9月29日(土)10時~、文之和尚400回記念法要実行委員会主催による法要が姶良市加治木町の安国寺で開催されました。文之和尚は優れた才能を見込まれて、「豊臣秀吉」の時代、「徳川家康」の時代に薩摩藩の使者としての役割を果たし、漢文をより読みやすくする「文之点」を開発した翻訳者、鉄砲伝来を世に伝えた記録者、流儀名「示現流」の命名者としても知られた人です。
〇文之和尚400回忌記念法要・・文之和尚の墓前で読経・焼香が行われた後に、安国寺に移動して本堂御位牌の前で読経・焼香が行われ、文之和尚400回忌記念法要が終わりました。
〇講演会・・【演題】「文之和尚と示現流」・・【講師】示現流兵法史料館 館長 有村博康 氏・・パワーポイント及び資料により講演が行われたので、その一部を紹介します。
①示現流の祖・東郷重位・・武家であったが、文化芸術を専門とする金工師(工芸家)でもあり、上京した時、京都の善吉和尚という僧侶(出家する前は武士)から天真正自顕流を会得する。東郷重位はその時すでにタイ捨流と呼ばれる剣術の免許皆伝を受けていた。東郷重位は薩摩に戻り、タイ捨流と天真正自顕流の両派を創意工夫によって融合させた剣術を確立させた。
②島津家久が見守る御前試合とその後・・タイ捨流の師範を破った東郷重位の兵法(剣術)が薩摩の地で末永く栄え、薩摩独自のものにするため、新たな流儀名を考案するように託されたのが文之和尚であった。
③示現流の命名・・観世音菩薩普門品第二十五という経文の句「示現神通力」から二文字を引用し「示現流」と命名。ここに示現流が誕生した。
④示現流の継承・・示現流と命名されて400年余り、当初そのままの姿で一子相伝され、歴代の古文書と共に現在13代宗家東郷重賢に伝承されている。平成7年示現流の正確な伝承振興を期すため「財団法人示現流東郷財団」が設立され、同9年「示現流兵法所」及び「史料館」が鹿児島市東千石町の拝領屋敷跡に落成し、門外不出とされてきた古文書等が公開されるようになった。
〇示現流演武披露・・演武は,公益財団法人示現流東郷財団・示現流第13代宗家東郷重賢ほか示現流門友会メンバーによって実施されました。①基本稽古(立木打)②初度の型(燕飛、小太刀、再起、三太刀)③両度の型(持掛、早捨、長木刀)④段の型より初段(立・双・越)・二段(寸・満・煎)の型
南浦文之(文之和尚)の墓は昭和11年9月3日に国指定の記念物(史跡)として指定されており、加治木史談会主催で毎年法要が行われてきましたが、400回忌を記念して、関係者で実行委員会をつくり、加治木史談会会長が実行委員長となって準備が進められ400回忌記念にふさわしい盛大な法要となりました。
私は394回の法要に初めて参加して以来、今回が5回目の参加となりますが、厳粛な法要と講演・示現流演武等を見ることができたので参加して良かったと思っています。
会場の様子を写真で紹介し資料をスキャンして添付します。
安国寺外観
文之和尚の墓
墓前法要の全景
読経
焼香
本堂御位牌の前での読経
焼香
法要が終わって住職のあいさつ
400回記念法要実行委員会会長(加治木史談会会長)あいさつ
講演会・・示現流兵法史料館 館長 有村博康氏 あいさつ
示現流第13代宗家東郷重賢氏の紹介
講演の始まり
講演の終わり
加治木史談会事務局長による示現流演武会場への移動案内
示現流演武会場に整列した演武者
演武の様子
演武の様子
演武の様子
演武を終わって一礼
演武者を代表して挨拶
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