こんばんは!
本日は数個の投稿にお付き合いいただき
ありがとうございました。
乱文、大変失礼いたしました。
今更ですが、
みなさん良き週末を過ごせましたか?
(他のブログを拝見して、読み手の方に挨拶などして、呼びかける一文が良いなと思い採用してみました。勉強になります。)
もうすぐ楽しかった週末も終わりますね。
明日からまた一週間が始まっちまいますね。
仕事、 良い加減 でゆるりとがんばりましょう!
さて、本日は 憧れ について書いて、1日を終えたいと思います。
みなさんは「憧れ」たことありますか?
「憧れ」ている人、こと、職業などなどありますか?
私はあります。
夢物語的な 憧れ は
尊敬してやまない音楽家・志村正彦さんに対しての憧れ。これから死ぬまで一生、ずっと抱き続けるだろうと思います。もうほぼ恋のような感じ。その才能や世界観に心底惚れ込んでいます。手には届きません。届くはずもなく。彼は永遠の29歳ですね。あとその年齢に追いつくまで一年とちょっとです。
現実的な 憧れ は
物書きという職業。
物書きとして生計を立てることに憧れています。
以下長文です。
憧れをどう乗り越えて、
憧れに近づいたか についてお伝えします。
さて、
憧れ ってそもそもの意味を調べてみると、、、
とありました。
文章から考えると、「恋」や「片想い」のような心情に近いものがあるのかなと思います。手が届かなさそうな、少し遠い存在に対して抱く感情のような。やるせなく、心がキュッと締め付けられる。切なくなりますね。
話を戻しまして。。。
志村くんは奥田民生さんのライブを観て、音楽の道に進もうと決意したそうです。
そのエピソードを聞いて、
彼は奥田民生さんに憧れていたのだろうか? という疑問を持ちました。
奥田民生さんと志村くんのインタビュー記事などもあるようなのですが、読んだことがなく、真相はわかりません。
しかし、私が思うに奥田さんに対して志村くんが抱いていたのは 尊敬の気持ち だったのでは? ということです。
その時にふと思いました。
なんて謙虚なんだ! と。
尊敬 というのは、とても素晴らしい姿勢ですよね。
正々堂々としていて、スポーツマンシップ溢れる精神だと思いました。
彼は奥田さんを決して憧れで終わらせなかった。
叶える夢としてしっかりと奥田民生を、近づく対象として据えていると思いました。なんというか、正々堂々と。それが清くて、かっこよかった。ねとねとしていなかったな、全然。
私は志村くんに対して、憧れを抱いていたんです。
その憧れにはどうも、片思いのあの気持ち、陰からそっと見つめるあの感じに似ていると思いました。
所詮手には届かぬ高嶺の花としての象徴。
手を伸ばしても、近づく努力はしません。
影から想うだけ。はぁ、今宵も眩しいです、という風に。
そしてさらにはその憧れにジェラシーも入り混じってはいないか??? と思いました。
ねとねとした入り込んだ自分の気持ちに気がつきました。
だって本当に良い音楽を作るし、グッドルッキングガイですし、頭もよく、お笑い的面白さもシュールさも兼ね備えている。そして、自分が大好きな音色を作り出し、言葉に長け、オリジナリティあふれる世界観を持っている。
羨ましいです。真の芸術家。音楽家。
やるせない憧れってやつです。
でもそのやるせない憧れって、
初めから叶わぬ恋だと諦めて
陰でひそかに誰かを想うような行為だな。。とあるとき思いまして、
だとしたら、どうやったら彼に近づけるかを考えて、振られたとしても、伝えることで、少しでも近づけたら? その胸焦がれる感情から解き放たれるかもしれない! という結論に至りました。
本当におこがましいですよね。ファンの皆さまどうかお許しください。
ただ、それぐらい彼に憧れて、尊敬していました。恋と同じように苦しかったです。
そんな感情、胸のつっかえのような、やるせない切なさを乗り越えるために初めて、憧れに近づく努力をしました。同じ土俵に立てるように努力をしようと思いました。(同じ土俵にだなんてさらにおこがましいです。すみません)彼を、追いかけました。
本をたくさん読んで、哲学書に触れて毎日音楽を作りました。彼が教えてくれたように、彼の音楽にレスポンスするつもりで自分があったらいいなと思う音楽を心がけて作りました。そして2019年が暮れ、2020年が明けました。結果的に痩せた。けれども、作った音楽はボイスメモに溜まり、ピアノでは再現できました。でもどうしてもバンドで再現することへの原動力が生まれませんでした。そこでふと気がついた。自分を突き動かしているのは音楽ではないかもしれない と。
同時に仕事がおざなりになったり、家族のことや友人のこと、自分の人生のこと全て置き去りだった。。。 と思いました。
私は今の人生やめて、上京して音楽したいの? と自問しました。
そこで、彼と同じ道をなぞるように生きることが目的になっている事実が浮き彫りに。そこには自分がありませんでした。それだけ志村正彦という存在が大きな意味を以って、私を突き動かしていたのだと思います。
そのことで、私の志村くんへの想いは本当に憧れだったのだと気がつきました。つまり、自分と志村くんの人生は平行線を辿る一方でした。夢を見ていました。
それでもやっぱり志村くんみたいになりたいという思いが消えませんでした。
だったら、私は私の方法で、人生を歩んで志村くんに近づける努力をしようと思いました。音楽家でなくても、彼のように生きることはできます。私は私が一番自信のある方法でその道を歩んでいこうと思いました。
そのような考えができたのは、哲学に触れたからです。音楽を手段として捉えた時に、本質的な部分は努力する姿勢だったり、音楽に対する向き合い方にあると思いました。つまり、私が憧れていたのは本質的な部分の方だと気がつきました。
考えた結果、前述した 私なりの道 とは 書くこと でした。
書き手としての方法で生活できずとも、
何かを発信して、伝えることはできる と思いました。
そして切実に日々を生きようと思いました。いろいろなことから逃げずに生きました。そうして日々の生活で「創ること」で伝えることを、大切にしながら生きています。その姿勢はまさに志村くんの音楽に対する姿勢から学んだことです。そうすることで、初めて憧れの存在を乗り越えることができました。ただずっと遠くから見つめているだけではなくて、自分もそのような存在に近づけるように努力をすることが少しずつできるようになりました。
結論としては私はまだ書き手として生計は立てられていません。しかし、今新たな形で伝えることで生計を立てています。
とても長くなりましたが、憧れを憧れでは終わらないように生きることはできると思います。もちろん志村正彦さんはずっと私の憧れで、その存在を超えることはできません。それほどの存在に出会えたことが私の人生の財産です。どれほど感謝してもしきれません。そんな、大きな存在に今近づく努力ができていることが幸せだと気がつきました。
なんの取り止めもない話。こりゃもう少し整理する必要がありそうです。
情報化って難しい。
また整理しなおしたら改めて投稿します。
まずは記録のために。
最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。