セカンドライフといるか、自分の生きる事、仕事する事に関して最近余り、書いてないので書いてみることにする。実はそのための書籍やネット上の情報は最近あふれかえるぐらいあるようになった。インターネットで検索するといくらでも出てくるし、書店に行っても多くの本がならべられているようになった。
自分自身ほぼ半年、自宅で過ごすようになると、結局個々にたどり着く(たどり着きはしないのだか、その答えを求めるようになるのではないか?)事に一つの思いをやはり、考えるようになった。
自分は「そうではないが。。。」ではなく、やはりこの心境に至るのかなと思ってしまいます。
それで最近また読んだ本2冊のご紹介(内容は皆様が読んでみてください)。
「人生の目的」 :五木寛之:幻冬舎
「何のために働くのか」:北尾吉孝:到知出版社
考え方には、人によって色々あると思いますが、根底にあるのは、育った環境とその後の環境かなと私は思っております。セカンドライフと上記の紹介した本にはかなりのギャップがあると私自身思いながら、自分でも何のために生きるのかを今後の人生で見つけたい(できれば?)と思っております。
才能があり、恵まれた人:高年齢でも求められる人材とそうではない人材、これは若くても一緒ですが少なくても若ければ、未来への可能性があるが、50以上の人材の未来があるのか私にははっきりいってわかりません。しかしながら、生きる為の努力と少なくとも社会への貢献は仕事ができなくてもやらなくては思います。
1)10~20代の私は早く独立したかった(自分で早く生活できるようになりたかった:つまり貧しかった
→ 大学の生協の加入金も払えず、教科書を買う金もなく、もちろん国立大学をストレートで受かるしかなかった)。
2)高校から一人で暮らしていた関係で、結果早く26歳で結婚し、子供ができる。
→ 子供が私の生きる目標になった。最初は女の子が欲しかったができたのは男の子。しかし、かわいくて、このこの為に仕事する(生きる)ことが目的になったと思う。そして、この子が何かあったら、自分は生きていけないとの重いから奥様と相談し、協力し結果的に二人目(長女)を授かった。
つまり、その後、約25年は二人の子供のために自分の人生はあったと間違いなく思う。
3)さて、子供がほぼ自立(長男は大学院就職内定、長女は大学4年で活動中)しそうな中で、自分は何のために生きるか?
まずは病気をなおす事だが、この疑問は、私だけの疑問なのか?かなり堅苦しいテーマなのでまた、別の機会に掲載します。
セカンドライフとは子供や会社からの自立であり、社会への交わり(逃げていた事)への参加なのかもしれません・
ご迷惑でしたらお赦しください。
自分が日頃から考えていることですが
人は一体、何のために生きているのでしょうか?
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
神の存在、愛とは何か、生きる意味は何か、死とは何かな
どの問題などについて、ブログで分かりやすく聖書から福音
を書き綴っています。ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
(聖書のことば)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところ
に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11:28)。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛
している。」(イザヤ書43:4)。