鹿児島県歴史資料センター 黎明館において5月16日~9月3日まで「大政奉還150年 黎明館企画展 小松帯刀とその時代」が開催されていますが、私は6月4日に鹿児島市に用事で行ったついでに見てきました。
小松帯刀は幕末期の薩摩藩における家老の中心的存在として知られている人物で、「国父」として藩の実権を握った島津久光の信頼の下、海軍を充実させるなどの強藩づくりを推進しました。また、政局においては、薩長同盟の締結から大政奉還に至るまでの一連の動きに、藩を代表して深く関わりました。明治維新による新政府成立後も、参与や外国官副知事などの要職に就きながら、病のため亡くなったことから、西郷隆盛や大久保利通に比べると、その知名度や歴史的評価は、これまで高いとは言えない面があります。
今回の企画展では、小松帯刀が藩の家老となり、藩政に深く関わることになった文久2(1862)から、亡くなる明治3年までに時期を中心に、政局の中で帯刀が果たした重要な役割や功績に関わる資料が展示されていました。
第1章・・若き家老、小松帯刀の登場・・島津斉彬などの影響を受けて成長した帯刀が、小松家を継いだ後、島津久光の抜擢により、藩政に参加するようになるまでが紹介されています。
第2章・・文久期(1961~64年)の政局と帯刀・・帯刀は側近として久光の卒兵東上を支え、その後の薩英戦争,8月18日の政変などと、帯刀に関わる資料が展示されています。
第3章・・元治期(1864~65年)の政局と帯刀・・元治元(1864)年の参与会議崩壊後、帯刀は京都における薩摩藩の実質的な最高最高責任者となります。同年に起きた金門の変や、藩の財政と軍事面の改革に、帯刀が深く関わっていたことが紹介されています。
第4章・・慶応期(1865~68年)の政局と帯刀・・薩長同盟締結から大政奉還に至る政治の重要な局面に藩を代表して関わり、幕末の最終段階における帯刀の動向に関する資料が展示されています。
終章・・明治期(1868~70年)の帯刀と、早すぎる死・・維新後も、帯刀は主に外交面で活躍するが、活動の半ばで36歳の若さで亡くなります。短い期間ながら、新政府の樹立に最後まで尽力した帯刀の動向に関する資料が展示されています
小松帯刀の生きた幕末から明治初期の激動の時代の薩摩藩の家老として、重要な役割を果たしたことが、展示内容から理解できたので、見に行って良かったと思っています。
展示品は撮影禁止なので、もらった資料をスキャンして添付します。
会場入り口
看板
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