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令和元年度 県立図書館長講演会「廃藩置県~鹿児島県の誕生」・・・鹿児島県立図書館

2019-07-13 20:36:10 | 日記

7月13日〔土)13時30分~鹿児島県立図書館において令和元年度 県立図書館長講演会「廃藩置県~鹿児島県の誕生」が開催され、事前申込者した約200名が参加しました。

〇開会・・鹿児島県立図書館副館長より講師の「原口 泉」先生の紹介と7月14日の県民の日は黎明館などの入館料が無料になるなることの紹介がありました。

【講演会の概要】・・事前に配布された資料の一部を紹介しながら、廃藩置県前後の情勢と西郷隆盛、川路利良などの人物と明治政府との関係などの話があり、最後に会場からの質問に答えて講演会を終わりましたので、その一部を紹介します。

〇廃藩置県への移行と問題点・・幕藩体制から天皇を中心とした中央集権国家への移行に伴い、士農工商の身分制度が廃止され、華族、士族、平民の身分制度となったが、士族の家禄廃止と救済措置に伴う不満から各地に士族の反乱が発生した。長州では木戸を中心とした明治政府に鎮圧されたが、鹿児島では廃仏毀釈に伴う寺の領地等を没収して士族に与えるなどして不満をやわらげたが、後の西南戦争の遠因となった。

〇西郷吉之助・桂久武宛書簡・・明治3年は鹿児島でも藩政改革をしなければならない時期で、下級武士による藩政の掌握という一大クーデターをまず鹿児島で示さなければならないということを幹部で確認し、明治4年に実施した廃藩置県の決意を、この日にしたのではないかと考えられる。

〇幼ななじみ「伊地知正治」に宛てた書簡「征韓論」・・征韓論を唱えた主役は西郷といわれているが、文書は今まで発見されていなかった。今回文書が発見され、西郷は「憂国の情」から、朝鮮より清国を心配、武備強化の持論などを書いた書簡が発見された。

〇川路 利良・・日本警察の生みの親・・明治5年ヨーロッパの警察制度視察して提出された建白書が基礎になり明治7年東京警視庁が創設され、川路は、初代大警視(警視総監)に就任。ここに警察制度が誕生。この間、征韓論に敗れた西郷が参議を辞職。帰郷すると、鹿児島出身者が続々官を辞して西郷に従う事態がおきた。

川路の態度は冷静そのもので、西郷への私情と警察の創設への使命をはっきり分けて、警察内部の鹿児島出身者を統率して明治10年西南戦争がおこると陸軍少将兼大警視として指揮し西郷軍に打撃を与えた。

〇鹿児島県の誕生と県名の由来・・明治4年7月14日の廃藩置県は明治天皇の詔で知藩事が家禄を天皇に返すことで成立した。薩摩藩は薩摩、大隅、日向(一部)が島津氏の領地であったが、城下町が鹿児島となっていたので、鹿児島県と命名された。

〇閉会・・15時30分頃、質問も終わったので司会より閉会の挨拶があり、アンケートを出して散会しました。

今回の講演会は廃藩置県という日本の近代化にとって重要な出来事だったので、興味を持って参加しました。西郷隆盛の廃藩置県への決意と国の将来に対する考えの一端を知ることができました。また、日本の警察制度の基礎を作った川路利良は私情と使命を区別できる近代的な考えの持ち主であることも理解できたので、参加して良かったと思っています。

講演中の撮影は禁止されていたので、講演前の会場と資料を写真に撮り、資料の一部はスキャンして添付します。

 

受付

開演前の会場全景

開演前の演壇

※写真をクリックすると拡大し2回クリックすると更に拡大します。左上の←をクリックすると戻ります

   

   

     

   

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1 コメント

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Unknown (藤井)
2019-07-14 14:17:40
廃藩置県の断行は、物凄いエネルギーを要したことであり、西郷の偉大が良く理解できますね。また、西洋の近代化を知り、改革の必要を身に染みて理解した大久保、川路らの悩みも良く理解できますね。西南戦争の後、西郷が許されてからも、鹿児島県では西郷派と大久保派の怨念が町村長選びまで影響し、蒲生でも終戦後までそれが見られたという事実が伝えられていますね。有難うございました。
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