「正座を感じる季節」というのも変ですが、僕の中にはそんな季節が年2回あります。一つは6月で、もう一つは9月です。
「6.管理人の正座体験&目撃談~その2」で、小学校5年生の音楽の忘れ物での正座罰のエピソードを書きましたが、これがまさに6月なんですね。
僕の出た小中学校では頻繁に正座罰がありましたが、この時の正座罰が初めて目にした厳しいものでしたし、文中にも出てくる近所の女子が正座させられたのもこの時が初めてだったので、時期を覚えているのだと思います。
昭和40年代後半の「毎日新聞」に「いま学校で」という連載が掲載されていました。この連載は、学校や現代っ子の諸問題を扱ったコラムなんですが、昭和48年10月31日付の同コラムに正座罰を扱った内容が出てきます。
PTAの会合で学校を訪れた母親たちが、雨の中で紺の体操服、白の半ズボン姿で正座させられている男子7,8人を目撃します。紅白帽を忘れたために罰を受けたのですが、雨の中での正座と「九月中旬のある雨の日」という書き出しが印象的で、9月になると正座を感じる季節になります。
ちなみにこのコラムは、『いま学校で②』毎日新聞社(1974年)に収録されています。興味がある方は、同書か新聞の縮刷版でご覧ください。
「6.管理人の正座体験&目撃談~その2」で、小学校5年生の音楽の忘れ物での正座罰のエピソードを書きましたが、これがまさに6月なんですね。
僕の出た小中学校では頻繁に正座罰がありましたが、この時の正座罰が初めて目にした厳しいものでしたし、文中にも出てくる近所の女子が正座させられたのもこの時が初めてだったので、時期を覚えているのだと思います。
昭和40年代後半の「毎日新聞」に「いま学校で」という連載が掲載されていました。この連載は、学校や現代っ子の諸問題を扱ったコラムなんですが、昭和48年10月31日付の同コラムに正座罰を扱った内容が出てきます。
PTAの会合で学校を訪れた母親たちが、雨の中で紺の体操服、白の半ズボン姿で正座させられている男子7,8人を目撃します。紅白帽を忘れたために罰を受けたのですが、雨の中での正座と「九月中旬のある雨の日」という書き出しが印象的で、9月になると正座を感じる季節になります。
ちなみにこのコラムは、『いま学校で②』毎日新聞社(1974年)に収録されています。興味がある方は、同書か新聞の縮刷版でご覧ください。
僕が、正座を特に感じる季節は12月です。
初めて、正座罰を受けたのが小学1年の12月でした。
また、初めてクラス全員が運動場で正座させられたのは、小学6年の12月でした。
12月以外では、初めて廊下での正座罰を受けた(小学4年)9月が印象に残っています。
自分が忘れ物をして、正座罰を受けたことはないけれど、正座させられそうになったのは小学6年の6月と中学1年の9月でした。
正座していれば、6月と9月も正座を感じる季節になっていたかなあと思います。
いやぁ、xbatuさんも正座を感じる季節がおありなんですね。
思い出とともに大切にしていきたいものです。
印刷室の床に正座で、反省中は、絶対に正座崩せずに目を開けてはいけなくて大変でした。
目を開けるときは先生の指示が出たときのみでした。下校後も家の自分の部屋で30分間の正座。
30分間の途中で足をモゾモゾしたり、姿勢が前屈みになったり、目を開けたときは反省が出来てないとみなされ、30分間正座のやり直しで大変でした。
家に帰ったら30分間の正座反省の後反省文が宿題でした。
放課後の正座は、3日間でした。
台風の影響で、雨に降られ、電車が遅れ、帰りが遅くなったのは、この時、罰を受けなかったから、罰が当たったのかなと思いました。
また、中学2年の時、人生設計を発表する時、「まだ書けていません」と言えなくて、教室に立たされていて、廊下に正座できませんでした。
帰りの会が終わる少し前に、先生が来て、許してもらえるかと思ったら、「しゃべっている人がいるからダメ」と言われ、放課後まで正座させられました。これは、中学2年の時で、僕が経験した最後の廊下で正座になりました。
また、高校初めての正座は、高校1年11月でした。体育の授業で、バレーボールで負けたら交代と言うルールでやっていたのですが、途中から、負けたら、次の試合が終わるまで正座となり、負けて、正座させられました。