ちょっと悲しい話を聞いた。
昔、私は団地の祭りがホントに楽しみで、7月になったらテンション上がりまくりで、祭りの日を心待にしていた。
それは中学生になっても同じで、出店の食べ物やゲーム、景品など楽しみがいっぱいだった。
祭りは土曜と日曜の2日間あって、2日ともフルで参加していた。
何時しか、祭りは1日だけになってしまった。
ただ、それでも私は楽しかった。毎年のように参加していた。
しかし、大学生になり社会人になるにつれて興味が薄れていった。
しかしそれでも私は参加した。
雰囲気だけでもと。なんか義務感があった。
そしてついに祭りはなくなってしまった。
つまらない大人ばかりだ。
結局面倒くさいだけで、責任がどうとかいちゃもん付けてやらないだけ。
誰がくるんだ?とか、やって意味はあるのか?とか役員がやろうとしない。
原因はそこだ。
確かにそうだ。昔に比べて硬くなった。
食中毒や、事故、事件が「もし」起こったらどうする?
だれも「私が責任とる」なんて言えない。
こんなお硬い考えのせいで、昔から団地に住む人たちが愛する祭りが消されてしまった。
しかし、超やる気のある役員が「任せろ」と一言。
一昨年、祭りは復活したのだ。無くなって何年たっただろうか。しかしそれは「祭り」とはほど遠いものだった。
出店が一切ない祭りだった。
結局、「食」の問題は改善されなかったのだ。
しかし去年、その壁を超えた。
出店から漂う香り。あの祭りが帰ってきた。
私も久しぶりの出店に感動した。
昔と変わらない味。そのままだった。
やれるじゃん。文句たれる前に実行すれば、意外と出来ちゃうもんだ。
だから来年以降もこのままでいてほしい。
そして今年、再び出店は無くなるという話を聞いた。
詳しく言うなら、「完成された食材を買ってきて売る」というもの。
これは出店じゃない。
また壊された。
もういいや。ってなった。
私はもう充分楽しんだ。
今の子どもたちに比べれば、私達が子どもの頃は恵まれていた。
もう私が団地の祭りに行くことはないだろう。
悲しいけど、大人の事情ってのはこんなものだ。
いつまでも夢を叶えてくれるなんて、そんな考えはあまいし、間違いだ。
なら、叶うのが当たり前だった夢のままで終わったほうがいい。
嫌いから大嫌いにならないためにも、いい加減、夢を見るのは終わりにします。
昔、私は団地の祭りがホントに楽しみで、7月になったらテンション上がりまくりで、祭りの日を心待にしていた。
それは中学生になっても同じで、出店の食べ物やゲーム、景品など楽しみがいっぱいだった。
祭りは土曜と日曜の2日間あって、2日ともフルで参加していた。
何時しか、祭りは1日だけになってしまった。
ただ、それでも私は楽しかった。毎年のように参加していた。
しかし、大学生になり社会人になるにつれて興味が薄れていった。
しかしそれでも私は参加した。
雰囲気だけでもと。なんか義務感があった。
そしてついに祭りはなくなってしまった。
つまらない大人ばかりだ。
結局面倒くさいだけで、責任がどうとかいちゃもん付けてやらないだけ。
誰がくるんだ?とか、やって意味はあるのか?とか役員がやろうとしない。
原因はそこだ。
確かにそうだ。昔に比べて硬くなった。
食中毒や、事故、事件が「もし」起こったらどうする?
だれも「私が責任とる」なんて言えない。
こんなお硬い考えのせいで、昔から団地に住む人たちが愛する祭りが消されてしまった。
しかし、超やる気のある役員が「任せろ」と一言。
一昨年、祭りは復活したのだ。無くなって何年たっただろうか。しかしそれは「祭り」とはほど遠いものだった。
出店が一切ない祭りだった。
結局、「食」の問題は改善されなかったのだ。
しかし去年、その壁を超えた。
出店から漂う香り。あの祭りが帰ってきた。
私も久しぶりの出店に感動した。
昔と変わらない味。そのままだった。
やれるじゃん。文句たれる前に実行すれば、意外と出来ちゃうもんだ。
だから来年以降もこのままでいてほしい。
そして今年、再び出店は無くなるという話を聞いた。
詳しく言うなら、「完成された食材を買ってきて売る」というもの。
これは出店じゃない。
また壊された。
もういいや。ってなった。
私はもう充分楽しんだ。
今の子どもたちに比べれば、私達が子どもの頃は恵まれていた。
もう私が団地の祭りに行くことはないだろう。
悲しいけど、大人の事情ってのはこんなものだ。
いつまでも夢を叶えてくれるなんて、そんな考えはあまいし、間違いだ。
なら、叶うのが当たり前だった夢のままで終わったほうがいい。
嫌いから大嫌いにならないためにも、いい加減、夢を見るのは終わりにします。