今、自衛隊の在り方を問う!

急ピッチで進行する南西シフト態勢、巡航ミサイルなどの導入、際限なく拡大する軍事費、そして、隊内で吹き荒れるパワハラ……

自衛官の人権をめぐる闘いの歴史と現在

2018年10月06日 | 書籍


*本稿は、2018年3月12日発行(約50年ぶりの復刊)の拙著『反戦自衛官』の解説文です。
*『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反』(復刻増補版)(本体1800円・社会批評社) http://www.maroon.dti.ne.jp/shakai/24-4.htm
*同書の「立ち読み・試し読み」ができます。写真が多数あります(はじめに、第1章の一部、解説が読めます)。 http://hanmoto.tameshiyo.me/9784907127244 
(写真は、自衛隊に「沖縄派兵中止」「自衛官の言論活動の自由」などの「10項目要求」を求める6人の自衛官ら。1972年4月27日、防衛庁近くで記者会見、同28日東京芝公園の「4/28自衛隊の沖縄派兵阻止」集会で登壇)。



解説 二度の無罪判決と小西以後の闘い

 ほぼ半世紀前の、稚拙な自分の文章を再読すると恥ずかしい思いがするが、読者にはこれもあの時代の激しい闘いの息吹の中で執筆したものとして了解していただきたい。
 本稿は、校閲・校正箇所を除いて初稿の原文をそのまま掲載している。ただし、初稿にはなかったが、本文中に当時の状況が理解しやすいように写真を多く掲載するようにした(このため、原文の最首悟氏との対談は、原稿文量を超えるので割愛した)。

 第一回裁判以後

 さて、本書は、一九七〇年七月の第一回裁判開始直前の記述で終えている。第一回裁判は――。
 「七〇年七月二三日、新潟の街は小西裁判一色に包まれた。 町並みの至るところにビラ、ステッカーがはられている。宣伝カーはボリューム一杯に一日中鳴り響いた。
 裁判所周辺の緊迫は一段と激しい。路地の至るところに完全武装した機動隊と私服刑事が潜んでいる。警察はこの裁判のため、新潟の機動隊だけでは足りず、関東管区からも機動隊の応援を求めたという。

 権力のこうした態勢と呼応して右翼もまた、大動員し市内を走り廻っている。『売国奴! 小西元三曹の裁判を厳重監視しよう』、こう書かれたステッカーが裁判支援のステッカー以上に街中に氾濫している。
 予想される右翼の妨害に対し、小西裁判支援のため全国から集まってきた人々は、現地新潟の人々と共に、すでに第一回公判の五日前から裁判所横の路上にテントを張って座り込んでいる。

 機動隊に包囲された裁判所。その構内に入ると「立入禁止」の看板が目につく。裁判所は、小西裁判に備えて、すべての法廷を閉廷した。この厳戒態勢の中を私は、四〇名の弁護団と一緒に法廷に入った。いよいよこれから裁判が始まる」(拙著『小西反軍裁判』三一書房)

 さて、足かけ一一年間にわたる刑事裁判は、第一審判決が一九七五年二月「検察側の証明不十分にして被告は無罪」、検察側の控訴による控訴審判決が、一九七七年一月「新潟地裁差し戻し」、そして、差し戻し後の新潟地裁では、一九八一年三月「小西の行為は言論の自由の範囲内」として再び無罪判決が下された。検察側が控訴を諦めたため、この無罪判決は確定した。

 自衛官の初めての人権裁判 

 ところで、七〇年代初頭のこの時代は、長沼自衛隊違憲訴訟、百里自衛隊違憲訴訟が同時に争われており、いわゆる小西裁判も、この自衛隊違憲訴訟の一つとして争われることで注目を集めていた。実際、裁判は「自衛隊法違反適用」事件として、被告・弁護団とも、裁判開始直後から自衛隊・自衛隊法の違憲性を正面から争うものとして展開された。このために、被告・弁護側は、公判当初から自衛隊関係の多数の証人・証拠の提出を求めるとともに、二度にわたる公訴棄却を申し立てた(自衛隊法は、全面的に憲法違反であるから「小西起訴」自体が違憲)。

 それにもまして、小西裁判がもう一つの自衛隊違憲訴訟として、正面から争われることになったのは、この時代の政府・自衛隊の政治判断であった。当時、防衛庁長官であった中曽根康弘は、「七五年までに長沼、小西裁判で憲法の再確認(自衛隊合憲)を求める」と発言していたが(七一年五月アジア調査会での講演)、この政治目的は、第四次防衛力整備計画で一挙に軍拡を推し進める自衛隊の、国民的認知を確定することにあった。

 しかし、このような自衛隊違憲訴訟とともに、いやそれ以上に重要な小西裁判の争点は、逮捕・起訴理由に挙げられている、自衛官の政治的行為、言論活動の自由――自衛官の人権をめぐる問題であった。

 本文の記述のように私は、佐渡基地内で、チラシ、ステッカーを大量に配布し、全隊員の前で「治安訓練拒否」を宣言した。検察側は、最終的にこれらの行為を自衛隊法第六四条違反の「怠業および怠業的行為の煽動罪」として処罰を求めてきたが(逮捕時の第六一条「政治的行為の禁止」は適用せず)、この「煽動罪適用」こそは、憲法第九条下の自衛官を巡る人権状況を見事に表していた。

 検察側の判断は、すでに現実的に国家公務員の政治的行為への刑事罰の適用ができなくなりつつある中、憲法下、とりわけ自衛隊の違憲性が問われる九条下では、「政治的行為禁止」条項では自衛官といえども刑事罰を求めることはできないということであった。後述するように、以後の自衛隊内での闘いの中で、自衛隊法の政治的行為の禁止という刑事罰の適用は事実上、無効化された。

 そして、小西裁判による二度の裁判所の判決で明らかになったのは、この政治的行為の禁止に代わって言論活動を封殺する煽動罪による刑事罰の適用問題であった。この「煽動罪」は、日本では破防法・爆発物取締法以外に法的規定がないことから、自衛官のみに適用される治安法とも言えよう。つまり、軍法会議がない自衛隊という軍隊における、唯一の「軍法」と言えるかもしれない。

 結論すれば、小西裁判で真っ向から問われ、闘われたものは、自衛官(兵士)の人権――言論の自由、政治活動の自由ということであり、憲法第九条下では自衛官(兵士)の言論活動について、一切の刑事罰を下すことはできないということである。
 この意味で日本の軍隊史上、初めて勝ちとられ、認められた兵士の人権である(なお、国家公務員の政治的行為の処罰については、猿払事件の最高裁判決を始め、最近の国家公務員の政治的行為を巡る判決においても刑事罰が下され始めている。つまり、憲法九条の改悪下では、このような自衛官の言論活動も再び刑事罰の対象になるということだ)。写真は1981年の無罪確定判決の記者会見(新潟弁護士会館)



 自衛官の人権を求める「一〇項目要求」の提出

 この小西裁判による、自衛隊法第六一条の無効化を実践的に示したものこそ、一九七二年、反戦六自衛官による防衛庁長官への「一〇項目要求」である。 
 一九七二年四月二七日、現職の陸上自衛官・与那嶺均一士以下の陸空の自衛官たちは、防衛庁正門前で「自衛隊の沖縄派兵中止、自衛隊員の表現活動の自由」などの、下級兵士たちの一〇項目を防衛庁長官に「請願」した。そして翌日、東京芝公園の「沖縄デー」集会の壇上から制服を着用してその正当性を訴えたのだ(左、表紙カバー写真)。以下がその要求である。

 要求項目 
 一、われわれは、侵略のせん兵とならない。沖縄派兵を即時中止せよ。
 二、われわれは、労働者、農民に銃を向けない。立川基地への治安配備を直ちにやめよ。
 三、われわれに、生活、訓練、勤務の条件の決定に参加する権利、団結権を認めよ。 
 四、われわれに、集会、出版の自由など、あらゆる表現の自由を認めよ。
 五、われわれは、不当な命令には従わない。命令拒否権を確定せよ。
 六、幹部、曹、士の一切の差別をなくせ。
 七、勤務時間以外のあらゆる拘束を廃止せよ。
 八、私物点検、上官による貯金の管理などの一切の人権侵害をやめよ。
 九、小西三曹の懲戒免職を取り消し、直ちに原隊に復帰させよ。
 十、われわれは、自衛官であると同時に労働者、市民である。労働者、市民としてのすべての権利を要求する。
                                        一九七二年四月二七日

 陸上自衛隊第三二普通科連隊第一中隊(市ヶ谷駐屯地)     一等陸士 与那嶺 均
 陸上自衛隊第四五普通科連隊第一中隊(京都大久保駐屯地)   一等陸士 福井 茂之
 陸上自衛隊富士学校偵察教導隊(富士駐屯地)         一等陸士 内藤 克久
 陸上自衛隊第二特科群第一一〇特科大隊本部中隊(仙台駐屯地) 一等陸士 河鰭 定男
 航空自衛隊第二高射群第五高射隊射統小隊(芦屋基地)     一等空士 小多 基実夫
 航空自衛隊第四六警戒群通信電子隊(佐渡基地)         三等空曹 小西 誠(行政不服申し立て係争中)
 防衛庁長官 江崎真澄殿

 この彼らの行動に対して、自衛隊警務隊は、一応「逮捕態勢」に入ったが、集まった民衆の力でそれは阻止された。しかし、数日後、彼ら全員が「隊員としてふさわしくない行為」(自衛隊法第四六条)として懲戒免職処分に付された。

 ここで明らかになったのは、もはや、自衛隊はこのような公然たる制服着用による政治活動に対しても、第六一条違反での刑事罰を下せなくなったということだ。つまり、小西裁判で実証されたことが、この六自衛官の行動で確定したのだ。

 これらのことから言えることは、自衛隊創設以来、政府・自衛隊はもちろんのこと、この日本社会が想像もしていなかった自衛官の権利=軍隊内の兵士の権利が、確実にその兵士たちの手で勝ち取られつつある時代が始まったということである。

 卑劣な弾圧手段に乗り出す

 さて、自衛隊法による刑事的弾圧手段を裁判闘争や世論の力で封じ込められた自衛隊は、このあと、ますます卑劣な手段を駆使して隊内の「反戦兵士狩り」に乗り出す。
 この一つが、一九七五年の戸坂陸士長への集団リンチによる退職強要事件であり(陸自市ヶ谷駐とん地。東京地裁において「退職承認処分」取り消しの判決確定)、七八年の町田陸士長への再任用拒否事件である(同市ヶ谷駐とん地。東京高裁で原告の訴えは却下。 八七年には陸自練馬駐とん地においても、宮崎陸士長の再任拒否事件が起こった)。

 そして、任期制隊員ではない陸曹らに対しては、「配置転換」という労働争議で見られる手段を行使し始めた。
 一九七二年の六人の自衛官らの「一〇項目要求」以後、全国に広がった自衛隊の兵士運動は、特に首都東京のど真ん中、市ヶ谷駐とん地で深く広く浸透していった。 七五年には、駐とん地内に「不屈の旗」という自衛官自身による機関紙(写真参照)が発行され、 ついに八〇年には、 その中に「市ヶ谷兵士委員会」という自衛官たちの非公然の自立組織が誕生したのだ。

 この市ヶ谷兵士委員会は、一九八〇年代半ばに至ると、同駐とん地の第三二普通科連隊第四中隊を中心に、隊内に大きな影響力を持ち始めた。一時期当局は、第四中隊の「解隊」を目論んでいたぐらいである。そして、この当局による最終的弾圧手段が、同中隊の兵士委員会の中心メンバーと見做された、古参の陸曹ら(下士官)の配置転換だった。

 一九八九年、同連隊第四中隊の片岡顕二二曹は、突如として北海道へ、また同部隊所属の佐藤備三二曹もまた同様に、習志野部隊への配置転換を命ぜられた。これらの不当弾圧に対し、二人とも配置転換を拒否し「苦情処理申し立て」を始めとする、あらゆる法的手段を行使して闘ったが、当局は直ちに命令違反による懲戒免職処分を下した(原告らの処分取り消し訴訟は、東京高裁、札幌高裁で却下)。

 掃海艇派兵の中止要求

 一九九〇年代は、戦後自衛隊にとってエポックとなった年だ。戦後初めての海外派兵が、九一年四月に海自掃海艇のペルシャ湾への派兵として、また、九二年九月には陸自がカンボジアへ国連PKOとして派兵された。以後、自衛隊の海外派兵は、常態化していくことになる。
 この戦後自衛隊の歴史的大転換に対し、誰よりも先頭で闘ったのが、八九年から再び活性化した陸自・市ヶ谷駐屯地に結集する反戦自衛官たちであった。当時の多くの反戦運動が停滞する中で、彼らはこの困難な自衛隊の海外出動に隊内から対峙した。

 一九九一年四月二五日、前夜の掃海艇のペルシャ湾派兵の閣議決定、そして翌日の掃海艇部隊の出動という日を目前にして、陸自・市ヶ谷駐とん地に属する、片岡顕二二曹、吉本守人三曹、藤尾靖之陸士長は、その派兵に抗すべく六本木の防衛庁長官室(当時)の前に到着した。
 彼らは「掃海艇派兵の中止」を求める「意見具申書および請願書」を取り出し、長官室のドアをノックした。
 そのノックを終える間もなく、彼らは、長官のSP三人に取り押さえられ、その後逮捕された(以後、藤尾士長は再任拒否、吉本三曹は懲戒免職)。以下が彼らの意見具申書などである。写真は防衛庁長官室(当時)前で、長官SPに暴行を受ける3自衛官


 意見具申書および請願書
 私たちは、憲法および自衛隊法を公然とふみにじる海上自衛隊・掃海艇部隊の中東派兵を即時中止するよう陸上自衛隊服務規則第二〇条に基づき意見具申するとともに、請願法第五条の定めにより一市民として請願する。
 自衛隊の任務および行動は、自衛隊法第三条が定めたように、日本の領海に限定したものである。しかるに、今回の「機雷除去」を口実にした自衛隊の海外出動は、この任務を大きく逸脱した違憲・違法の出動であり、私たちは断じてこれを黙認できない。
 今回の「日の丸」をつけ、武装した艦隊の海外出動は、アジア・中東諸国への軍事的威嚇であり、戦闘行動――武力行使以外のなにものでもない。
 もしも、このような自衛隊海外派兵の第一歩を許したとすれば、もはや戦後憲法は破壊され、日本が再び戦争への道へいきつくことは明らかである。
 今や、中東・アジア諸国の人々はこうした自衛隊海外派兵に強い危惧を抱いており、国内でも多くの民衆が懸念を表明している。
 以上の立場に立ち私たちは、一自衛官として、あるいは一市民として次の点を意見具申し、請願する。

 一、違憲・違法の海上自衛隊掃海艇部隊の海外出動を即時中止すること。
 二、自衛官に思想および言論の自由などの民主的権利、命令拒否権を与えること。
 三、藤尾靖之陸士長への思想弾圧に基づく、再任用拒否の通告をただちにとりやめること。
 四、吉本守人三曹への思想弾圧に基づく、人権侵害を深く反省し、是正すること。
 五、片岡顕二・佐藤備三二曹の思想弾圧による転任および懲戒免職処分を公正審査会はただちに取り消すこと。
 一九九一年四月二五日
        陸上自衛隊第三二普通科連隊第二中隊  陸士長  藤尾靖之   拇印
        陸上自衛隊第三二普通科連隊重迫中隊 三等陸曹 吉本守人  拇印
        陸上自衛隊第三二普通科連隊第四中隊 二等陸曹  片岡顕二  拇印
防衛庁長官 池田行彦殿

 九〇年代から現在へ 

 この勇気ある三自衛官の闘い以後、市ヶ谷駐とん地内では、反戦自衛官らへの凄まじい弾圧が吹き荒れ始めた。当局は自ら手を下すのでなく、右翼・当局派の下士官らを使嗾して、「反戦派狩り」を推し進め始めたのだ。隊内では、彼らへの暴力事件、リンチ事件が頻発・横行する。もちろん、これらの暴力事件に対して、当局は形式上の処分はするのだが、実際は奨励していたのだ。

 こういう厳しい弾圧を経過して、二〇〇四年の自衛隊のイラク派兵という本格的海外派兵の始まりの中で、「自衛官人権ホットライン」運動が始まった。この自衛隊内の、初めての隊員たちの相談機関であるホットラインには、発足以来すでに一五〇〇件を優に超える自衛官とその家族からの相談が寄せられている。隊内で孤立し、苦悩する隊員たちとその家族らには、この救済組織が事実上、唯一つの「駆け込み寺」となっているのだ。

 そしてまた、このような歴史的闘いの経験と継承が、現在始まっている現職自衛官らの国・自衛隊を相手にした裁判である。只今現在、「安保法=戦争法」の違憲裁判を含め三人の現職自衛官たちが、自衛隊当局を相手に行政裁判を行っている。この現職自衛官らが「現職」のままで、当局の不当な取り扱いに抗議の声を挙げ始めたということは重大だ。しかも彼らは、幹部や上級の曹である。ここには、自衛隊がもはや旧日本軍の伝統を継承した軍隊(「命令への絶対服従」などの軍紀)としては存立し得ない、社会的・政治的根源が生じていると言えよう。

 同様に、自衛隊内のいじめ・パワハラ・自殺事件などをめぐって、この一〇数年来、自衛官およびその家族からの訴えによる二〇数件にものぼる裁判が行われていることも重大だ(裁判終了を含む)。しかも、これらの自衛隊を相手にした裁判は、ほとんどが国・自衛隊の敗訴として終わっているのだ。

 このような状況を見ると、もはや自衛隊は、自衛官らに「絶対服従」を強いて忠実さだけを求める「軍隊」として存立することはできないということである。つまり、日本の軍隊=自衛隊もまた、北欧諸国の軍隊と同様、民主主義・人権を尊重した組織として「脱皮」(変革)するほかはないし、そうしない限り組織としては生き残れないのだ。

 言い換えれば、先進国の軍隊は、この人権・民主主義・生命の尊重(そして少子化)という重大なテーマを克服しない限り、その存立の危機に立たされる時代に入っているのだ。

 反戦自衛官らの、およそ半世紀にわたる闘いが提示したのは、まさしく、この戦争と軍隊の問題、根源的な平和社会を、この世界にどのように実現するかをめぐる運動であったとも言えよう。
                                      (二〇一八年二月二〇日)

 ●小西裁判・自衛官の人権関連資料 
 *『自衛隊その銃口は誰に』(小西反軍裁判支援委員会編、現代評論社) 
  小田実・小田切秀雄・山辺健太郎・藤井治夫・江橋崇・竹内芳郎、そして小西誠ら、各界の論客が語る叛軍の論理
 *『裁く――民衆が日本の軍国主義を』(小田実編、合同出版)
  ・小田実・山辺健太郎・星野安三郎らが、今法廷で裁かれようとしている小西の立場から権力を裁く「民衆法廷」を開催。その全記録
 *『小西反軍裁判』(小西誠編著・三一書房)
  ・小西刑事裁判の記録とドキュメント、第一審・控訴審・差し戻し審の判決全文収録
 *『自衛隊の兵士運動』(小西誠著・三一新書)
  ・七〇年代前半の自衛隊内の反戦運動の詳細を記録
 *『自衛隊の海外派兵』(小西誠・星野安三郎共著・社会批評社)
  ・九〇年代の海外派兵に向かう自衛隊内部の諸問題を記述
 *『隊友よ、侵略の銃はとるな』(小西誠著・社会批評社)
  ・七〇年代から八〇年代の自衛隊内の緊迫する闘いを描く
 *『海外派兵』(片岡顕二著・社会批評社)
  ・掃海艇のペルシャ湾派兵に反対した市ヶ谷自衛官たちのドキュメント
 *『自衛隊 そのトランスフォーメーション』(小西誠著・社会批評社)
  ・二〇〇〇年代に歴史的再編に向かう自衛隊とその内部の問題を喝破
 *『自衛隊 この国営ブラック企業』(小西誠著・社会批評社)
  ・現在の大再編される自衛隊内の隊員らの意識・苦闘を描く
 *『マルクス主義軍事論入門――マルクス主義軍事論第一巻』(小西誠著・社会批評社)
  ・クラウゼヴィッツ、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーなどの軍事理論を体系的に分析した革命の軍事理論
 *『現代革命と軍隊――マルクス主義軍事論第二巻』(小西誠著・社会批評社)
  ・パリ・コンミューン、ドイツ・ロシア革命、チリ・クーデタ、日本の戦前の兵士運動など、世界革命史の中の軍隊と革命をめぐる歴史と理論、兵士運動を分析

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