9月14日(土)13時30分~本願寺鹿児島別院において「廃仏毀釈を考える公開講演会」(第3回)~寺が消えた明治維新~が開催されました。
「受付」「オリエンテーション」「開会式」の後に、事前に配布された資料により、【第1部 基調講演】 講師:南さつま市坊津町廣泉寺前住職 かくれ念仏顕彰委員会顧問 大八木 廣澄 氏による講演が始まりましたので講演の一部を紹介します。
【基調講演の概要】・・〇廃仏毀釈とは・・仏教を廃毀し僧侶を排斥する宗教政策・運動及び思想・・薩摩藩においては他藩と異なり、寺院と民衆との結びつきが希薄であったため、民衆はただ武士の扇動にのって寺の打ち壊しに参加していった。 〇島津家三州統一と宗教の統制・・1550年前後・・「日新菩薩記」・・魔のしょいか、天眼おがみ(キリスト教)、法華宗、一向宗に数寄の小屋敷(あそびば)・・※一向宗(浄土真宗)の禁制が明記されている。
〇薩摩藩の宗教政策の特徴・・①菩提寺的な要素をもった寺院 ②祈願所的要素をもった寺院 ③郷社として系統をもった神社・・寺院に禄を与えて助成・・※一向宗(浄土真宗)は禁制にして厳しく弾圧 〇薩摩藩の宗名と人数・・10の宗で596072人・・薩摩藩(琉球を含む)総人口は87万人 薩摩藩寺院 寺領高・・22ケ寺・・最高(福昌寺・・1361石)最低(大龍寺・・30石)〇廃仏毀釈を起した廃仏思想・・①国家神道の思想 ②政治経済的立場からの廃仏論 ③国家神道による廃仏論 〇神道教育の奨励と推進・・敬神思想の普及と廃仏毀釈の正当性
〇まとめ・・廃寺作業に直接かかわった市来四郎の回想・・①僧侶・・還俗 ②仏像・・打ち壊し、③仏具・・兵器などへ・・ ※薩摩藩では一向宗(浄土真宗)は禁制にしたが、かくれ念仏として300年続いており、仏教に対する民衆の気持ちが既存の宗派から離れていたこと及び経済的な要因もあり廃仏毀釈が徹底にしたとものと思われる。
【休憩時間】・・廃仏毀釈の難を逃れた仏像の一部と写真が展示されていました。
【第2部】・・【パネルディスカッション】・・コーディネーターと4名のパネラーが登壇して、3名のパネラーが1人15分づつ発言した後に、基調講演をしたパネラーが発言のまとめを行った後に、3名のパネラーが1人3分づつ発言して・コーディネーターがまとめを行いパネルディスカッションを終わりました。
〇パネラーの発言項目・・①「守り伝えられる鹿児島のみほとけ」・・切原 勇人 氏(鹿児島県歴史資料ンター黎明館 主任学芸専門員)②「薩摩藩宗教政策その背景」・・岩川 拓良人氏(仙巌園学芸員・鹿児島国際大学・志學館大学非常勤講師)③「廃仏毀釈と浄土真宗」・・星野 元興 氏(伊佐市大口 大巌寺住職・博士・かくれ念仏顕彰委員会 副委員長)④3名のパネラーの「まとめ」・・大八木 廣澄 氏(南さつま市坊津町廣泉寺前住職 かくれ念仏顕彰委員会顧問)
〇質疑応答・・会場からの質問にパネラーの中から回答していました。(内容は省略)
〇閉会式・・前原 寛 氏(かくれ念仏顕彰委員会 委員長)の閉会挨拶で全ての日程を終わり散会しました。
私が「廃仏毀釈を考える公開講演会」に参加した理由は、鹿児島は他の地域に比べて廃仏毀釈が徹底して行われ、多くの文化財が失われた理由が知りたかったからでしたが、3回の講演会を聞いて理解することができました。
現在の日本では信教の自由は保障されていますが、海外では宗教に対する弾圧、宗教による政治支配など、宗教と政治の関係が大きな問題になっています。今後、日本でも同じような問題が起こらないように、注意深く見守っていきたいと思っています。
会場の様子を写真で紹介し、資料をスキャンして添付します。
会場外観
ポスター
会場入口
開演前の会場全景
開会あいさつ
基調講演
休憩時間・・展示物の見学
パネルディスカッション開始
パネラーの発言
閉会のあいさつ
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