鹿児島への帰郷(その3:田舎の周辺。改めてすごい田舎だ)の続きだ。翌日に家のお墓参りから、親戚のお墓参りまで出かける事にした。昔の懐かしさを感じながら、更なる奥へと向かって、この地域の変化に戸惑いながらも、親父達についていった。いつの間にか、私たちの空間とは違う世界で、時間も空間も変わっている事を感じながら・・・。そう私が昔存在した所だが、その次元がもはや存在する事もなくなっている。
この辺は私だけが感じる事でもないだろう。私が通った小学校は無くなり、新しい所に移設された。中学校はかろうじて残っていた。しかし町は昔の面影は無くなり、ほとんどない。私の知らない世界へと変わっているらしい。この辺は私も良くわからない。既に故郷を後にして何十年も経っている為・・・。
普通はこの様な経験はあまりする事はないと思う。全て当家の地理的な特殊性と、親父の環境とそして、時代の変化が流してくれた事なのかも知れない。以前私が投稿した事があるかも知れないが、かなり特殊な環境なのだと今でも思う。二つの町に同時に存在した家。
これの悩みを親父は理解しなかったのだろう。兄弟の中で私だけかも知らないが・・・。別にこの特殊性だけでもないが、私がこの地域に帰っても、ほとんど地域とのつながりがない。ふつうは中学等の同窓会があるものだが、私には、既に切れてから、久しい。鹿児島から出て行ってから、ほとんど帰郷する事もなく、帰っても懐かしいみんなと会う事も無かった。
※特殊な環境とは、家の位置上(生活上)は日置市に属し、学校へは鹿児島市(現)に通った事だ。つまり学校の友達とは学校でだけの付き合いであり、生活上の近所付き合いは、別の学校の子達と過ごしていたと言う事だ。
この二つの町に同時に存在する事は、いろんな意味で矛盾が存在するのだが。これは今でも私にはわからない。しかし住所が一つだから問題はないのだろう。これより、はるかにやっかいな問題が今回の帰郷ではっきりした。
親父の健康問題と当家の墓の継承と財産の継承と言う厄介な問題だ。一般的な財産相続の話なら良いのだが、これは何分近親者と言うかえって醜い形となる可能性を秘めているからだ。これをどうすれば良いのか?私もまだ結論は出せないでいる。
しかし、これに考える間もなく、私と奥様は、家に帰り着いた翌日には、家を出て市内のホテルに泊まる事にした。
親父達が私達に気を使い過ぎて、2泊も止まると、心労で倒れそうになる事を危惧したからだ。一日は3食あるが、これが最大の悩みだったらしい。家に着いた時の晩飯、翌日の朝食、そして昼食、そして晩飯となると・・・。最近急激に食が落ちており、入院疲れもある親父達に苦労させずに最初から、ホテルをとれば良かったと後悔した。
私たちが帰郷する事で、掃除や寝具等の準備が大変だろうと予測していたにも関わらず。前回は子供連れで帰郷する事から、この準備を飛ばして、市内にホテルを取り、逆に親父達にこのホテルに泊まりに来てもらった。
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