

銀座ブギウギ!




みなさんおいでくださいな???




【赤い鳥 東北地方太平洋沖地震 チャリティーイベントのお知らせ】

場所:ブギウギ銀座 http://<WBR>boogiew<WBR>oogiegi<WBR>nza.com<WBR>/
入場無料
時間:20時~22時
冷たいお茶類・水は無償提供(アルコール類は通常料金)、投げ銭制。
投げ銭、アルコール類の売り上げは義援金として募金致します。

月曜:美雲(シャンソン歌手)、火曜:チャラン・ポ・ランタン&ら・シャララ!、水曜:宴車(ポールダンス)他、木曜:ピラミッドス&コッペリア、金曜:あやちクローデル&イーガル&バーバラ村田&蜂鳥あみ太=4号

※※イベント趣旨※※
連日報道されております被災のイメージ・情報・余震に振り回され、気が張りつめている方も多いように感じます。被災してないけれど傷ついている人が音楽を通して楽しんでお金を払ってくれて、多少なりとも気持ちが楽になって、日本経済を動かしてくれるような原動力になってくれることを願っております。そういう動きが日本に活気を戻し、被災地の方々への助けになると信じております。自分の元気が無い時に人を元気にすることは難しいことです。被災もそうですが、経済の硬直化が一番の打撃に成り得ます。わたしたちにできることは、音楽を通して楽しんでいただき、その力で日本経済の硬直化を止め、さらに義援金として被災地に届けることのように思います。
ブギウギ銀座 矢澤

にほんブログ村 ポエムブログ イラスト詩へにほんブログ村
にほんブログ村 イラストブログ アートイラストへ
にほんブログ村