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文化講演会~明治維新150年に寄せて~・・・姶良市文化会館(加音ホール)

2017-02-09 20:53:32 | 日記

  2月9日(木)18時~姶良市文化会館(加音ホール)において、姶良市商工会主催の「文化講演会~明治維新150年に寄せて~」が原口泉先生を講師に招いて開催されました。

 姶良市商工会会長の開会あいさつ、司会による講師の経歴紹介の後に、志學館大学教授、鹿児島県立図書館館長 原口 泉 氏が登場して約90分間、過去の大河ドラマに取り上げられた内容及び鹿児島を中心にした歴史を様々な切り口で講演されましたので、その一部を紹介します。

〇 2018年大河ドラマ「西郷どん」が決定し準備が進められているが、「西郷隆盛」を中心とした大河ドラマの誘致のための要望は2003年12月に文書をNHKに出して誘致活動を続けてきた結果であり、その間13年が経過している。(文書の写し参照)その後「島津義弘公」を中心とした、大河ドラマについては関係する4つの市町を中心に誘致活動が進められており、義弘公没後400年に向けての行事を盛大に行うことで、さらに知名度が上がり、誘致活動にもはずみがつくのではないかと考えている。

〇 「島津義弘公」の祖父の島津日新公は「島津いろは歌」を作るなど、優れた人物であったが、島津日新公を育てた母親は夫の死後は女城主として、嫁ぐことで、領地を大きくして、日新公の子が島津家の宗家の養子になって島津家による三州統一の礎となった。また日新公の孫である島津4兄弟はそれぞれの個性を生かして貢献した結果、島津家が存続し、薩摩藩の明治維新での活躍につながった。

〇 明治維新から150年、その10年後に起った西南の役からは140年となるが、薩摩では親兄弟などが薩摩軍と政府軍に分かれて戦った悲惨な歴史がある。西郷隆盛の弟の従道や従弟の大山巌なども政府軍側で戦ったが、西郷隆盛の息子菊次郎が薩摩軍で戦って片足を切断したときは、政府軍にいる弟の従道に救助を求めたようなこともあった。このように親兄弟が闘うような悲惨なことは戦国時代以来の出来事であった。

〇 西南の役では、薩摩軍が政府軍に敗れ、鹿児島に帰る途中の戦いの中で、蒲生郷では政府軍に対して優勢な戦いをした記録が残っている。(文書の写し参照)また、熊本城門に張り出された薩摩軍が戦うことになった趣意書も残されている(文書の写し参照)

〇 婦人心得百個条・・大正2年1月、丸峯部落婦人会が創設されたころ、婦人会員みんなが、昔から言い伝えられたものを出し合いながら幾晩もかかってつくりあげたもので、まさに婦人修養の心得であり、女大学の大正版ともいえるものである。(文書の写し参照)

講演内容の一部を紹介しましたが、講演は豊富な知識と大河ドラマなどの体験を交えた素晴らしいものでしたが、講演中は撮影禁止のため、講演前の会場の様子と入口の看板、ポスターの写真及び資料をスキャンしたものを添付します。

看板

ポスター

開演前の会場

※写真をクリックすると拡大します。左上の←をクリックすると戻ります。

                  

 

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1 コメント

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Unknown (藤井)
2017-02-11 14:06:29
昨夕は横着をきめこみ、参加しませんでした。夫人心得や熊本城に貼り出されたいろは歌など、初めて見るもので大変参考になりました。島津義弘も、私の存命中に大河ドラマ化されることはないであろうと、予想しています。有難うございました。
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