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OB会(友の会)講演会「子孫から見た西郷隆盛」(2018)・・・西郷隆夫氏(西郷隆盛のひ孫)

2018-04-28 11:20:20 | 日記

4月27日(金)16時~、九州労働金庫 鹿児島県本部において、OB会(友の会)主催の講演会「子孫から見た西郷隆盛」【講師・・西郷隆夫氏(西郷隆盛のひ孫)】が開催されました。

主催者より講師の紹介の後に講師が登場して、子孫の立場から、西郷隆盛とその子孫について、家族の中で伝えられている内容を講師(隆夫氏)と父親とのエピソート等を交えて講演されたので、その一部を紹介します。

①西郷家隆盛の結婚と離婚(家族構成)・・●西郷隆盛⇒1回目(伊集院須賀さん・・離婚)2回目(奄美・・愛加那さん・・菊次郎・菊草の二人のこどもが誕生・・西郷隆盛が鹿児島に帰るときに当時の規則で妻は島を出ることができなかったので離婚)3回目(イト・・16歳年下との結婚・・寅太郎、午次郎、酉三の3名のこどもが誕生・・寅太郎(8人の子どもを授かる)→隆正(7人目)→西郷隆夫(長男)・・(藍郷隆盛の妻のイトさんは奄美にいた菊次郎・菊草の二人の子供を引き取り養子として育てる・・菊次郎は後に京都市長になる)

②西郷隆夫氏と父親(隆正さん)とのエピソート・・●子供の時から西郷家にまつわる話を父親から聞かされて成長 ●西郷隆盛は漢詩は書いたが書物としては残していないので、後に庄内藩に人々が残した西郷遺訓などから様々な書籍が出ている ●西郷家の先祖は熊本県菊池出身で1702年に遡る名家であることを誇りにしていた・・奄美では菊池源吾と名乗り、子供には菊次郎・菊草としたのはその証と思われる)●父親(隆正さん)に反発して、就職は父親の意志に反して勝手に就職したことに怒った父親から勘当され5年間は音信不通・・父親の死後に上司から2週間おきに息子の様子を聞くために上司に会いに来ていた父親のことを知り、親が子を思う気持ちを知る。

③西郷隆盛の人柄・・「気配り」「ゆるす」「知行一致」(聞いたことをすぐに実行に移す)・・●こえたんごの話・・西郷隆盛が犬の散歩中に、こえたんごの糞尿が西郷にかかっても、怒ることなく、自分が犬の散歩をしていなかったら、迷惑をかけずに済んだと逆に謝ったエピソードを披露 ●スリの話・・明治維新の初期に全国からスリが東京に集まり、その中で、スリ仲間のボスが有名人であった西郷から金時計を盗むことになったが、失敗して取り押さえられる・・西郷はその金時計を高い金額で買い取り、スリのボスは感激してスリ仲間と共にスリをやめその資金で実業家に転身するエピソートを披露

④西郷隆盛の組織づくり・・明治維新後に大久保利通等の岩倉使節団がヨーロッパに出かけた留守を預かる西郷隆盛は人事改革を行い、西郷隆盛(情の人)の次には佐賀出身者等の実行力のある人(知の人)を配置し、情と知が交互になるような気配りの人事で、末端までやる気を起させる気配りの組織つくりを行った。

⑤「敬天愛人」・・西郷隆盛の思想を最もよく表した言葉であり、多くの書を残しているが、南洲書と署名したのは、書と書くことで、西郷隆盛自身の言葉ではないことを表しているとの話であった。

今回の講演を通して、西郷隆盛の子孫がそれぞれの家族に残した教訓などを理解することができました。なお、帰りに、西郷隆夫「一点」で囲む(高岡修監修)の書籍を購入して、今回の講演には出てこなかった、エピソートなども知ることができたので、購入して良かったと思っています。

講演会の様子を写真で紹介します。

自己紹介をする西郷隆夫氏

祖父の寅太郎の写真を紹介(西郷隆盛の妻のイトさんに似ているとのこと)

講演の最後

  

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1 コメント

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Unknown (藤井)
2018-04-28 18:24:07
西郷隆夫さんの話は、初めてで、大変参考になりました。日置市の一乗院跡にお住いの西郷さん(陶芸家)は、別人でした。隆夫さんは、まだお若いですね。有難うございました。
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